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しばたっ子応援団 in 船迫中学校

2018-01-16 23:57:48 | 之波太:柴田
しばたっ子応援団(学校支援ボランティア)の活動で1月15日(月)午後、船迫中学校に
行ってきました。

中学校は初めてです。

昇降口には「しばたっ子応援団 ※※※※様 ようこそ船迫中学校へお越し下さいました。
二階校長室までお越し下さい。本日は宜しくお願いいたします。」
の立看板がありました。

1学年の社会科で授業です。
「船迫地区の歴史を知る」と題して5校時の45分の授業を行ないました。
担任の先生が始めの講師紹介、最後の質問・まとめを行なうので、実質35分です。
社会科の教科書には次の記述があります。
・中世の日本
・鎌倉幕府の成立と執権政治
「頼朝は、本格的な武士の政権である鎌倉幕府を開きました。
これ以後、鎌倉に幕府が置かれた時代を鎌倉時代といいます。
さらに、義経が平泉の奥州藤原氏のもとにのがれると、
頼朝は、義経と藤原氏も攻めほろばし、全国を支配下に置きました。」


このような内容で授業を行ないました。
鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」にある柴田町関連の記述の説明。
・頼朝船迫に逗留
・陸奥国芝田郡に石降る
・芝田次郎、源頼朝の命に抗す
担任の先生からのリクエストの上野山古墳群の他、
鎌倉時代の作と伝えられている船迫にある大光院の
・文化財鉄造阿弥陀如来座像
・大光院絹本着色両界曼荼羅図
についても取り上げました。
35分ジャストで管理人の分を終えました。
担任の先生が少し早めに終え、管理人が持参した隕石、土器、瓦を手に触ってもらいます。

音楽室で行なったので、鍵盤の絵の机です。

机の上の右手の黒いものは管理人所有の隕石です。
左にある黄色のものは「雨乞のゆず」です。

吾妻鏡には次の記述があります。
寛喜二年(1230)十一月大八日乙未。晴。大進僧都觀基參御所。申云。
去月十六日夜半。陸奥國芝田郡。石如雨下云々。
件石一進將軍家。大如柚。細長也。有廉。石下事廿余里云々。
読み下し
寛喜二年(1230)十一月大八日乙未。晴れです。
大進僧都観基が御所へ来て云いました。
先月の16日の夜中に陸奥国柴田郡に石が雨の様に降ったそうです。
その石の一つを将軍頼経様に差し出しました。
大きさは柚子程度で細長くて、角があります。
石が降ったのは二十余里に渡ったそうな。

ここに大きさがゆず(柚子)程度とあるので持ってきました。
初めて触れる隕石に生徒たち興味津々です。
左の瓦は船迫地区にある兎田遺跡から出土したものをしばたの郷土館から借りてきました。

船迫中学校1学年2クラス61人、授業途中の撮影は出来なかったので授業が終わって
机・椅子を片付けているところ。
生徒たちに「船迫」という地名は鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に出てくる。
「ふなばさま」と読んでもらえるようもっと発信してほしいとエールを送って終りとしました。




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