おはようございます。
箱根湯本は半地下のような感じがするホーム、改札周辺は綺麗に整備されていました。まず年寄りはどこでも用をたします。ゆっくりと階段を上り、改札を通りました。そこは2階、お土産コーナーや喫茶店や切符売り場のスペースでした。
50年以上前、中島弘之さんと来た時は改札を出たホームから車道にかけて旅館の番頭さんがそれぞれののぼりを持って待ち構えて客引きをしていました。そこで橘の紫色の旗を見つけ、旅館の車で案内していただきました。今でも、私にとってこれが箱根のイメージです。記憶は不思議です。
それから何度も箱根湯本に来たことがあります。いつの間にか番頭さんの客引きはなくなりました。でも何時なくなったか、定かではありません。多分、当局の指導もあって、旅館組合が自主的に止めたのでしょう。安い循環バスがあり便利と言っているようです。でも、年寄りは温泉地の循環バスを利用しません。他人がいると不愉快な目にあうと言うトラウマがあるのです。おばさんもおじさんも恐怖なのです。ですから歩きかタクシー、または送迎車から都度選びます。
案内所は歩道橋を渡り階段脇。色々な場所のパンフレットを入手しました。今までは、箱根に来ると、何はともあれ登山電車、まず強羅。そこからケーブルカーで早雲山。そしてロープウェイ、ゴンドラで大涌谷から終点の芦ノ湖。途中の大涌谷はゴンドラからでも見もの。でも私にとって、大涌谷を越えて、下り。進行方向、遠くに見える富士山。箱根はこのイメージなのです。最高のデートになると思います。
時間があれば遊覧船で観光できます。芦ノ湖に映る富士山も絶景、有名です。でもやはりデートならゴンドラ。そのままゴンドラで戻るべき。このコース、10年ほど前に来た時、アメリカ人やドイツ人が多かったように思えます。英語やドイツ語を話す西洋の人がたくさんいました。私も片言英語とダンケシェーン、ダンケだけで何とか交流していました。外国人と観光地で仲良くできるのは箱根がベストだと思っていたのです。
今は、ロープウェイも再開していますが、新年当時、大涌谷の噴煙の危険性があり、ロープウェイは運休。海外旅行客も減少したとニュースになっていました。私ができる箱根経済支援のためにも湯本でした。本音は、観光客が少ない方が私の好み。しかし、駅前の観光案内やバスターミナルのあたりは混雑していました。ゆっくりできるムードではありませんでした。
箱根の混雑の理由が分かってきたと思えました。中国語が飛び交い、大家族の旅行客が歩道やバスターミナルに溢れていたからです。町全体が混んでいるから、12時前にレストランを決めようと思いました。商店街の上り坂を歩きながら、箱根名物のそば屋やレストランやお土産屋さんをいろいろ覗きました。でも、何かしっくりきませんでした。
それでも、迷い迷い、200メートルほど歩きました。お店はあれど、混雑しているか、お客が居ないかの両極端。不思議としておきますが、理由は演繹できそうです。調べないで来た我々がいけなかったのです。結局、反対側を歩いて、駅方向に戻りました。ますます混雑。決められず、案内所まで戻ってしまいました。
一番近くて一番大きそうな、高そうな、富士屋ホテルでコーヒーとケーキで我慢しようと思いました。夜のリゾートホテル、あうら橘は料理長の料理が自慢だからです。本音は、貧乏人は食べてはいけない立派な昼食コースだろうと想像したから、かも。いいえ、両方あり、昼食を食べるかどうか迷っていました。
富士屋ホテルの立派な建物が山の上にそびえていました。駅前に富士屋ホテルの案内所もあり、橋を渡り、エレベータでロビー階に上がれると言われました。軽食のランチもあると。親切な笑顔の女性従業員さんでした。こうしてやっと昼過ぎに富士屋ホテルのロビーに到着しました。流石に綺麗でした。お土産コーナーも、小田原名産品の即売もあり、立派でした。
昼ご飯の話まで届きませんでした。まだまだ箱根は続きますが、今日はここまでにします。