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鬼子母神とザクロ

2016-10-02 23:37:45 | 之波太:柴田
10月30日、平成船岡ものがたりの一環として、「飯渕七三郎翁の足跡と船岡用水めぐり」
を予定しています。

本日、コースの下見を行いながら所要時間の測定を行った。
コース後半に、蓮華寺(日蓮宗)を予定している。
ここは、柴田家の奥方や家臣の墓がある。
また、東北初の直木賞作家「大池唯雄」の墓がある。
境内には「子育てイチョウ」があり、案内するにはもってこいのところである。
いつも境内にある「鬼子母神堂」を通り過ごしているが、今日は扉が開いていたので、
見たところザクロの暖簾があったりするので、少し調べてみた。

鬼子母神堂、元和元年(1615)柴田外記が、登米市東和町米谷より所替えとなった時、蓮華寺と
ともに現在地に建立安置され、子どもの神さま安産の神さまとして広く信仰されている。

暖簾にザクロが

堂内が少し見える

兵庫県豊岡市 円融山 法華寺 HPから

 インドの神話にハーリーティーという女神がおりました。漢訳仏典では‘訶梨帝’(カリテイ)
あるいは‘訶梨帝母’(カリテイモ)と呼ばれております。
彼女には、五百人の子供がおりました。一説には、彼女の子供は千人とも一万人とも云われて
おります。
 しかし、じつは、訶梨帝母は夜叉女、鬼女でした。人間の肉、とくに、幼い子供の肉を食べて
いたからです。でも、訶梨帝母は前世においては、陽気な普通の女性だったのです。
ただ、踊りが大好きで大好きで、あるお祭りの夜、お腹に子供が宿っていたのにも拘わらず、
夜を徹して派手に踊り回って、その結果、流産してしまったのです。
そして、次の生で、彼女は、夜叉女、鬼女となってしまいました。ただ、前世において、聖人に、
五百個のザクロを献上しておりました。

その功徳があったため、彼女には五百人の子供が授かったというわけです。
 さて、この訶梨帝母、インドのマガダ国の首都、王舎城の街で、人間の幼い子供をさらっては
食いあさっておりました。王舎城の人々は困ってしまい、お釈迦様に、「何とかしてください」と
頼んだのです。
 そこでお釈迦様は、ある日、訶梨帝母の五百人の子供の一番下の息子を神通力で、かくして
しまわれました。
 息子がいなくなったのに気付いた訶梨帝母は、王舎城の街を必死になって探し回ったのです。
でも、見つかりません。そしてとうとう、訶梨帝母はお釈迦様のところに、相談に来たのです。
お釈迦様は、やや、からかい気味に、彼女にこう言われました。
「おまえは五百人も子供がいるのだから、一人ぐらいいなくてもいいじゃないか。」
「とんでもございません。親にとっては、どの子も、どの子も、みんなかわいいのです。」
 そう訴える訶梨帝母に、お釈迦様は次のように諭されたのです。
「人間の親は数人の子供しかいないのです。その子供をおまえはさらって食っている、その親の
悲しみが、おまえにはわからないのですか。」
 そう言われて、訶梨帝母は、はじめて自分の過ちに気付いたのです。そして改心し、仏教に
帰依するようになりました。
 改心し、仏教に帰依した訶梨帝母を、仏教では、鬼子母神と呼んで、子授かり、安産、子育て
の神様としてお祀りしているのです。
  私たち、日蓮宗では、法華経を所依する経典として、毎朝、読んでいますが、鬼子母神は、
その法華経の二十六番目、「陀羅尼品」に登場致します。この陀羅尼品の中で、鬼子母神は、
「法華経を信じ、その教えを実践していこうとしている人を守護します」とお釈迦様にお誓い
しています。そのため、私たち日蓮宗の僧侶は、鬼子母神に御祈願するとき、必ず、陀羅尼品も
読むのです。
 また、鬼子母神とザクロはとても縁があります。その理由は、ザクロの実には、たくさんの
種が含まれております。そのため、古くからザクロは、子福と豊穣の吉祥果として親しまれ、
五百人の子宝に恵まれた鬼子母神を象徴するのに、まことにふさわしいものとなったのです。