都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
目鼻(めはな)が付(つ)・く
物事の大体のところが決まる。おおよその見通しが立つ。「計画の―・く」
大辞泉
「最初はどうなることかと思っていたが、ようやく目鼻がついてきたね」
物事のおよその見通しが立つことを「目鼻が立つ」と言います。
人形や人物画などは、目や鼻を描く段階になれば、もう完成間近ということから、こう言われるようになったそうです。
このように、それを職業にしている人は全体の輪郭からはいるそうです。子どもや絵を描きなれていない人は、いきなり目や鼻から描いたりします。そうすると、バランスの崩れた仕上がりになります。
やはり、目や鼻は最後がいいようです。
がりょう‐てんせい〔グワリヨウ‐〕【画▽竜点×睛】
《中国、梁の張僧繇 (ちょうそうよう)が、金陵の安楽寺の壁にかいた竜に睛(ひとみ)を入れたら、たちまち雲に乗って昇天したという「歴代名画記」七の故事から》最後の大事な仕上げ。また、ほんの少し手を加えることで全体が引き立つこと。→欠く
◆「がりゅう」とは読まない。また、「点睛」を「点晴」とは書かない。
大辞泉
「画龍点睛」も最後の仕上げに睛を入れることで、命が宿ったと言うことです。
「では、何故目鼻なのか?耳や口ではダメなのか?」と聞かれても、返事に困ります。それは、そういうものだとしか答えようがありません。
「目鼻立ち」という言葉があります。これは「顔立ち」という意味ですから、目と鼻は顔の中でももっとも重要だということなのでしょう。
「目鼻立ちの整った方ですね」というほうが、「美人ですね」というより、褒め言葉としては上ということでしょうか・・・。
ただ、気をつけていただきたいのは「目」と「鼻」はセットで使いましょう。
バラバラに使うと、下記のようになるのでお気をつけください。
目(め)に付(つ)・く
1 よく見える。目立つ。「欠点ばかりが―・く」2見て忘れられなくなる。 「へそがたの林のさきの狭野榛(さのはり)の衣に着くなす―・くわが背」〈万・一九〉
鼻(はな)に付(つ)・く
1 においが鼻につきまとう。「香料が―・いて食べられない」2飽きて嫌になる。また、人の振る舞いなどがうっとうしく感じられる。「きざな話し方が―・く」
大辞泉
ちなみに、海外サイトが選んだ「日本人美人女優第一位」はこの人だそうです。
したっけ。
丼
「井(いど)」に、水がたまったさま「丶」を示し、元は本字が「ショウ・セイ」の音を有し「いど」を意味していたが、「井」に変わった。なお、「井」はものを取り囲んださまをかたどったもので「ケイ」の音をもつ(「刑」の旁)。「どんぶり」の意は、字形から「いど」に物を落としたときの「どぶん」という音をしゃれたもの。
丼(どんぶり)
日本食の中ではそれほど古い歴史をもつ食事形式ではなく、室町時代の「芳飯」が似た料理であるが、天丼は浅草の「三定」(創業1837年)が始まりだと言われ、鰻丼は19世紀初めに登場し、深川丼は江戸時代末期に作られたといわれている。
江戸で一杯盛り切り飲食物を提供する店を「慳貪屋(けんどんや)」と呼んでおり、忙しい時に素早く食べるためにも便利な食事なので、そのような階層に広まった食事方法だったとされる。明治初期には牛丼や開化丼、1891年に鶏肉を鶏卵でとじた親子丼が登場した。大正時代の1913年にカツ丼が発表された。このように、丼物の様式は日本で受容され、様々な料理を丼飯に載せて食べる事が広がっていった。
ウィキペディア
江戸時代。当時、盛り切り一杯のご飯を売る「見頓屋(けんどんや)」という店がありました。その店で出す器を「けんどんぶり鉢」といいました。それを略して「どんぶり」になったといいます。
けんどん屋という名前は、客に対して「突慳貪」だという事からつけられました。「慳」は物惜しみすること、「貪」はむさぼるという意味があります。
つまり、「慳貪」とはけちで欲が深い事を言います。転じて、一杯きりでおかわりを出さないものの名称となったわけです。
どんぶりの語源
元々「丼」と言う文字は「井戸」の中に「つるべ」がある状態を表している。
「丼(ショウ・セイ)」井戸の中に水がたまったさま。四角い枠のことです。
更に「丼」は「とん」あるいは「たん」とも読めますが、これは井戸の中にものを落とした時の音を表しています。丼の真ん中の点は、井戸に落とした石だという解釈になりました。
そう考えていくと「どんぶり」と言う読みも、そのまま物を落とした時の音に聴こえます。
小石では「ポチャン」ですから、漬物石くらいの石を落とさなければ「ドンブリ」とは聞こえないでしょう。
こうして、「丼」は日本では、「どんぶり」の意を持つようになったそうです。
井戸には、「井」を使うようになったのではないでしょうか。
ちなみに、「丼」は「どんぶり」と読みます。「どん」と読むのは、メニューになったときだけです。
「天丼」、「鰻丼」、「カツ丼」。「どんぶり」とは読みません。
ちなみに、中国では「天津丼」というような使い方はしません。
したっけ。
幸福駅:改築工事終わる 旧駅舎の木材の半分を再利用
毎日新聞 2013年11月17日 14時56分(最終更新 11月17日 15時26分)
北海道帯広市の観光名所、旧国鉄広尾線「幸福駅」の改築工事が終わり、16日にオープニングセレモニーがあった。
幸福駅は1956年に開業。73年にテレビ番組で紹介され大ブームとなった。駅舎は60年近くがたって老朽化し、9月から改築工事をしていた。昔の面影を残すため、旧駅舎の木材の半分を再利用した。
「恋人の聖地」でプロポーズをしようと、札幌市豊平区の会社員、栗田洋伸さん(26)は、付き合い始めて約1年の端場美枝子さん(24)にサプライズで告白。2人は「幸せになりたい」と鐘を鳴り響かせ、駅とともに幸せへのスタートを切った。
11月17日(土曜日)に、老朽化のため改築工事をしていた「幸福駅」がリニューアルオープンしました。当日は、オープニングセレモニーが行われるため混雑が予想されましたので、翌日行ってきました。
それでも、新聞、テレビで報道されたため大勢の人が訪れていました。2軒のお土産屋さんも、大きな声でお客さんを呼び込んでいました。
今でも、恋人の聖地として訪れる人が多いようです。既に、2人の名前を書いた紙を駅舎内に貼り付けられていました。幸福になるといいですね。
したっけ。
</object>
YouTube: 都月満夫の幸福駅リニューアルオープン2013 11 18
そ‐こつ【粗×忽/×楚×忽】
[名・形動]1 軽はずみなこと。そそっかしいこと。また、そのさま。軽率。「―な男」「―な振る舞い」
2 不注意なために引き起こしたあやまち。そそう。「―をわびる」
3 唐突でぶしつけなこと。失礼なこと。また、そのさま。
「ちかごろ―な申しごとぢゃが…わごりょの心得をもって戴せてくれさしめ」〈虎寛狂・米市〉
大辞泉
そ【粗】[常用漢字] [音]ソ(漢) [訓]あらい ほぼ
<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 13.5pt; HEIGHT: 12pt"><imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/02531.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.gif"></imagedata></shape>〈ソ〉
1 大ざっぱで念入りでない。いいかげん。「粗雑・粗製・粗末・粗密・粗野・粗略/精粗」
2 物を勧めるとき謙遜を表す語。「粗品・粗酒・粗茶」
<shape id="_x0000_i1026" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 13.5pt; HEIGHT: 12pt"><imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/02532.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image002.gif"></imagedata></shape>〈あら〉「粗筋」
[難読]粗目(ざらめ)
大辞泉
こつ【忽】[人名用漢字] [音]コツ(漢) [訓]たちまち ゆるがせ
1 たちまち。「忽焉(こつえん)・忽然」2 おろそか。「忽略/軽忽・粗忽」
大辞泉
「粗忽」と言えば、真っ先に思いつくのが、五代目柳家小さんの「粗忽長屋」です。
同じ長屋に住む八つぁんと熊さんは、ともにたいへんそそっかしい。ある日、八が浅草の観音さまにお参りしたとき、行き倒れに出会い、てっきり熊だと思い込む。この人は昨夜から倒れているのだといわれても「とにかく、ここへ当人を連れてきて死骸(しがい)を引き取らせます」と長屋へ帰り、熊を連行する。なんだか変だと思った熊も、生来の粗忽者なのでその気になって八について行く。死骸に接した熊は、抱き上げて眺めていたが「抱かれているのは確かに俺(おれ)なんだが、抱いてる俺は一体誰(いつてえだれ)だろう」。
ハつぁん、熊さんと言えば、落語界のゴールデンコンビです。しかし、この噺は下げが非常に難しいと言われています。
話がそれちゃいました。
「粗忽者」とは簡単に言うと、「おっちょこちょい」、と同じ意味になります。そもそも前半の「粗忽」は、軽率、軽はずみ、そそっかしい、不注意で起こった過ち、失礼な事、といった意味です。
これに人を表す「者」を付けて、そそっかしい奴だ、おっちょこちょいな奴だ、と言うような意味で使われています。
おっちょこちょいと言われるよりも、粗忽者と言われたほうが、ダメージが大きいような気がするのは私だけでしょうか?
焦れば焦るほど失敗も多くなってしまいます。
「粗忽者」と言われないよう、常に平常心でいたいものです。(自分に言い聞かせています)
したっけ。

おっちょこ‐ちょい
[名・形動]落ち着いて考えないで、軽々しく行動すること。また、そのさまや、そういう人。「―な(の)面がある」「あの―がまた失敗をしでかした」
大辞泉
「おっちょこちょい」とは慌て者、考えが浅はかで軽薄な行動をする人のことをいいます。
では、何故「おっちょこちょい」なのでしょうか。
「おっちょこちょい」は三つに分解かいされます。
「おっ」と、「ちょこ」、「ちょい」です。それでは、それぞれ解説していきましょう。
「おっ」は、驚いた時などに発する「おっと」と同じ感動詞「おっ」、もしくは接頭語の「お(御)」で後に続く「ちょこちょい」に合わせたもの。
「ちょこ」は動作が落ち着かないさまを表す「ちょこちょこ」が縮まったもの。
ちょこ‐ちょこ
[副](スル)1小またで足早に歩いたり走ったりするさま。ちょこまか。また、動作に落ち着きのないさま。「子供が―(と)歩く」2 物事を簡単に手早くするさま。「目の前で―と紹介状を書いてくれる」3 「ちょくちょく」に同じ。「最近―遊びに来る」.
大辞泉
「ちょい」は「僅かなこと」や「(否定の語を伴って)簡単には~・少々のことでは~(ちょっとのことでは驚かない)」を意味する「ちょいと(ちょっと)」からきたものだそうです。
ちょい‐と
<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_i1025" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 13.5pt; HEIGHT: 12pt"><imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/02539.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.gif"></imagedata></shape>[副]数量または程度のわずかなさま。少しばかり。ちょっと。「―一杯飲んで帰る」「―した意見のくいちがい」
<shape id="_x0000_i1026" type="#_x0000_t75" style="WIDTH: 13.5pt; HEIGHT: 12pt"><imagedata o:href="http://dic.yahoo.co.jp/images/V2/yh_gaiji/l/02540.gif" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image002.gif"></imagedata></shape>[感]人を呼ぶときに用いる語。「―、おねえさん」「―、お待ちなさい」
1800年代後半より見られる語で、1910年『諺語大辞典』には「デスギ、生意気、軽佻などをいふ意。東京語』とあり、1917年『東京語辞典」にもこの語が見られることから、主に東京で使われていた俗語が広まったと考えられる。 (語源由来辞典より)
私も結構「おっちょこちょい」で、歳をとると落ち着くのかと思ったら、そうでもありません。これは、性格ですからなおらないのでしょう。
「おっちょこちょい」な記事、コメント、誤字脱字は笑って許してください。
したっけ。
YAHOO「ネタりか」にこんな記事を見つけました。
誰と付き合ってもいつもわがままに振り回されてしまうのは、男性側に原因があるからかもしれません。「尻に敷かれる男性」の共通項とは? 今回は、10代から30代の独身女性183名に聞いたアンケートを参考に「どんな女の子と付き合っても、結局『尻に敷かれる男性』の特徴」をご紹介します。
【1】よく「いい人」と言われる
【2】優柔不断で一つひとつの決断に時間がかかる
【3】口論になるのが嫌で、言いたいことを我慢してしまう
【4】おっとりしていて、怒っても表情に出さない
【5】男性の両親も、父親より母親のほうが強い
【6】勝気な女兄弟にもまれて育ち、「押しが弱いキャラ」が染みついている
【7】「ごめんね」が口癖のようになっている
【8】尻に敷かれている状態が一番落ち着く
【9】自分の意見をはっきり言う気の強い女の子が好み
アンケートでは「嫌じゃないのなら尻に敷かれていてもいいのでは」という意見も目立ちました。主導権を握ろうと肩肘張るよりも、自然体で女の子に振り回されたほうが上手くいくのかもしれません。
【6】以外は、身に覚えがあります。男兄弟三人でしたから・・・。
特に【1】と【9】はズバリです。
【4】はちょっと違っていて、めったに怒らないです。怒ったときは本気です。
こんな都都逸がありました。
「尻に惹かれて 女房にしたが いまじゃそいつに しかれてる」
「そいつは どどいつ どどいつ」
いいじゃありませんか、余計なお世話です。それで、上手くいっているのですから・・・。
どうですか?男性の方、当てはまりますか。お宅のご亭主はどうですか?
したっけ。

同級生の女性が風邪を引いて具合が悪くなった時の話。
「私、風邪を引いて体温を測ったのよ。そうしたら、37℃しかないのよ。なんだ、平熱じゃないと思っていたのよ。治ってから改めて体温を測ったら36℃しかないのよ。37℃って、熱があったてことじゃない! 歳をとると体温も下がるのね、や~ね」
昔の水銀体温計は37℃のところが赤くなっていましたので、それが平熱だと思っていたようです。
私の同級生を高齢者扱いにすると、私も高齢者ということになるので若いときと比べると、ということで・・・。
50歳以下の人と65歳以上の高齢者のワキ下(腋窩)温を測ると、高齢者では棒グラフの山が左側、つまり低いほうへずれています。具体的には50歳以下の平均が36.89±0.34℃なのに対し、高齢者では36.66±0.42℃であり、高齢者は50歳以下より0.2℃以上低くなっています。
ヒトの体温(腋窩温)は乳幼児では平均37℃台と高いのですが、年を経過するごとに少しずつ下がり続け、10歳くらいで一定の値に落ち着きます。しかし、その後高齢になると再び低下してきます。
ですから、若いころの平熱をずっと覚えていても、現在の自分の平熱とは違っている可能性があります。
ときどき、体調のいいときに体温を測り、自分の平熱を確認しておきましょう。
体温計の目盛りは42度までしかないそうです。
これは、人間は42度を越える熱が出ると死んでしまうからだそうです。
ちなみに、42度という体温は、人体を構成しているタンパク質が固まってしまう温度であり、1度固まったタンパク質は元に戻ることは出来ないということらしい。
普段から、自分の体温を測っておきましょう。あなたの平熱、何度ですか?
したっけ。
「おたんこ茄子」のほか、次にあげる言葉を使ったことがありますか?
意味はちゃんと理解していますか?
今回は、ちょっとリアルな話なので、嫌な人はスルーしてください。
① おたんこ茄子
② ヘタレ
③ おさしみ
④ 気を遣る(やる)
⑤ 上げ底(あげぞこ)
⑥ 貝合わせ
⑦ おちゃっぴー
⑧ 身代金
⑨ 相方
⑩ どら息子
⑪ 本腰を入れる
⑫ 夜桜見物
⑬ 床
⑭ 泣きを入れる
⑮ やり手

① おたんこ茄子:「出来損ないの短小茄子」という意味で、茄子は男性性器のことです。嫌な客にも使います。
② ヘタレ:昔は男性器のことを「へのこ」と呼び、これが垂れてしまう状態を「へこたれる」と言ったことから、情けない人のことを指す意になりました。ですから、女性に向かって「ヘタレ」と言うのは間違いということになります。
③ おさしみ:キスのことです。これは、キスの感触が魚の刺身と非常に似ているため。また、当時は今のような高性能な冷蔵庫もないですから、生温い刺身を食べていたはずです。これが人の舌や唇の温度とよく似ていることから、こう呼ばれたそうです。
④ 気を遣る(やる):性交において男女がオーガズムに達することを言います。「気」は東洋医学で陰陽のエネルギーを持ち、男女が性交によりそれぞれのエネルギーを交換し吸収しあうことで、よい効果を発揮すると考えられていました。また、今でこそ「性交できれいになる」というのは女性誌の特集などでもよくあるそうですが、昔は男性こそ性交で健康美を手に入れられるとされていたようです。健康オタクで有名な徳川家康や毛利元就などの戦国武将も、医者にこの話を聞いて実践していたという記録が残っているそうです。大奥は健康のためだったのか・・・?
⑤ 上げ底(あげぞこ):一般的には、実際より中身を多く見せるために、箱や桶(場合によっては靴)などの底を少し上げて作ったもののことを指しますが、遊郭ではペッサリーのように懐紙を詰めた避妊法のことを「上げ底(あげぞこ)」と言ったそうです。彼女たちにとって妊娠は重大な問題であったと同時に、嫌な客との行為で気を遣らないために使われていたとも言われています。
⑥ 貝合わせ:女性同士の性行為の一種。その形状からまさに貝と貝を合わせてことを行う、という意味でこの言葉が使われました。たとえば、幼い女児は「シジミ」、年頃になると「ハマグリ」、熟女は「赤貝」…だそうです。
⑦ おちゃっぴー:お茶ひきのこと。遊郭で、売れない遊女が場を持て余してお茶でもひくしかない状態。当時は、お茶の葉は臼でひき、茶粉をつくってから飲むのが主流でした。また、お客から声もかけられずお茶ばかりひいているような遊女たちは、おしゃべりでしとやかさに欠けている者が多かったことから、「おしゃべりで活発な女性」を意味する言葉としても使われるようになりました。
⑧ 身代金(みのしろきん):厳しいしきたりのため遊郭では、遊女が外の世界に出るのは結婚してお嫁に行くほかありませんでした。そして男性側は、遊女をお嫁にもらうためには遊郭に莫大なお金を支払う必要があったのです。身代金とは、このように遊女を身請けするための資金のこと。人身売買のお金のことです。身代金が支払われるということは、遊女にとって金で買われることです。幸せであったかどうかはわかりません。
⑨ 相方(あいかた):相方は、今の漢字のほかに「敵娼」とも書き、遊郭で客がお気に入りの遊女を呼ぶときに使う言葉でした。一度「敵娼」を指名したらほかの遊郭の遊女と会うことも禁止という、暗黙のルールもあったそうです。私は詳しくは知りませんが今で言う「永久指名制度」のはじまりのようなものだということです。それがいつの間にか漫才やお笑いの世界でも使われるようになったのです。最近は、彼氏彼女のことを「ウチの相方が…」などと言うこともあるようですが、これはある意味正解であればいいのですが・・・。。
⑩ どら息子:昔は時報に鐘を使ったが、このことを遊郭では「鐘を撞く」(つく)と「金を尽く」にかけたというのだ。つまり、客がじゃんじゃん金を使うようにという縁起言葉の隠語でした。そこから金をじゃんじゃん使い果たす、つまり「銅鑼(どら、すなわち鐘)を打つ」の銅鑼をとって「どら息子」という言い方が生まれたと言うことです。
⑪ 本腰を入れる:実は男女の寝室における「営み方」を指す言葉なのです。昔は男女の営みは「子作り」の為であり、気合を入れねばならないもののであったのです。だから、その状態はあくまでも本式の構えでなければならず、いい加減ではいけなかったらしい。古人は真剣な気構えで性交に臨んだのです。その熱心さ、本気さで万事物事に取り組むということで、現在の用法になった、ということのです。知ってしまうと、つい「もっと本腰を入れてやってくれ」とは言いにくくなってしまうかもしれません。
⑫ 夜桜見物:昔は「吉原」に行こうと言う意味だったのです。ライトアップが無かった時代、吉原だけは灯りが煌々と照らされていて夜桜を見られたからです。
⑬ 床(とこ):「ねどこ」「ゆか」ではなく「房事(ぼうじ)」のことです。「あの客に床をつけた」などと言ったそうです。「客と遊ぶ」も「お祭」も同様の言葉です。
⑭ 泣きを入れる:現在では、泣きついてわびをいい、許しを求める。哀願することです。しかし、元々は遊女が「床」で必要いじょうに痴態、嬌態をすることで、つまり演技をすることです。
⑮ 遣り手(やりて):腕前のある人。物事を巧みに切り盛りすることです。やり手のもともとの意味は、遊郭で遊女の指導・手配などをする女性のことです。時代劇では奥部屋でいろりの前に座って遊女に指示をしたり、「お兄さん、いい娘いるわよ」と呼び込みをしたりする中年女のことです。後にこれが転じ、遊郭に関係なく、切り盛り上手な女性を遣り手婆というようになります。ただし、遣り手婆は、言葉巧みに誘い込むといったような悪い意を含む罵り言葉であり、切り盛り上手なことを賛辞するものではありません。
もう、お気づきだともいますが、これらは全て廓の隠語、「遊郭用語」だったのです。
描写が的確というか何というか…昔の人が考えた言葉って、妙にリアルで、どこか艶めかしさがあります。ズバリと表現せずに婉曲な言い方が妙です。
意外と語源を知らずに使っている言葉があったのじゃありませんか。
「私のおさしみ、いかがですか? 」などと、大胆且つ、機知に富んだ言葉を用いてみると、強大なアピールになるかもしれません。ただし、相方がその意味を知らなければ、せっかくのアピールも無駄になりますが・・・。
なんとも意味深長な言葉だったのです。もう使えなくなった言葉はありますか?
したっけ。