創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

鬼怒川の足湯と見どころ

2016-08-11 09:24:35 | Weblog

 おはようございます。

 まつ屋の女将は竹久夢二の大フアンなのでしょう。旅館の中に彼の作品を基にした備品がたくさんありました。絵は至るところに飾られています。割りばし入れには夢二の代表作のコピーがあり、そのまま持ち帰ると良いお土産になります。もちろんお土産品コーナーにはたくさんの商品が展示され、販売されています。

 夢二の絵のラベルがあるお酒や御菓子まであります。展示品には非売品も。額入りの大きな絵は非売品のようですが、見ものです。女将の若い時の写真や、相田みつをとのツーショット、なれそめの説明資料も見られます。このコーナーは見もの。おまけに今回、館内には立派なつるし雛も、5段以上の雛段も、内裏様の大きなお雛様も。

 まつ屋は美術館を3つ持っているようです。多分、女将所蔵の品々、それらが飾られているのでしょう。一駅ほど離れていますが、竹久夢二の作品は日光竹久夢二美術館。ここはレストラン、花むらさきと、ゆば懐石料理の椿庵と、お土産品を買える港屋があり、昼食には最適の場所です。まつ屋から無料バスサービスがあり、簡単に行けます。そのバスは昔の乗り合いバスのイメージ通りです。乗ろうと思っていたのですが、日光竹久夢二美術館は水曜日は休館、休館の日はバスサービスがありません。小型ワゴン車で鬼怒川温泉駅に送ってもらいました。

 なお、相田みつを作品展示の相田みつを心の美術館へもバスは寄ります。ここで下車も可能です。レストラン、花茶庵があり、和洋いづれかの懐石料理をここで楽しむことができます。こちらも水曜日は定休日。美術鑑賞が好きな方は水曜日に見学を予定せず、前後の火曜か木曜日に予定すべきでしょう。

 なおまつ屋の隣に日光人形の美術館があります。こちらへは歩いてすぐ、水曜日もオープンしています。こちらもまつ屋が経営しているようです。今回、これら三つの美術館への無料入館券が付いていました。でも人形の美術館は昔見たし、残りの2つは休館日、利用できませんでした。まつ屋のホームページに3つの美術館のリンクがあります。クリックしてぜひ見てください。

 鬼怒川は前年の大雨で乗り場が流されたのか、人気の川下りは不能、夏休みは再開するように聞きました。その他、家族連れ向け施設が整備され、皆さん一家で楽しんでいるでしょう。温泉駅周辺の川岸散歩道は良く整備されています。鬼の像を巡る、スタンプ歩きもあります。山歩きは足痛のため今はできませんが、大吊橋から反対側に渡り、山登りし、見晴らしの良い頂上を目指すのも、良いハイキングです。いろいろな鬼の像を楽しみに、駅とは対岸を歩き、黒鉄橋から線路側に戻る経路に、お土産屋さんがたくさんあります。

 今回も龍王峡にタクシーで公園駅方向、まつ屋の前を通り鬼怒川上流へ。駐車場に停めてもらい、川岸まできつい階段道を下りました。下りるのも大変、登るのも大変。でもリハビリと思い、今回も渓谷中の見どころ、龍がのたうつような険しい流れを鑑賞できる、滝と橋まで下りて行きました。虹が龍に見えるとも言われていたのですが、虹は見えたようですが、現実主義者の私には、龍は見えません。お土産屋さんのイワナの串焼きは名物のようです。私は今回はそのまま温泉駅に戻りました。

 まだ時間もあり、駅前でゆっくりと無料の足湯にはいりました。一部の宿が不調でも、鬼怒川はさびれていません。大きなスパのホテルもお土産屋さんもレストランや喫茶店も、むしろ若い人や家族連れに人気のようです。お爺さんおばあさん以上に、若い女性客がたいへんに多いように感じました。女将会の努力の結果かもしれません。

 私は若い人と並んで、足湯。発車時刻いっぱいまで温泉に入っていました。元気をもらえた原因は足湯だったのかもしれません。今日はここまでにします。

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女将は凄い

2016-08-09 16:09:31 | Weblog

 こんにちは。

 まつ屋は鬼怒川温泉駅前です。5分ほどをゆっくり歩きました。まだ早い時間なのに、若い男性二人が少し先を、まつ屋に行きそうに歩いていました。まつ屋は女性客やカップルに人気の宿です。若い男二人が早々とチェックイン、不思議な気がしました。彼らに続いて、ほとんど同時にフロントに行きました。彼らはどうやら日帰り温泉のお客さん。鬼怒川温泉は日帰りの昼食とお風呂のサービスがある旅館やホテルが増えました。とても良いことだと思います。昔やっていたらなお良かったかもしれません。

 20年ほど前だったか、私たちが元気だったころ、温泉と山歩きで何回か鬼怒川に来たことがあります。バブルが破裂したころも、足利銀行が潰れたころだったかも。鬼怒川温泉は急にお客が減少し、潰れたホテルが多数ありました。1階のシャッターが下りた、さびれたホテルがいくつもありました。バブル客やゴルフ客の豪遊に依存していたからでしょう。

 鬼怒川温泉を支援する施策か、大変立派な日帰り温泉が公園駅の目の前にできました。物珍しいので私も一度行きました。でも松戸や柏の大型銭湯と楽しさはあまり変わらないように感じました。人が少ない露天風呂が広くて良かったのですが、昼食やお酒や休憩サービスがありませんでした。最近の都会型の温泉は商売熱心、いろいろな付加価値サービスがあります。公園駅前の公営温泉は勝負にならないでしょう。言わば箱モノ行政の弊害かも。どこの温泉にもこのような施設が増えました。私は行く気にはなりません。

 当時、まつ屋に立ち寄り、竹久夢二の絵のデザインがある絵ハガキや栞を買いました。子供がまだ学生でしたので、良い詩だと思って、詩が書いてあるお土産を買いに立ち寄っていたわけです。まつ屋は竹久夢二の作品を基にしたいろいろな商品を販売しています。エレベーターのドアーは大きな絵があります。これだけでも大変お金がかかったはず。

 その他、至るところに竹久夢二の作品がデザインされています。割りばし入れやメニューにも。このような大正ロマンに満ちているホテルだから女性客に人気なのでしょう。なお、相田みつをの作品もいろいろ販売していました。廊下にも作品が展示されています。竹久夢二と相田みつをについては後日改めて紹介したいと考えています。

 当時とお土産展示コーナーは変わっていないように感じました。でも、つるし雛のイベントをしていたので、立派なつるし雛がいくつか目立って飾ってありました。お雛様を見ながら、お茶と茶菓子のおもてなしを頂き、早々とチェックインしました。

 なお、色々なホテルで同じようにそれぞれにつるし雛を飾っていたようです。私たちが翌日昼食を頂いた大型ホテルの飾りも見ることができました。雛段付きのお雛様は流石に立派でした。今回、お雛様の調査ができてしまいました。

 部屋に入ってすぐに、まつ屋の女将が挨拶に部屋に来ました。彼女はすべてのお客様に挨拶に来るそうです。高齢になってもです。びっくりしました。若い時は美人と頭の良さで有名な女将さんだったはず。竹久夢二の関係者と、相田みつを本人が支援した、女将が誰かに惚れて誰かを支援した、しかも日光女将会の初代の会長さんです。彼女が築いた財産は全鬼怒川の財産でしょう。私の好みを言わしてもらえたら、竹久夢二ですが、好き嫌いは相性でしょう。

 まつ屋の女将の話は書ききれないほどあります。でもパクリは嫌い。ぜひ、皆さんも一度訪れてみてください。今日はここまでにします。

 

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鬼怒川のつるし雛

2016-08-08 14:45:17 | Weblog

 こんにちは。

 今年の2月、関東は寒波が到来し、寒い日が続いていました。家から一番簡単に行ける温泉は鬼怒川か日光です。都心に出る必要はなく、北千住から東武鉄道で簡単に行けます。特急座席指定券を買い北千住から数か所停まるだけですし、終点ですので慌てて下りる必要もありません。

 ですから日光も鬼怒川も数回訪れています。改めて見学する名所も鬼怒川周辺にもうなく、まつ屋の露天風呂付の部屋を予約し、雪見酒、温泉三昧旅行と洒落込むつもりでした。所が何時もなら線路わきに雪が積もっているはずなのに、ほとんど雪は見えませんでした。日光連山の山々も今年は雪が少なそうに見えました。案の定、駅前には雪はなし。

 北千住のホーム下で買ったサンドイッチを車内で食べ、ビールも飲み、鬼怒川温泉駅で下車していました。雪もなく、鬼怒川も見飽きていて、するあてもなく、食べすぎるのも嫌ですので、何をするか、困っていました。事前にネットで調べたら、鬼怒川温泉駅そばに、足湯に入れる喫茶店がありました。足湯に入りながらランチを頂けるようでした。

 今は修繕されたかもしれませんが、前年の大水の影響で喫茶の足湯は故障中のようでした。残念でした。仕方なく、お土産屋を数件覗き、まだ時間が余っていました。どうしようか、本当に困っていました。所が具合が良いことに、地域の女将の会がきぬ姫まつりのイベントを宣伝していました。そのために駅前のビルでつるし雛を多数展示していたのです。つるし雛とはなんだろう、何れにしろ時間を潰せると思い、中に入りました。見学は無料。お茶も茶菓子もありました。ラッキーでした。

 この地方では昔、お母さんやおばあさんがこのようなお雛様を手作りしたそうです。その昔の実物がたくさん展示されていました。つるし雛は、庶民は部屋の広さも十分ではなく、場所を取らない、手作り。大きな簾のよう。各家庭、吊るし雛が多かったようです。この地方だけでなく、東北地方全体、このような雛が主流だったかもしれません。

 古い段飾りの、私が知っている普通のお雛様もいろいろありました。武士やお金持ちの町民が飾っていたものが。でも、いろいろな吊るし雛がもっと多くあり、勉強になりました。どれもこれも、母親が娘の健やかな成長や、未来の幸せな結婚を願っているように感じました。感じすぎかもしれませんが、東北地方には道教の影響が強くあったようにさえ感じました。

 いろいろな品物を釣るし飾ってある綺麗な簾と言うべきかも。大小色々ですが、簾の形は似ていました。糸に吊るす小さな品物は多種多様。品物は、赤や金の色の物がたくさんあります。多数のおもちゃを一本の糸に吊るし、糸を何本も吊るした簾と言えそうです。犬や金魚、人形や着物やおもちゃや食べ物やお餅、、小判や米俵などなど、多種多様。これらの実物を手にできる子供の生活を願って母親がつくったのでしょう。母親が願いを込めたお雛様。私はこのお雛様の現物をそれまで見たか見ないか覚えていませんでしたが、珍しい物を数々見られました。

 見学に疲れ、駅前の喫茶店で休憩。アイスクリームとコーヒーを頂いて、一休み。そしてまつ屋のチェックインに一番都合の良い時刻の各駅電車で公園駅に行きました。今日はここまでにします。

 

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米沢名物牛肉ラーメン

2016-08-06 14:31:17 | Weblog

 こんにちは。

 駅前に11時前に到着。新幹線の予定時刻まで1時間半近く時間があり、牛肉の昼食ランチを食べて、米沢牛のお土産を買おうと思いました。ネットでさっと調べた居たのですが、いくつか駅前にも肉のお土産屋さんもあり、何でもいいからとりあえず米沢牛を買おうと思っていました。

 お肉のお土産店の前を目星に、駅前でタクシーを降りました。しかし、水曜日は定休日でした。残念、近くのもう一件レストランと肉のお土産がある、大きそうな店に行きました。しかし、こちらのレストランはどうやら11時半からでした。あわただしくなるので、とりあえずレストランはあきらめてお土産屋を探しました。どうやら米沢城のあたりのお土産屋さんで買うべきだったと分かりました。運転手さんに聞くべきでした。残念。

 困って、牛肉駅弁を売っている大きな店に行き、最悪、駅弁を覚悟して、肉のお土産は無いかと聞きました。50メートル先にレストランがあり、多分そこでもお土産が買えるだろうと親切に教えてくれました。後でわかったことですが、どうやらこの弁当屋さんが経営するレストランのように思えます。丁寧に教えてくれたわけです。

 その焼肉レストランのべこやはまだ開店前、やはり11時半からのよう。焼肉を食べられるほど食欲もなく、すでに始めていた小さなカウンターの肉のお土産だけ買いました。保冷剤を入れて、パックに入れ、持ち帰られるからです。孫と一緒に食べるには十分なすき焼き肉と、自分たちが食べる切り落としのコマ切れ肉を買いました。やっと11時になりました。

 べこやの前にラーメン屋さんがあり、米沢はソバも名物ですが、伝統的東京ラーメン的なラーメンも人気だと思っていたので、ラーメンで手を打つことにしました。11時開店だと知っていたからです。開店と同時のお店に、お客はゼロ、古い店内、期待しませんでした。お店のおばちゃんに、何が評判が良いかしら、お腹が空いていないからラーメン2つで良いと言いました。彼女は、牛肉ラーメンが良いだろう、と親切に教えてくれました。案外、安かったので、お腹が一杯でしたが、二つ頼みました。ケチですので。いいえそれは嘘。無駄も残すのも嫌いなので。

 私が頼み終わった直後から、続々とお客が来始めました。サラリーマン、出張者風の二人も牛肉ラーメン。一方がここの牛肉は上手い、米沢に来るたびにラーメンを食べている、ともう一人に説明。私たちは良いラーメンを選択したと思いました。そして家族連れ風の一家の数人と、女性客二人の二組も来たりして、すぐ店は満席。皆さん、牛肉ラーメンを頼んでいました。

 来るのがもう少し遅れていたら、時間がないのが心配、席も危ないところでした。ここは松月と言う目立たないお店です。知る人ぞ知る、皆さん良くご存知なのでしょう。でも、きっと他の店もラーメンが美味しいと思います。牛肉も麺もスープもが美味しいし、おまけに安価でした。

 蛇足ですが、定年退職でシャープ液晶多岐工場に挨拶に行った帰り、松坂の有名店の牛肉を買いました。最後の記念にでした。安くて旨いと言われているコマ切れを。東京には売っていません。100グラム数千円の肉だけ売っているのでは。事実細切れは旨かったのですが、この時も時間はなく、駅の立ち食いそばを食べました。

 ソバ好きのこの私が言うのも何ですが、人生で一番おいしいソバだと思います。都心の3000円はする伝統の天ぷらそばより、600円の肉ソバの方が美味しいかも。肉ソバの、特に細切れの牛肉が旨かった。安かった。今回と同じでした。旨さは値段によりません。ブランドの黒毛和牛は現地で食べなければ嘘でしょう。お金がもったいないです。

 今回の米沢シリーズはこれでおしまい、今日はここまでにします。

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上杉家のお城

2016-08-05 08:40:45 | Weblog

 おはようございます。

 御霊屋を見て感動して、タクシー運転手さんに、城址公園だけに行けば良い、早めに駅に行きましょう、と私が言いました。米沢牛のお土産を孫に買って帰りたかったから、買い物の余裕を残したかったからです。おまけに米沢より小野川に興味があり、事前に米沢市内の観光地図と案内を良く見ていませんでした。城址は石垣と堀に囲まれた、シャープ奈良工場時代、よく子供と遊んだ豊臣秀長の居城の桜の名所を想像していたのです。私が今まで見学したお城はそのような創りが普通でした。米沢も廟所から距離があると思っていたのです。

 ところがどうやらこのあたり全体が城址のよう。米沢は貧乏な藩。米沢藩がお金をかけず作ったお城。山城でもないし、地面に土を盛り、周りに堀をめぐらした石垣もない構造だったよう。役所や真言宗の複数の寺を二の丸に、上級や中級の武家屋敷を三の丸に置く、典型的な平地の城でした。明治になり、そのまま役所に建物は利用されたようです。ですからこの一角全部が城址であり、ごく一部が花見のための公園として利用されているようです。

 まさに、謙信の春日山城と同じつくりだそうです。会津のお城はそのような作りではなかったはず。上杉家の伝統が石垣なしとは驚きました。会津のお城と言えば、鶴ヶ城でしょう。鶴ヶ城も町中にあり、たしか隣に会津の検察の、監獄がありました。米沢城と同じように、周りは市の庁舎があったはず。でも、立派な天守閣はありました。10年前にも登ったことを覚えています。このお城は、会津を継いだ保科家保科正之の居城、悲劇の白虎隊で有名。小学校の修学旅行でも見学しましたが、堀も石垣もある典型的な城らしいイメージでした。

 米沢のお城には石垣もない理由は、金欠と、春日山城の構造に習った説があるようです。でも、私は違うように思えます。上杉の伝統は、町から出て戦う、堀を背に戦う背水の陣なのではないか。負けることを知らない、謙信。川中島の戦いはたまたまの遭遇戦の野戦になった、死ぬか生きるかの戦い。城を攻めるときは石垣も堀も克服する戦法なのかもしれません。だから自分は石垣は要らない。まさに人は石垣なのでしょう。やっと謙信や鷹山公が好きだった本当の理由に出会えたような気がしました。

 城の構造が今のエコ時代に生きているし、鷹山公の施策にすら手助けになったように感じています。日本経済が沈下しても、米沢は必ず発展するでしょう。果たして、上杉景勝や鷹山公はそこまで考えていたか、あの世で会えたら聞いて見たいと思いました。(笑)

 今日はここまでです。南無阿弥陀仏、失礼しました、プロに怒られるかも。素人は大胆に考えてしまいます。

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米沢タクシー観光

2016-08-03 04:06:19 | Weblog

 おはようございます。

 国内旅行の時、最寄り駅から2時間弱ほど、タクシー観光をすることにしています。効率的だからです。着いた観光名所をさっと見るだけで良さそうなら、タクシーを待たせます。ゆっくり見たい美術館や博物館なら、待たせず、お金を支払います。次に行きたい場所まで、タクシー乗り場で、または電話でお願いしタクシーに乗ります。経済的だからです。

 小野川温泉の周辺を散策し、高砂屋をチェックアウト。米沢まで若旦那に送ってもらえました。座席指定の新幹線時刻まで十分に余裕があり、まず1時間のタクシー観光にしました。たまたま1台、駅のタクシー乗り場で客待ちしていました。1時間、名所を案内して欲しい、上杉神社かな、米沢城跡も行きたいな、と運転手さんにお願いしました。

 運転手さんは米沢の歴史にとても詳しい人でした。案内所の人に負けてはいませんでした。彼曰く、上杉家に興味があるなら、まず米澤藩主上杉家廟所は外せない。それから城址公園に行き、駅まで送ろう、と。タクシーに乗らなくても普通の人は歩けるでしょうが、私は坐骨神経痛、妻は膝を痛めていて、歩きは無理なのです。

 私は案内所の男性から仕入れていた知識と、昔、映画で見た忠臣蔵や上杉謙信の話を組み合わせ、いろいろ質問しました。彼は何でも面白く答えてくれました。彼曰く、このような御廟所は日本に二か所しかなく、他には毛利家の御廟所だけだそうです。いつか行ってみたいと思っています。私の祖先を裏切って、家を乗っ取った家の御廟所、まんざら他人とも思えません。(笑)

 運転手さんもでしたが、意外だったのは、米沢の人は吉良上野介がとても優れ者、幕府の時の重鎮に嵌められて、悪人とされてしまった、と思っているようです。なるほど、よく考えてみたら、浅野家と上杉家を喧嘩させ、悪者にして、何れかをとり潰し、その禄高を自分の好きにしたい、幕府の財政の足しにしたい、そんな陰謀があったのか、と思えました。昔から何故か、私は上杉謙信上杉鷹山が好きでした。上杉家の御廟に訪れられて、鷹山のいろいろな言葉や施策や実績の跡をたどり、上杉家の歴史にも虚実があったことを知りました。歴史も虚実同根です。歴史の勉強は人生を豊かにしてくれるでしょう。

 御廟に到着。運転手さんは一緒に御廟に入り、ゆっくりと、いろいろ説明してくれました。いや面白いのなんのって。面白いと感じられるのは知識、知識は財産です。お金以上の財産でしょう。知識は知識の財産をさらに得られます。学校の勉強は、旅行を楽しむ基礎手段でしょう。

 見ただけでは、分からない、代々のお殿様のお墓の違い、各時代の一人一人の御霊屋の違い、違いが生む耐久年数の違いなどなど、タクシー運転手さんの説明は確かに面白いです。しかし、その説明に興味を持てるかは知識次第です。私は会社経験もあり、藩の財政状況すら伺い知ることができました。私にとって温泉見学旅行が面白いのは、学校の基礎知識があり、社会に出ていろいろ経験しているからでしょう。

 歴史に興味がある人には本当に面白い町です。でも、ぼけ老人は上手く説明できず、間違ったことを書きかねません。ぜひ皆さんも米沢のタクシー観光をしてください。情報は足で稼ぐものですし。

 今日はここまでにします。

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土手の桜と丘の苗桜

2016-08-02 12:33:35 | Weblog

 こんにちは。

 小野川の見聞録の続きです。朝、4時前、暗いうちに部屋の露天風呂で温泉治療、肌寒い気温。でもあつめのお風呂にあっていました。出るころにやっと明るくなってきました。涼んで、部屋の椅子でマッサージ。朝食まで、ゆっくりとできました。

 朝食前後にまたお風呂に入りました。チェックアウトまで周辺散策。河原の桜を見に行きました。小野川の土手は蛍の名所でもあります。生息する蛍は源氏ボタル、平家ボタル、ヒメボタルの3種類。3種類が同時に見られる、世界でも日本でも稀な土地だそうです。いいえ世界にただ一つの場所かもしれません。それぞれの蛍の説明を受けたはずですが、忘れました。来年、6月から7月の蛍の見頃の時期に行くつもりです。それぞれを説明するつもりですが、あてにはできません。

 小野川は水が澄んでいます。旅館も町も皆さん清掃に心がけているから水が綺麗で今も蛍がいるのでしょう。そう言えば、私の小学校の時、成城学園の敷地を流れる川に蛍が住んでいました。今はコンクリートの大きな側溝と言うべき川になりました。私は蛍が見たくてメコン川に観光旅行にいきました。

 小野川には今も蛍がたくさん飛ぶ、綺麗な水、環境。幼虫生息に適した、湿地帯。凄いことだと思います。蛍祭りのそのころは、川岸にある小野小町の入った露天風呂も夜までオープンし、催しがあり、お酒おつまみの販売もあるようです。でも環境が保全されている、凄いところだと思います。露天風呂に入りながら蛍を鑑賞できるなんて、日本の良さを再認識できそうです。

 今回は桜の季節、朝日に映える川岸の老桜、満開でした。素晴らしい眺めでした。小町の湯から土手沿いを歩いて、塩田跡に行きました。小野川観光のホームページ紹介があります。詳しく塩田の説明や、小町の謂れがある遺跡があります。30分ほどでも回れるようです。でも、お土産屋さんや食べ物屋さんによると時間はかかります。川岸の休憩場所までビールとおつまみの出前もしてくれるようです。

 塩田周辺の桜を見て、まだ時間に余裕があり、丘の上の桜の公園を目指しました。足が痛いのに、頑張って小高い丘まで登りました。この公園はまだできたばかりのようです。桜の苗木がたくさん植えられていていました。お弁当を食べられるベンチなどがしつらえてありました。数年経つと、花見の名所になるでしょう。

 この桜の公園は公園だけ。道の駅などないのが良いのでしょう。小野川の土手の桜を見降ろせる場所。桜で人を呼び込み、既存の食事場所やお土産屋さんや温泉旅館を利用する人が増えそうに思えました。旅館組合や観光協会、はたまた小野川温泉観光協議会が良く考えて、上手く、村おこしをしていると感じました。高砂屋の若旦那も貢献しているのかもしれません。

 小野川や米沢は歴史、食べ物だけでなく、一番大事な人の和があると感じました。天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。孫子の兵法か忘れましたが、まさに天地人そろった土地なのでしょう。アイベッチユー、です。

 今日はここまでにします。

 

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ステーキとすき焼きを堪能

2016-08-01 04:05:41 | Weblog

 おはようございます。

 運転手さんの若女将と小野小町などの話を楽しんでいるうちに小野川温泉に到着。高砂屋は新装したてのような旅館に、昔の湯屋の趣がありました。チェックインし、部屋に案内してくれて、お風呂の説明など親切にしてくれたスマートな男性が、後程、部屋の係の者が挨拶に来ると言いました。

 翌日、送りの運転手をこの人がしてくれて、車中で雑談し、分かったことですが、この人が若女将の旦那さん、若旦那。米沢駅まで送ってくれました。良い人が来てくれて良かったですね、普通の人ではなかなか若女将はできませんよ、素晴らしい、と言ったら、何と彼はサラリーマンをしていたが、跡取り娘と結婚し、脱サラして旅館の経営をしているそうです。高砂屋の未来は明るいです。

 話を戻して、私たちは早速温泉で汗流し。部屋のお風呂は大きな木の桶に熱めのお湯、24時間、湯治にぴったりでした。湯上りに部屋の無料マッサージチェアでゆっくりできました。

 しばらくして、ノックがあり、ドアーを開けました。とても若い女性が二人、可愛い作業着物で立っていました。若くてびっくりしました。昭和の良き伝統の残る外観なのに、昭和とは程遠い仲居さんが二人もいたからです。

 とりあえず私も正座し、挨拶。お若いですね、と私が言いました。どうやら今年勤め始めた新人のよう。しかも二人は高校の同級生の、仲良しのよう。二人で一緒に勤めはじめました、と言いました。一人がほとんど会話をして、もう一人はニコニコしていました。

 話す人はとてもはきはきして滑舌がなめらか。頭が良く回るのでしょう。おまけにびっくりするくらいの綺麗な娘さん。一方の人はニコニコとおっとりしたふっくらとしたタイプ。負けずに素敵な娘さん。

 会社の採用面接なら、多分、どんな会社でも即合格点でしょう。ついつい色々話をてしまいました。ますます、夕食が楽しみになりました。晩御飯は二人がお給仕でしょうから。

 夕食時間になり、彼女らが御膳を運んできました。イワナもあればすき焼きもありました。土地の野菜料理もある立派なメニュー。板前は若女将のお父さん、若旦那が渉外担当のようです。付き合いも大変でしょう。廊下や部屋の生け花はお母さん、女将がしているようです。隅々まで目が届いて、廊下も飾られています。

 一家の経営する旅館に新しい戦力の高卒の二人が来たのでしょう。こんな素晴らしい経営者家族がいるのだから、きっと二人は素敵な仲居さんに育つことでしょう。新人は指導者と経営者次第で成長するものです。彼女らはきっと良い仲居さんに育つかも。または引き抜かれて嫁さんにされてしまうかも。再会を楽しみにして、毎年来たい旅館です。私は必ず再訪します。

 なお、旅館のうたい文句は、米沢牛のステーキとすき焼きが食べられる心身美しくなる湯、私が創りました。食べきれない様な大きさのステーキ、200グラム以上かも。山菜付きのすき焼きです。黒毛和牛好きにはたまらない旅です、旅でした。黒毛和牛さんの成仏を祈って、南無阿弥陀仏。

 今日はここまでにします。

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