史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「戊辰戦争は今」 読売新聞社福島支局編 歴史春秋社

2011年08月03日 | 書評
今から十数年前、ちょうど戊辰戦争から百三十年を迎えた頃に読売新聞福島支局が連載した戊辰戦争関連記事をまとめたものである。複数の書き手によるものなので、途中ダブりがあったりして、やや読みにくさを感じるものの、星亮一氏の著作のように視点が極端に偏ることはない。とはいえ、会津という一つの視点を固定して、戊辰戦役全体を描いたものである。
ピアニストの伊藤京子が、長州の猛将来島又兵衛の玄孫ということをこの本で初めて知った。伊藤京子といえば、リリシズム溢れるピアニストであるが、古武士を連想させる来島又兵衛とはどこからどう見ても結びつかない。これまた歴史の妙というべきか。その伊藤京子が、毎年山口県美祢市の来島又兵衛の墓参を欠かさないという。
この本では定番といえる白虎隊の自刃や会津落城も当然取り上げられるが、越後口や日光口での戦闘も描かれる。徐々に会津藩が追い詰められる様子が刻銘に紹介されており。興味深かった。

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「最強の人生指南書 佐藤一斎『言志四録』を読む」 齋藤孝著 祥伝社新書

2011年08月03日 | 書評
佐藤一斎の「言志四録」は講談社学術文庫(川上正光訳 全四巻)で発刊されている。少し立ち読みしてみれば分かるが、これを最後まで読み通すのは容易ではない。「声に出して読みたい日本語」でブレークした齋藤孝氏が、難解な「言志四録」を、例示を交えながら分かりやすく解説したのがこの書である。
佐藤一斎は昌平坂学問所の教授を務めた江戸後期を代表する儒学者である。その一斎が四十代から四十年以上にわたって「言志録」「言志後録」「言志晩録」「言志耋録」という四編に、人生訓や仕事術、学習術などを書き残したのが「言志四録」である。言うなれば日本版「論語」のようなものである。
佐藤一斎の門下には、佐久間象山、林鶴梁、池田草庵、大橋訥庵、安積艮斎、山田方谷、横井小楠ら、当代一流の学者が名を連ねている。西郷隆盛が、「言志四録」から気に入った言葉を抄出し、「手抄言志録」として座右の書としていたのは有名なエピソードである。「言志四録」は吉田松陰、河井継之助らにも多大な影響を与えたと言われている。

「言志四録」に掲載された数多の箴言は、現代においても輝きを失っていない。
――― 少にして学べば、即ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず。
これは「三学の教え」と言われ、「言志四録」でももっとも有名な言葉である。先日、小泉純一郎元首相の講演を聴く機会があったが、そこでもこの言葉が引用されていた。

この本の冒頭紹介されている言葉が、「言志録」からの箴言である。
――― 事を慮るは周詳ならんことを欲し、事を処するは易簡ならんことを欲す。
私の個人的な経験でも、大きな仕事に取り組むときはあれこれを悩むものである。悩むのは準備段階であり、実行段階に至って未だフラついているようでは、成功は覚束ない。「やる」と決まったら悩まず一気呵成に実行する。佐藤一斎の言葉は、このことを示唆しているように思う。

――― 志気は鋭からんことを欲し、操履は端しからんことを欲し、品望は高からんことを欲し、識量は豁からんことを欲し、造詣は深からんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。
佐藤一斎の言葉は、人事労務屋の諸先輩方が良く引用されるが、一斎の発想自体が労務屋に通じるものがあると感じる。一斎の用いる漢語は、現代あまり使われることが無くなった単語が多いためやや分かりにくいが、「志気=情熱・熱意」「操履=行動力・実行力」「品望=品格・人望」「識量=度量」「造詣=知識・スキル」「見解=判断力」と置き換えると、現在我々が使用している人事考課要素と重なっていることに気付く。

「言志四録」に収録されている言葉の数は膨大である。きっとその中に自分にぴったりくる言葉が二つ三つ見つけられるだろう。人生の羅針盤を求めて彷徨っている人に、是非読んでもらいたい一冊である。

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「江戸三〇〇藩城下町をゆく」 青山誠著 双葉新書

2011年08月03日 | 書評
世に「江戸三〇〇藩」というが、この本に紹介されているのは(私の数え間違いがなければ)二百七十八藩。今でこそ四十七都道府県に集約されているが、かつてこの狭い日本は、もっと細かなモザイク状であった。しかも、各藩の独立性は現在の都道府県よりずっと高かったし、それだけに個性も際立っていた。それが今日の地域性にも受け継がれている。我が国において県民性を題材にしたテレビ番組が成立するのも、元をたどれば江戸時代のもモザイクに負うところが大きい。
譜代、親藩、外様…。佐幕もあれば討幕派もいる。明君もいればバカ殿もいる。特産品の専売で財政を立て直し藩政改革に成功した藩もあれば、借金が雪だるま式に膨らんで幕末を迎える頃には破綻寸前に至った藩もある。多様性を生んだ要因は様々で、色んな複合的要素が絡み合った結果だろう。
日本各地に地域性が無かったとしたら、どれほどつまらなかっただろう。しかし昨今、物流網が整備され、急速にネット社会が発展し、かつてないスピードで地域の壁が取り払われている。東京に居ながらにして地方の美味いものが手に入るし、強烈な方言を使う若い人を見掛けなくなった。このまま時の経過とともに国内のフラット化が進行すると、金太郎飴のような国になってしまうのではないか。我々は百年後、二百年後にも地域性を受け継いでいけるよう、意識的に努力をしていかなければならない(たとえば地方のニュースは方言で流すとか…)。

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