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柴田外記朝意350回忌法要

2020-04-19 23:27:08 | 之波太:柴田
 寛文事件で亡くなった柴田外記朝意公の350回忌法要が柴田家の菩提寺の大光寺
で行われた。
寛文事件は、伊達騒動とも呼ばれている。
 万治3年(1660)、3代藩主伊達綱宗が不行跡で幕府から隠居させられると、
その子亀千代(綱村)が幼くして藩主となった。藩政の実権を握る伊達兵部宗勝は、
田村右京宗良や原田甲斐宗輔とともに反対勢力を弾圧した。おりから亀千代の毒殺
未遂事件も起こり、これに対し伊達安芸宗重は、この不正を幕府に訴えた。
 寛文11年(1671)3月27日、大老酒井雅楽頭忠清邸での2度目の審問の
席上、伊達安芸は原田甲斐に斬り殺され、その乱闘のなか原田甲斐も古内志摩義如と
柴田外記朝意に切られた。柴田外記も深手を負い、その夜に亡くなった。
 山本周五郎は、小説『樅ノ木は残った』(昭和33年)で、原田甲斐を身を捨てて
藩の存亡の危機を救った人物として描き出した。昭和45年、この小説を原作に
NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」(主演:平幹二朗)が作られ人気を呼んだ。

小説「樅ノ木は残った」柴田町を訪ねる第1弾
として本日開催予定であったが、新型コロナウイルスの拡大防止のため、2~3部を
中止として第1部のみ関係者数名の列席で行った。

大光寺本堂

柴田外記朝意の位牌と350回忌法要の塔婆

献供された草餅
柴田外記朝意の墓は館山東麓の「御霊屋」にあったが、明治に入っては遺骨は大光寺に。
御霊屋は朝意神社となり、白鳥神社に合祀された。
白鳥神社では昔、朝意祭(旧3月27日)は俗に「くさもちまつり」と称し、特に草餅を
献供していた。朝意公は草餅が好きだったとの記録はないが、旧3月27日頃はヨモギの
新芽が出る頃、このヨモギを使って草餅を作ったのではと思って、大光寺の住職に
お願いして用意していただいたもの。
法要が終わってから、供養だということで少し草餅をいただいてきた。
家に帰ってから家族で食べた。おいしかった。


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