史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

鏡野

2019年06月08日 | 岡山県
(貞永寺)


従五位櫻井新三郎墓

 今回の岡山県下の史跡巡りで最大の収穫は、鏡野町貞永寺の桜井新三郎の墓であった。
 情報としては、貞永寺に新三郎の墓があるというだけで、あとは現地で探すしかない。それらしい場所を歩いてみたが、そう簡単に見つかるものではない。途方に暮れていると、ある家の主婦の方が「何かお探しですか」と近寄って来られた。普通なら人が立ち入らないような山道までウロウロしていたので、さすがに不審に見えたのであろう。「桜井新三郎という方の墓を探していまして…」と事情を説明したものの、ご婦人は御存じないようであった。ただし、貞永寺には桜井家は一軒しかないそうで、その家は貞永寺の交差点より北側だという情報をいただいたので、ダメ元でその辺りを探してみることにした。見えている墓地を一つずつ訪ねて、ようやく桜井家の墓所に出会うことができた。思わずガッツポーズ。

 桜井新三郎は、文政七年(1824)の生まれ。生家は貞永寺村の庄屋であった。資性は沈勇豪胆、好んで野史を読み、史跡を歴遊した。つとに勤王の志を抱き、立石正介、安東鉄馬らと深交した。ついで京師に入って諸藩の志士と交わり、岩倉具視の門に出入りした。一日、賊数名が洛北幽居中の岩倉を襲うと、これを撃退し、以来岩倉はその胆勇を頼み、寵遇はますます厚かった。元治元年(1864)の禁門の変で幕府の嫌忌を受け、逃れて香々美村円通寺の住僧道契に危急を語り、僧衣を贈られ剃髪して去った。明治元年(1868)、岩倉具定に随行し、御旗奉行として北陸に向い、三月任を果たして江戸に駐留したが、芝において賊のために暗殺された。年四十五。

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