蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

精神分析現象学ゲシュタルト 1 

2022年05月16日 | 小説
(2022年5月16日)Jacques Lacan著セミナー第2巻を読んでいます。3章の主題はLe circuitなんとこれを訳すか。前向き意義から順に「周回、一周巡り、堂々巡り、元の木阿弥」が候補となるか。章題に否定の語感は選ばないから一周巡りとしたいが、それが何を比喩(換喩)するのかはこの段階では不明。副題に « Maurice Merleau-Ponty et la compréhension » メルロポンティと理解。 « la compréhension » は彼が理解するところ理解力であり、一般的な理解を意味するのではないは明白。LacanがMerleau-Pontyの学説と能力程度を批判する 、それが実は一周巡りなのだと主張するかと覚えた。


知覚の現象学を主唱したMerleau-Ponty ネットから


早速序文;<Nous allons nous interroger sur la conférence extraordinaire d’hier soir. Vous y êtes-vous un peu retrouvés ? La discussion a été remarquablement peu divergente. Voyez-vous bien le cœur du problème, et la distance où Merleau-Ponty reste irréductiblement de l’expérience analytique ?>(本書99頁)訳:今日は昨晩に開かれたとてつもない講演について議論するつもりだ。君たち、なんのことか見当がつくかな。一幅にも議題は振れず、とある方向に向かい白熱した。問題の核心を思い出しているはずだ。それはメルロポンティが「分析的事実」から取り戻しできないまでに距離をおいている事実である。
引用文で « extraordinaire、irréductible »の語が重なり用いられる。読む側としては肯定的意義を見いだせず、Merleau-Pontyの学説の陥穽を挙げ、頑なに彼はそれと主張している、これがLacanの言い分かと受け止める。
この講演とは一体どこで、どのような演題だったのか不明。1955年1月18日の夕であったとはセミナー日付から特定できる。Merleau-PontyはCollège de Franceのchair(教授)に就任している(1952年)から、同施設での公開講演だったと伺われる(同院教授は学生講義は免除されるが公開講座の義務を受ける)。この時点で共産主義とは決別したがサルトルとの確執は解消されていない。左派とされる人(hommes dits gauche)からの批判も受けていた。そのような雰囲気を匂わせる表現が本文中にも挿まれる。
<Il y a un terme sur lequel la discussion aurait pu porter si nous avions eu plus de temps, à savoir le gestaltisme>もし時間に余裕があったのならきっとあの語に付いて言及が持たれたはずだ。その語はゲシュタルト思想。<Je ne sais pas si vous l’avez repéré au passage, il a poussé à un moment dans le discours de Maurice Merleau-Ponty comme ce qui est vraiment pour lui la mesure, l’étalon de la rencontre avec l’autre et avec la réalité>
訳:君たちはそれ(ゲシュタルト思想)が講演の筋たてでどの位置にあるかに気づいたかどうかは知らないが、一時において、あたかも指標の如く標準原器の如くにしてそれが彼を現実に向き合わせていたのだよ(同)。
ここに来て形容詞形容動詞の用い方で幾分かのトゲの刺さりが読めた。ラカン先生側に事情があった、「ゲシュタルト」が気に入らなかったのです。
ドイツ語 « Gestaltisme » ゲシュタルトの仏訳は « forme » 形。形とは構成物の集成で、一体化され常に一定の形状に収束する。こんな考え方を情念的に捉える思考傾向であって« ―isme »が付属するも、どなたか偉い哲人が「学、思想」として体系化されるまでには至っていない。形を主体として捉えるこの思考傾向は、時として社会科学に応用される。困った時の助け舟の哲学用語辞典(Puf版)にもGestalt項目は立てられていないから、哲学が取りざたする概念ではないとしている。心理学ではこれを主張する一派が戦前のドイツで結成されていた。Wikipediaの一節を引用;
<心理学の一学派。人間の精神を部分や要素の集合ではなく、全体性や構造に重点を置いて捉える。この構造をドイツ語でゲシュタルト(Gestalt :形態)と呼ぶ>
フロイト学説を受け継ぐラカン先生にとり精神は客体、入れ物であり、主体は個が「過去経験を底流に共時的に押し込める」「二重構造」を謳うから。ゲシュタルト心理学とは対立する。ラカンはそれを自然哲学(原始的思考)の派生として軽んじる、現象学も同類。そんな文句が本書のそこかしこに見つかる。ゲシュタルト心理学を認めないラカンが、この傾向をMerleau-Pontyに嗅ぎつけた。
精神分析現象学ゲシュタルト1の了(2022年5月16日)

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