史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

熊谷 Ⅲ

2014年05月10日 | 埼玉県
(大正寺)


大正寺 観音堂

 JR籠原駅の近くに所在する大正寺観音堂に中村定右衛門が慶応二年(1866)に奉納した額が掲げられている。


中村定右衛門の奉納額

 中村定右衛門は新徴組の剣術教授をしていた人で、諱は正行と称した。馬庭念流剣術を武蔵北部一帯に広めた剣術家であった。新徴組に在籍していた文久三年(1863)十二月、庄内藩が新徴組屋敷に「酒井左衛門尉屋敷」と墨書した大杭を建てたところ、これに憤慨した中村定右衛門と水戸藩の鯉淵太郎が、大杭を抜いてしまった。彼らの言い分は、「この屋敷は新徴組が公儀から賜ったものであり、藩侯酒井左衛門尉様に下されたものでない。」というものであった。本件で中村定右衛門がどういう処分を受けたのか不明であるが、大正寺観音堂の額には慶応二年(1866)の日付が入っていることから、ほどなく新徴組を脱退したものと思われる。
 「幕末維新埼玉人物列伝」(小高旭之著)によれば、山岡鉄舟撰文の「中村正行碑」が熊谷市新堀の中村家の庭に立てられているというが、いくら付近を探しても見つけられなかった。


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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ショスタ)
2014-06-05 22:17:48
山岡さんが書いた石碑は中村家の庭に今もありますよ(*^^*)
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Unknown (ショスタ)
2014-06-05 22:23:40
山岡さんが書いた石碑は中村家の庭=門入口の東側に今もありますよ(*^^*)
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Unknown (植村)
2014-06-06 09:35:01
ショスタ様

ご連絡ありがとうございます。
できれば、その「中村家」の位置を教えていただけませんでしょうか。あてもなく、付近を走り回りましたが、見つけられませんでした。
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Unknown (ショスタ)
2014-06-07 04:21:32
確か熊谷市新堀56の付近だと思います。その一角にある家で一番大きな家が当主の家です。南側に門が二つありますが、手前の門(外門)から入って東側にその石碑が立っていたと思います。
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Unknown (植村)
2014-06-07 07:30:16
ショスタ様

有り難うございます。
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Unknown (中村)
2016-10-21 23:02:26
熊谷市新堀56です。
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情報有り難うございます (植村)
2016-10-29 21:26:16
おかげ様で2年前に「中村正行碑」に出会うことができました。
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