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村山定男先生の色紙

2013-08-31 22:55:23 | 
8月13日、元国立科学博物館の村山定男先生が死去されました。享年89歳でした。
当ブログにても、8月15日に思い出等を書きました。
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何枚か色紙にサインをいただいたのですが、見つかりません。
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と書いたところ、ブログを時折見ている元阿武隈天文同好会員から連絡がありました。
管理人が村山先生の色紙が見つからないとのこと、自分で持っているより管理人に差し上げます
とのこと、ありがたく頂戴しました。


角田の星の友と
にぎやかに送る
ハレー彗星の年
昭和第二丙寅師走
村山定男

76年ぶりに帰ってきたハレー彗星を一目見ようと全国各地で観測会が開催されていました。
チロキャラバンの76cmの反射望遠鏡を宮城県伊具郡丸森町に来ていただきました。
その時、いただいた色紙だと思います。

さて、昭和第二丙寅ですが、丙寅は、「十干十二支」で「ひのえとら」と読みます。

十干十二支は、古く中国から伝わり、十干(じっかん:こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き)と
十二支(じゅうにし:ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い)を組み合わせて、
数字のかわりに長い年数、日数を表すために使われてきた。

十干は、陰陽五行説とつながって、甲=木の兄(きのえ)、乙=木の弟(きのと)、丙=火の兄(ひのえ)、
丁=火の弟(ひのと)、戊=土の兄(つちのえ)、己=土の弟(つちのと)、庚=金の兄(かのえ)、
辛=金の弟(かのと)、壬=水の兄(みずのえ)、癸=水の弟(みずのと)と呼ばれた。

十二支は、中国で古くから暦の月の呼び方や、時刻、方角にも使われた。もともとは十二ヶ月の順番を示すただの
符号であったが、のちに動物に結びつけられた。

ということで、昭和時代の丙寅は
昭和元年(1926年)
昭和61年(1986年)
の2回ありました。
村山先生が角田に来られたのは
昭和61年(1986年)の師走(12月)でした。

この時は、チロ望遠鏡の丸森町への到着が遅れたこと、曇っていてハレー彗星はおろか星も見えませんでした。

阿武隈天文同好会は来年10月で創立40年を迎えます、現在会員は10名です。
角田市・丸森町及び周辺の人で構成されています。入会当時、高校生であった者も進学等で角田を離れ
各地で活躍していることと思います。
角田付近に戻っている者もいると聞きます。再入会の打診をしましたが、現在は子育てが忙しいとか
天文にあまり興味がなくなった等でした。
今まで述べ会員数は70~80名かな?(数えたことがありません)







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