(2025年3月21日)英国の出生コホートの調査結果と日本受刑者Nの例を挙げ、人生の境目で人はどのように運命を選択するか、その姿勢のカラクリを当ブログで紹介した(3月1日から主題1~3)。人は自分自身を選ぶ、これがブログの訴えかけです。(他者からみて)前向き、後ろ向きは織り交ざるけれど、その周回点での判断に必ず自分が構えている。これが「自分を選ぶ」所以です。別の言い方は「自己責任」、発動もその結末も、節目を越しての人生のあり方も、折り返しなしの「自己判断」です。
人生の節目としたけれど、人生を迎える生まれの前から実は、子は自分を選んでいる。出生前に選んだ自分は負い抱えては背肩に辛い。しかしこれが人生。故に人生の始まりは生まれる遥か前の、どこかの空に浮いていたあの自分が原点、表題の隠れ副題となります。
なぜ生まれの前から人生が始まるのか。部族民の妄想ではありません。立派な人類学者のご説を借りている(いつもの通りです)。
部族民は彼の著作「構造人類学Anthropologie Structurale」の紹介(Youtube、ホームページ2023年3月)でフロイトの「エディプスコンプレックス」についてのレヴィストロース解説を紹介した。またソフォクレスが謳ったエディプス神話と北米プエブロ族の天地創造神話の「構造的」つながりを明らかにした。
本書から読んで流してはまさに不運、そんな一文に行き当たった : « Le mythe des d’Œdipe offre une sorte d'instrument logique qui permet de jeter un pont entre le problème initial, naît-on d'un seul ou bien deux ? Et le problème dérivé qu'on peut approximativement formuler : le même naît-il du même ou de l’autre ? Par ce moyen une corrélation se dégage : la sur-évaluation de la parenté de sang et à la sous-évaluation de celui-ci comme l'effort pour échapper à l’autochtonie est à impossibilité d'y réussir. » (Lévi-Strauss, Anthropologie Structurale, 構造人類学page239)
オイデプス神話は本章の当初からの問題へ解決の手段を与える。問題とは人は一人から生まれるのか、二人からなのか。これに問いかけが類似する別問題をも提起する。それとは人は己から生まれるのか、他者からか。考えを進めると、とある筋たてに沿い推理が走る。それは血族関係の濃密と疎遠の連関で、それらは(どちらも)人の大地生れを避ける手段とみなされるが、成功しない結末を迎える。
引用文のみでの理解し難い、前の文節内容を述べる。エディプス神話でのエディプス、父王ライオスその先代も、それら名の由来が「足の不自由」。それをして彼らが「土からの生まれ」を暗示する(これはレヴィストロース推測ではなく、古代ギリシャ神話研究デルクール女史(Marie Delcourt ベルギー1979年没)の見解です。レヴィストロースは土から生まれを「Autochtone土着民」で表す。本邦の言葉、産土ウブスナの意とも似通う)。

子の生まれの真実、現実を否定する宇宙論の勝利。本スライドはYoutube投稿に合わせて作成。

神話はカドモス・エウロペ、アンチゴネの悲運を前後に謳う長編叙事と成すから、エディプス神話群と言える。それら挿話いずれもが「男の土生まれ、怪獣退治、近親姦(血族関係の濃密さ)」が語り筋の本流です。エディプスは怪獣退治(スフインクスの謎解き)を見事に遂げ、足の痛みも収まり、近親姦を避けるべく放浪する。テーバイに向かう路上諍いで父王ライオスと口論となって、馬車に追いかけられるも、父とは知らず太刀殺す挿話は怪獣退治の結末、足の完癒を語る。それが誘いの手順で、母との婚姻に陥る。
(新大陸北米プエブロ族の神話では人の土生まれ、怪獣退治、近親姦が同じく語られる。時と場の離れる2の神話の構造比較に行を割く)
レヴィストロースが提案するのは現実に対立する宇宙論。土生まれも怪獣退治も宇宙の世界。現実は父が母と交合し、子は母から生まれる。「一人からか二人から」かの出どころは、現実が全てなのかの疑問です
はソフォクレス(エディプス神話作者)にこの対立が提起され、フロイト(精神分析)はエディプスコンプレックス、人の深層心理に宇宙論がうごめくと指摘した。そこに見えている現実を人は受け入れる、しかし人の心情は異なる。父と自称する見知らぬ男は不要、母をものにしたい。これが両者の言い分で、宇宙論の優位で重なる。
レヴィストロースは神話群のもう一つのテーマ「人の土生れ」を宇宙論に織り込む。エディプスが土から生まれたならば、一人から、母からの生まれでもない。我の生まれは我本人か赤の他人からかの問いとなる。 « le même naît-il du même ou de l’autre? » がその意味です。文は « donc la cosmologie est vraie » (同)よって宇宙論が正しい。
子は己を選び土の中から這い出る、レヴィストロースの宇宙論です。
部族民は人の本人生まれに注目した。「子は生まれる前に自分を選ぶ」となる。母から生まれ落ち、家族とともに生き抜く行動は現実です。母の慈しみ父の加護がなければ子は生きられない。成長してその庇護から抜け出す。人生節目の選択で己を選ぶ。その子に浮かぶ心象は原本人なる己の姿だろう。英国出生コホートの調査結果とNの生き様を読んで、自分という自意識の奥底どこかに、生まれる前の「原自分」が棲んでいる。彼と俺がこの自分を作っている。母は生を与えてくれたきっかけ、愛おしい血族。でも父は全くの他人。そして節目では生まれの前の宇宙を振り返り、彼の選択、すなわち原自分を選ぶ。
その居場所が土中の底か天空の果か、まだ探せていない。しかしこの宇宙、どこかに赤子の予備兵がひしめいている。次は「僕が生まれる」と期待に胸をふくらませている。彼はいずれ生まれる。でも彼に君は親を選べないのだとは誰も教えない。
子は親を選べない自分を選ぶ 4(最終)了(3月21日)
本投稿に関連する過去の記事アドレスを張っておきます。
Youtube動画リンク 1 https://youtu.be/MfKe-BckyOY
2 https://youtu.be/5PaCqaosYdk
ホームページ www.tribesman.net
本投稿関連頁 https://tribesman.net/Anthropostruc4.html
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