東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

感動ポルノ

2016年10月05日 | 日記

内田良氏の「教育という病」を読んだ。1年以上前の刊行になる本だが、ここで指摘された教育の問題は、それ以降クローズアップされることが増えてきた。

例えば組体操。巨大化し、危険性を「つきもの」だからと軽視してきた(安全対策を行うだけで、根本的に見直しを行わなかった)姿勢が指摘されたが、今年度、急速に取りやめたり、簡素化する学校が増えた。

例えば部活動。あまりにブラックな実態が指摘され、本業の授業がおろそかになっている、生徒と教員どちらも疲れ切ってしまう現状が指摘されたが、いよいよ文科省も本気になって部活動のあり方に切り込み始めた。

教員という人種はいろいろな考えの人がいるから良い。組体操が好きな人も、部活動に熱心な人も、もちろんいていい。でもどちらかというと、私はこれらが苦手なたちで、内田氏に心の中で喝采しながら読んでしまった。しかしまあ、そういう問題ではない。好き嫌いではなく、組体操や部活動が何の検証もなく、子どものためになるから、周りからのやってほしいという圧力があるから、という形で続けてこられたことが問題なのだと思う。

そして、もう一つ、内田氏が指摘したことで、私が上記2つよりも、もっと共感し、一刻も早くやめるべきだと考えるのが「2分の1成人式」だ。

いつのころか流行りだしたこの行事は、多くの小学校が、子どもが10歳になる4年生で「総合的な学習の時間」で取り組んでいる。

今まで10年成長してきたことを振り返り、保護者に感謝し、これからの未来に向けた希望を語る。一見いいことのように聞こえるが、まず、これが4年生の「総合」の学習に見合うものなのだろうか、という疑問があった。自分の成長を振り返るという学習は、ほぼ例外なく2年生の生活科で扱っている。その繰り返し。もちろん4年生なりのアプローチができるし、工夫すれば調べ、まとめる力を伸ばす活動にもなるだろう。しかし、内容が「これまでの成長」でなくてもいいはずだ。結局「総合的な学習の時間」になにをやるか、ネタに困って飛びついているだけの気がする。

そして、保護者を呼んで「感謝を伝える」という感動イベント。これが私にはなんとなく気持ち悪くてしかたがない。感動の押し付けを、商売にまですることを昨今「感動ポルノ」というらしい。もともと「障害」者をテレビなどにさらし、感動を呼ぶ番組への蔑称だった言葉だ。「親に感謝する」は、悪いことではないが、ここまで大々的に強制してやらせることだろうか。感動ポルノのにおいがしてしまう。

最大の問題は、内田氏が指摘するように、現在様々」な家庭の背景を抱えている子がいる中で、一律に、自分の生い立ちを振り返らせ、発表させ、親への感謝を強制させることにある。一部(とも最近はいえないが)かもしれないが、虐待などの背景を抱える児童に対して、あまりに酷な内容ではないか。少数への配慮が欠如している。

確かに、自分を振り返り、そこに関わってくれた人々の存在を認識することは大切な学習だ。「障害」者が頑張っている姿を応援するのも悪いことではない(24時間テレビだって、それなりに意味はあるのかもしれない)。きっと感動ポルノと、真に重要な教育は紙一重なのだろう。だからこそ、日々の教育活動や学校行事が、ただの感動ポルノになっていないか、気をつけていきたい。