(西大路藩陣屋跡)
藩主市橋家邸趾
日野町西大路の何もない空間が、かつての西大路藩の陣屋跡である。元和六年(1620)、越後三条から移封された大名市橋長政は、蒲生氏の旧城であるこの場所に藩庁を設け、仁正寺藩一万八千石を立藩した。文久二年(1862)、藩名を西大路に改称した。明治維新後の廃藩によって藩主や重臣は東京に移住し、御殿と呼ばれた藩庁は西大路村の朝陽学校などとなったが、大正五年(1916)、京都相国寺塔頭林光院に売却され、現在もそこに残されている。
近江最大の彦根藩が長州再征に消極的であったため、西大路藩も慎重にその去就をはかり、戊辰戦争が起こると、新政府への恭順を決した。
(経王寺)
経王寺山門
廃藩後、陣屋の門を経王寺の山門として移築したものである。市橋家の家紋である割菱を屋根瓦に刻んでいる。
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