近江国 安土城址から東へ10km位の辺りを中心にした平野は、古代には蒲生野(がもうの)と呼ばれた。一面の草原であり林も点在していた。
当時、大津に都を置いた天智天皇は、宮廷の人たちを連れてここに来て、女達は薬草などを摘み、男達は狩をするなどして一日を遊ぶことがしばしばあったと思われる。
万葉集にもゆかりの歌が少なからず記載されている。この船岡山を中心に、万葉の森と呼ばれる由縁である。
大津から来ていた人たちの中に、大海人皇子(後の天武天皇)も、兄天智天皇の妃であった額田王(ぬかたのおおきみ)もいた。
大海人皇子と額田王とは好いて好かれた中であった。
しかし、天智天皇が即位するや額田王は天智天皇に召されてしまって、二人は顔を合わす事もなくなっていた。
それが、ここ蒲生野に来て、二人はそれぞれ今日ばかりは、うきうきとした開放感に浸っていた。
額田王が他の女官たちと野草を摘んでいると、遠くの方で大海人の皇子が、馬に乗って行ったり来たり、手を振って挨拶までする。(君が袖を振るのである)
その状況がこの壁画に描かれている。
この万葉の森公園は、船岡山中に逍遥路が設けられており、万葉歌碑が並んでいる。丘の頂上からは蒲生野が360度の視野で展開する。
また、麓の万葉植物園も楽しい。
ところで、過日、紹介しましたイヌザクラですが、Yahooで検索してみると、どうもこれはイヌザクラでなくて、ウワミズザクラの様な気がする。
下の図は牧野さんの図鑑からのコピーだが、花のついている枝に決定的な違いがある。ウワミズザクラは花の房の下に、葉がついているのに対して、イヌザクラは葉がないのである。
blogアップの時に判りやすい方の名を遣ってしまった。御免なさいね。
前々回のblogで写真の下から2番目の写真の右端の上の方の花の房を見ると、その枝の下には2-3枚の葉が付いているのがわかる。
ここに謹んで訂正します。イヌザクラはウワミズザクラでありました。
当時、大津に都を置いた天智天皇は、宮廷の人たちを連れてここに来て、女達は薬草などを摘み、男達は狩をするなどして一日を遊ぶことがしばしばあったと思われる。
万葉集にもゆかりの歌が少なからず記載されている。この船岡山を中心に、万葉の森と呼ばれる由縁である。
大津から来ていた人たちの中に、大海人皇子(後の天武天皇)も、兄天智天皇の妃であった額田王(ぬかたのおおきみ)もいた。
大海人皇子と額田王とは好いて好かれた中であった。
しかし、天智天皇が即位するや額田王は天智天皇に召されてしまって、二人は顔を合わす事もなくなっていた。
それが、ここ蒲生野に来て、二人はそれぞれ今日ばかりは、うきうきとした開放感に浸っていた。
額田王が他の女官たちと野草を摘んでいると、遠くの方で大海人の皇子が、馬に乗って行ったり来たり、手を振って挨拶までする。(君が袖を振るのである)
その状況がこの壁画に描かれている。
この万葉の森公園は、船岡山中に逍遥路が設けられており、万葉歌碑が並んでいる。丘の頂上からは蒲生野が360度の視野で展開する。
また、麓の万葉植物園も楽しい。
ところで、過日、紹介しましたイヌザクラですが、Yahooで検索してみると、どうもこれはイヌザクラでなくて、ウワミズザクラの様な気がする。
下の図は牧野さんの図鑑からのコピーだが、花のついている枝に決定的な違いがある。ウワミズザクラは花の房の下に、葉がついているのに対して、イヌザクラは葉がないのである。
blogアップの時に判りやすい方の名を遣ってしまった。御免なさいね。
前々回のblogで写真の下から2番目の写真の右端の上の方の花の房を見ると、その枝の下には2-3枚の葉が付いているのがわかる。
ここに謹んで訂正します。イヌザクラはウワミズザクラでありました。