東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

沖縄 1959年6月

2017年10月12日 | 日記

先日のNHKスペシャル 「スクープドキュメント 沖縄と核」は衝撃的だった
番組HPから内容を抜粋する

  45年前の本土復帰までアジアにおけるアメリカ軍の“核拠点”とされてきた沖縄。これまで、その詳細は厚いベールに包まれてきた。しかし、おととし、アメリカ国防総省は「沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認め、機密を解除。これを受け、いま「沖縄と核」に関する極秘文書の開示が相次ぎ、元兵士たちもようやく重い口を開き始めた・・・という切り口だ。

 核が1000発以上も沖縄に持ち込まれ戦争のたびに危険にさらされていたということや、嘉手納弾薬庫に置かれた大量の核を守るためにそ周りにまた核弾頭ミサイルナイキハーキュリーズを配備していたという冗談みたいな事実も衝撃だった。しかし恐らく番組を見た多くの人が度肝を抜かれ「魂(まぶい)を落とした」状態になってしまったのは、この核弾頭ミサイルが誤射されていたというスクープだったろう。

 当時、事故を起こしたナイキ運用部隊に所属していた元米軍兵士、ロバート・レプキーさん(81歳)によると、事故は1959年6月19日、海に面した那覇基地(現在の那覇空港の場所)で訓練中に発生した。一人の兵士が操作を誤り、突然、ブースターが点火して、ナイキが水平に発射。核ミサイルはそのまま海に突入したという。たまたま爆発せずに海中に沈んだらしい。それも米軍がこっそり素早くサルベージしてしまったらしい。核弾頭を積んだミサイルが沖縄の海に落ちていたなんて・・・背筋が凍るとはこのことだ。

 そして注目したいのが、この日付だ。1959年6月。これは教員ならぜひ覚えておかなければならない日付の月なのだ。1959年6月30日に沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校の校舎に米軍の戦闘機が突っ込み、児童11名を含む17名が亡くなる(後に火傷の後遺症で1名亡くなる)悲劇が起こった。

 那覇の基地で核の誤射。その11日後に嘉手納基地の戦闘機が小学校に突っ込む。この密度に驚く。宮森小学校への墜落も原因は人為ミスだと判明している。この時期新型機の導入が続いたことも人為ミスを誘発した原因の一つだという。

 共和国にしろどこの国にろ核実験には断固反対する。しかし恐怖すべきは、飛んでくるミサイルよりももっと身近にある、オスプレイという新型機の配備をしている米軍基地の方にあると断言できる。