海杉ブログ 木材を中心に書き残したいことを投稿します

日々、気づいた事、エクステリアウッドのテクニックを書き綴ります。やりたい時、書きたい時だけ、疲れるので笑笑

初盆

2007年08月14日 22時50分02秒 | 地元のこと
今年は、初盆でした。

多くの人が我が家に来ていただき、慌しさと淋しさの入り混じった日が過ぎていきます。

昔の人は、なぜ?このような行事をつくって亡き人を思い出させようとしたのでしょうか?

日々の生活に追われ、毎日が慌しく過ぎていく日本人にとってお盆と言う節目は、祖先と現代を結ぶわずかな絆かもしれません。

亡くなった人は、本当は帰っては来てくれません。でも、帰ってくれるならば、帰ってきていれば、という残された人の想いがお盆と言う行事を作り出したのでしょうか?

母は、孫たちに「おじいちゃんが帰ってきたよ」とやさしく語ります。「おじいちゃんはどこ?」孫は探しますが、見えないのです。でも、次第に孫たちはおじいちゃんが見えるがごとく、おじいちゃんと話し始めるのです。

親から子へ伝えなければならないことがたくさんあります。一見無駄で非科学的なことかもしれませんが、実は、大切なことなのです。教育とか躾とかとはちょっと違うようです。家族にはそれぞれ大切な何かがあるのです。

私もこの子たちに伝えたいことがたくさんあります。老いた母を見て、子である私は何をしなければならないのか、私自身が何が母にできるのか。お盆と言う日は、それを改めて考えさせられる日です。

祖先を迎えるためのお盆と言う行事は、本当は、生きているもののための行事なのかもしれません。お盆と言う時間が自分の気持ちをニュートラルにして自分の身内の未来を思い描くことができる日なのかもしれません。こんな気持ちをお盆と言う儀式をやることによってきちんと伝えることができるのでしょう。祖先の知恵は、どこまでの奥の深いものです。

公園の設計

2007年08月14日 14時03分23秒 | 建築関連
相次ぐホームレスら襲撃… なかなか生かされない教訓

 寝ている人を襲い、「ホームレスは死んでも構わない」と言い放つ。同様の事件は各地で相次いでいる。

「居場所がなく深夜徘徊を続ける意味では、少年たちも精神的なホームレス状態。大阪の事件の加害者が『自分を見ているようで腹がたった』と語ったように、自己嫌悪が他者への暴力の奥底にある」

 区は死角を作るとして公園の樹木を伐採した。

「格差社会といわれるなか、頑張ってもつまずき、ホームレスになる可能性は誰にでもある。そういうことを大人も改めて認識し、地道に少年たちに教えていくしか、こうした事件への解決策はない」
                               産経新聞より
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このニュースは、「事件の根本は、社会が悪い」と言うことを言っているように聞える。

その前にもう少し考えてほしいことがある。「公園が狂気を生み出す凶器になっていないか」と言うことだ。拳銃や刀は、使いたいと言う衝動に駆られる狂人は多くいる。凶器に見せられた狂気だ。しかも、社会的な弱者を狙い、自分の行動を正当化しようとする狂気に社会性や命の尊さを説いても無駄なように思える。少年犯罪の事例が公園の凶器を隠していると考えている。

以前、少年犯罪で金属バットが凶器になった事件があった。金属バットに魅せられた事件ではない。この種の事件は特定の動機がキッカケになった公算が大きい。この種の事件は事件が起こる前に命の大切さを説き、自分の悩みを誰かに話すことで狂気になる前に自分自身を取り戻す手段があれば、防げるかもしれない。

公園の凶器は、多分、多くの人が無視してきたことだと思う。海杉から言わせると公園の基本的な設計以前の問題だ。

「風水のようなもの」と話をしてもあまり信じられないかもしれないけれど、昔の人が長年の経験則でできあがったモノを迷信で片付けられないことがあるはずだ。事件の起こった公園の共通点を洗い出し、科学的な根拠を持って推論し、理想的な公園、凶器の公園を見つけることによって凶器の公園を作り出さないルール作りが必要だろう。まだわかっていない原因があるはずだ。

公園は、使う人のための公園でなくてはならないと海杉は考える。それを基本にすれば、ホームレスの人も公園を使う人でもある。「ホームレスのための公園じゃない」という方もいるだろう。駅のベンチにはごろ寝のできないベンチをデザインしている。先日、新宿に行ったとき、地下通路にホームレス避けのモニュメントが置かれていた。人を排除するためのデザインの醜さは、吐き気がする。そんなものを見て喜ぶ人がいれば、海杉は、その方は狂気に少しずつ侵されていると思う。