史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大子 Ⅲ

2017年11月17日 | 茨城県
(高徳寺)


高徳寺山門

 高徳寺山門は、室町末期の木造茅葺建築であるが、見るからにか細い四本の柱で支えられている(大子町上郷2056)。
 元治甲子の乱で天狗党がこの山門の柱を傷つけたといわれる。見れば、四本のうちの一本はその半分が削り取られている。ただ、これが本当に天狗党の手によるものか確証はない。


天狗党による刀痕?

(八溝山)
 追い込まれた田中愿蔵が逃げ込んだのが、八溝山(やみぞさん)である。標高一〇二二メートル。この日、早朝五時半に八王子の自宅を出て、カーナビの命じるまま東北自動車道を北上、福島県の棚倉から山頂を目指した。道は途中未舗装道路もあり、路肩は崩れ、時に大きな穴ぼこが開いている。油断のできない道であった。八溝山頂に到着したのは、午後八時半を過ぎていた。
 下りは茨城県の大子町へ下りる道を選んだが、こちらの方は安心して走ることができた。自動車で八溝山頂を目指すのであれば、断然大子町からの道をお勧めしたい。


霊峰八溝山

 山頂には展望台が設けられ、山頂を見下ろすことができる。つまり山頂より高い位置に展望台があるというわけである。天気が良ければ、三百六十度の眺望を楽しむことができただろうが、この日は霧がたち込めており、残念ながら見晴らしは悪かった。


八溝山頂 海抜一〇二二m


八溝嶺神社


八溝嶺神社

 山頂に逃げ込んだ田中愿蔵であったが、食糧も尽き、これ以上戦うことの不可能を悟った。愿蔵は隊員三百余を八溝嶺神社前に集め、解隊を宣言した。愿蔵自身も転げるようにして下山し、真名畑村(現・福島県塙町)の民家に逃げ込み、そこで縛についた。

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