姑殿は昨夜、とある会議にご出席で、帰宅はかなり遅くなられた。朝食の時、その会議出席者に手渡される交通費、会計担当者が替わったせいで、今までの普通の封筒から、銀行の封筒に入れられていたことを、ずいぶんとお嘆きになる。100均で安い封筒を買って、新しい担当者にお渡ししようかしら…とまで、仰るのである。
私は、およしなさい、そんなことをしたら、反発されるだけですよ…と、即座に申し上げた。それが、お弟子さんだったり、ラインとして指示を出せる相手ならいざしらず、そうでないのならば、その人の価値観なのだし、それに対しては心の中で軽蔑すればよいのです…と言い添えておいた。もう、お義母さんのお歳になったら、世の中を良くしようなんて、大それたことは思わぬことです。私も、このたび完全に老齢に達したので、そう考えることにしました。世の中は良くなりません。世界も、良くなりません。だから、軽蔑すべきは心の中で軽蔑し、何もせず、にこにこしておればよろしいのですよ。そのかわり、見上げた行いは、心の中で、大いに賞讃すればいいじゃありませんか。
諦念かもしれない。私はこの世に完全に失望している。ただし、72歳で死のうといちおうの目途は立ててはいるけれども、積極的に手段を選んで死ぬことはない…とも思う(時々電車に飛び込みたい衝動にかられるが、人の迷惑を思えば、足は停まる)。まあ、こんな感覚で現実と折り合おうとすれば、如上のようなことに、なりますわな。
とある選挙の投票日である。ご立派なご託は、もう、あきあきした。かたかたに居給ひたれかし、なんと素晴らしい言葉だろう! 800年も昔に、この言葉はもう書き留められていたのである!
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