史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

奈義

2018年11月23日 | 岡山県
(日本原)


安達清風先生墓

 津山から国道53号線を東へ進み、奈義町上町川に入ると、右手にファミリーマート、その隣に中華レストランちゅーが見えてくる。次の交差点を右へ折れて南進すると葬儀場らしき建物が現れ、その南側に広がる共同墓地の南端に安達清風の墓がある。
 安達清風は、天保六年(1835)の生まれ。鳥取藩士。少年時代から京阪各地に遊学。安政元年(1854)四月、江戸昌平黌入学。翌年水戸に赴き、神発流砲術を学び、鳥取に水戸学を伝えた。文久二年(1862)十二月、京都留守居役となり、文久三年(1863)の本圀寺事件の暗殺を支持した。慶応元年(1865)閏五月、周旋方頭取用向当分請持を免じられた後も、しばしば上申して藩政の改革を願ったが用いられなかった。維新後、藩主池田慶徳の隠退を勧め、あるいは藩庁と衝突して志を得られず、明治八年(1875)からは岡山県に官仕。県北部の日本原の開拓に治績を挙げた。明治十七年(1884)、年五十にて没。

 帰宅してから調べて分かったことだが、安達清風の屋敷跡および頌徳碑がファミリーマートの向い側付近にあるらしい。もう一度奈義町を訪ねなくてはならない。

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