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伊能忠敬記念館

2020-06-13 23:43:31 | 
朝日新聞 6月13日 第2宮城版



教育・文化・スポーツ わがまちお宝館
伊能忠敬記念館(千葉・香取市)
生涯 定年後の”道しるべ”
 55歳から全国を歩き回って正確な日本地図をつくった伊能忠敬。北へ、南へと
歩いた距離は地球1周に近い3万5千キロに及ぶ。千葉県香取市の伊能忠敬記念館は、
「伊能図」や測量器具など国宝2345点を収蔵し、生涯を紹介している。
 伊能を小説『四千万歩の男』に書いた作家・井上ひさしのお気に入りの一品が館内
にある。地図ではなく肖像画だ。井上は別の著書『四千万歩の男 忠敬の生き方』で、
「忠敬先生画像というのが一等好きである」「何時間眺めていても一向にあきると
いうことはない」と評した。かみしもをつけ、猫背で正座している。そんな雰囲気が、
自身が思い描いてきた伊能の人物像に合い、「小ずるそう」という印象なのだという。

 記念館がある香取市佐原は、伊能が17歳で酒造業者に婿入りした地。商才を存分
に発揮し、事業を急拡大した。「偉人だが、それだけではあるまい」というのが井上
の見方だ。伊能は利根川の洪水などの災害時に地域のリーダーとして活躍し、名字
帯刀を許された。
 学芸員の山口真輝さんは伊能について「勤勉で実直。自分にも、周囲にも厳しい
方だったようです」という。49歳で隠居した後、かねて興味を抱いていた天文学
を学ぶために江戸に出た。そして10次に及ぶ全国の測量の旅。第9次を除くすべ
ての現場で指揮をとった。
 展示品の中に、ミカン箱ほどのユニークな測量器具「量程車」がある。引いて歩
くと、車輪の回転によって歯車が回り、自動的に移動距離を示してくれる。設計者
は伊能の19歳年下の師匠、高橋至時とされる。
 ただ、量程車が活躍する場面は少なかった。当時地方には未整備の道が多く、
車輪での測量には不向きだった。名古屋、金沢などの城下町で使ったくらい。
結局は鉄の鎖、縄などで測る作業をこつこつ続けた。
 事業家として成功を収め、隠居してからは好きな道へ。山口さんは「目標に向か
って進んでいく姿勢がすごい。精神面も体力面も。あこがれですね。」
 伊能が73歳で没してから約200年が経ち、今や人生100年の時代に突入し
た。50、60代の来館者が増えているのは、定年後の生き方を模索するのは、
伊能のエネルギッシュな生涯が重なるからかもしれない。(恵藤公浩)

★管理人は2018年11月、伊能忠敬記念館を見てきました。
当ブログ、2018年11月11日に見学記を書いています。

★仙台の星仲間から
管理人様
ご存知かもしれませんが,毎日新聞に伊能忠敬の記事を見つけました。
「没後200年・伊能忠敬を歩く」

月1回程度の連載だ。
第1回 2018年5月24日 千葉県九十九里町 測量後、通り過ぎた生家

第23回 2020年5月28日 国会図書館デジタル「伊能図」 高い絵画性も兼ね備え

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