富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

オウム事件:教団元代表の松本智津夫死刑囚の刑を執行

2018年07月06日 | Weblog

 2018.7.5に死刑が執行された。死刑より真相解明を主張する少数派の意見がある。僕はそうは思わない。伝統的な中国学では、確信犯に死刑をもって断を下すのは、犯人の礼儀である。自然死は、自らの意志に潜む思想性を無視し、溝におちて野垂れ死にするのとおなじ獣の最後の姿である。法務大臣の執行命令書をもって、国家がその思想行為を非として死刑に処すのは礼を尽くした処遇である。そのことにより、1000年後の歴史家が、名誉を回復することも可能となる。松本の没年が国家記録に残される。これは、二・二六事件の首謀者たちと同じ、国家反逆罪に相当する儀装である。西洋式の人権論では、国家の礼の重みを否定し、全てを個人と個人との関係に解消する。松本は、日本国に代わる別の国家を武装反乱により創造しようとした「狂った思想犯」である。罪名が刑法的に細かく行為別に裁かれたとしても、「小さな思想家」である。だから、名誉ある死の儀礼という配慮を要した。それは、国立大学生を含む「知識」青年が実行犯であるかぎり、彼らも「小さな思想家」である。孔子の歴史学では、「死刑」は国家の儀礼であり、国家という思想の次元での異端として裁かれたという名誉と、歴史の再解釈権を与えるのが「法による死刑」である。それは、「私刑」とは異次元の、国家としての儀礼の形である。東京大学の中国法制史学の権威が、儒学の根本が理解できていないために、小生が中国学の立場から論理課題を整理させていただいた。キリスト教学からの死刑廃止論は、日本の法制史の基本にある孔子法学とはなじまない。価値観がまるでことなる異教を東アジアに持ち込んでも、参考意見にとどまる。松本の名は後世の検索しても、再発掘できる。松本の死刑に反対する屁理屈を立てた論者は、2018.7.7には人々の記憶にも記録にも残されない。それほどに、名というのは大事な歴史要素である。


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マネーゲームにハマった武田薬品工業

2018年07月06日 | Weblog

 <武田薬品工業が、大阪市中央区の本社ビルを売却する。10月にも入札を行い、年内に売却先を決める方針で、周辺のビルなどを含む売却額は600億円程度になる見通しだ。同社はアイルランドの製薬大手シャイアーを約6兆8千億円で買収する計画。財務の悪化を和らげる狙いがあるとみられる。>と報道されている。一般に古くなった本社ビルを売り、新社屋の費用にすることは、よくある話だ。もし、総合商社の思考法なら、アイルランドの企業のM&Rに社運を賭ける選択をしない。地道に販路拡大、国別の販売権の取得など、時間をかけてターゲット企業を傘下におくのが正解である。新薬開発という鉱山業のような山師がうむ莫大な特許収益に目を奪われ、ついに、名前は武田であるが、日本企業であることを自己否定するマネジメントに堕ちこんんだ。これは、営業力よりも、まずはパテント権という金融資産への投機行為である。M&Rで傘下に入れた企業の従業員に、日本式経営の良さを移植するのは極めて難しい。これには現地の長期滞在する優良な社員をもってしても困難である。YKKは、武田製薬工業とは、正反対の国際企業として安定している。株式も非上場である。武田は、創業家と番頭たちとの関係が国際化のなかで壊れ、野心的な外国人のマネジャーに経営の権限を奪われ、それを英米法により合法化されてしまった。富山の薬業には、武田の犯した誤りを避け、YKKが歩んだ道、それぞれの国の土地の子になる国際交流人材を育成する「人としての成長」に基本軌道をおくことが求められる。

 


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習近平の自己リスク:笑いのない顔

2018年07月06日 | Weblog

 習近平は、官僚の腐敗を厳しくしすぎた結果、あらゆる権限を一身に背負うリスクを自己に課した。判断ミスができない。その恐怖は、いかばかりか?孤独な密室での決断 が迫られる。と同時に、国家元首として、あらゆる問題のレクチャーを受け止め、専門家は、あとはリーダーの英断を待つ。時に優柔不断、時に早すぎた決断、タイミングを絶妙に図る。こうした独裁者をサポートする秘書が1000人いようとも、心底の敬愛をうけているわけではない。毛沢東や周恩来、鄧小平の世代の創業者と比較すると、彼は中国共産党の経営再建に創業者と同等の開拓精神をもって、不正の追及と極貧の農民の救済に取り組んできた。しかし、官印がすべて資本として計算される人民元の価値体系においては、一方で利が生まれても、他方で損失が計上される複式簿記原理の思考法などを勘案すると、安倍晋三さんと比較するならば、世界の第一級の政治家としては、習近平の人気を支える客筋と、大新聞を敵に回しても、支持率を支える客筋と、その客筋の道徳文化水準の差異は、50年の差異がある。それは、中国共産党の共産主義思想の「少年性」に起因している。日本の自由民主党の「老成」は、禅宗、浄土宗、日蓮宗、儒学、神道、そしてキリスト教という多元主義、文化相対主義の強みである。中国人の分かりやすくいうと、日本は梁啓超の道筋と同期している。中国は孫文ー毛沢東の道筋から離れられない。習近平は、文化一元主義にたつ素朴な唯物思想のワナにかかり、自己のリスクやストレスを和らげる人としての言い逃れを遮断している。この苦しみが顔に現れている。これは、愚妻からの質問のメッチャ難しい版の回答だ。愚妻は、習近平は本当に心から笑った顔をしないのはなぜか?そうなんです。お笑い芸人と、バカ話するTV番組に出演する心の余裕がないのです。

 


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朝刊がビニール包装で届きました:朝乃山の持久戦略

2018年07月06日 | Weblog

 矢来の豪雨、朝4時に新聞受けをみたら、きちんとビニール袋に入って届いていました。しかも、大相撲名古屋場所の星取表が、折り込みではいっていました。とくに、朝乃山のところは、濃ゆい色のインクで強調してありました。そこで、朝乃山さんの良いところをコメントしておきます。まず、十両の力士には全力を出し切り、幕内から陥落しないように競争心を最大にしていることです。それと、モンゴル系の力士の共同体の目の敵にされないように、なるべくけがをしないようにリスク・マネジメントしていることです。こうして、郷土からの過度の期待という重圧を背負わないで、前頭10枚目から16枚目をキープする賢い耐久戦略に徹しています。こうして持久戦に耐えて、最大で10勝、最小で7勝という枠内で、幕内場所数を積み上げることに徹しています。富山人には、熱狂は不要です。漢方薬のように、持続性という勝利ポイントが大事です。特に大事なのは、無理にモンゴル系の異常な対抗心をもたないで、持続意志の弱い力士の脱落を待ち、前頭10枚目から16枚目に入り込んでくる十両の上位との取り組みに全精力をそそげばいいのです。つまり、大相撲という世界のトップ・リーグにどれだけ長くとどまり続けることが、最大の郷里への貢献だといえます。これは、富山の企業についてもいえることです。一流の集団の最下位グループからは転落しないことである。巨木は倒れやすい。武田薬品は、大きくなりすぎて日本の製薬企業ではなくなりました。そこには、利をみて義を思わない無理があるのです。この朝乃山の立ち位置は、絶妙なんですね。7敗以上の負けを避けるというのは、毎場所、出場して、それを持続するのは意外に難しいものなんだ。人生100年の時代、現役であることがまず大事ではないだろうか。きちんとビニール袋に入れ宅配してくれる新聞のシステムは、政府と喧嘩する新聞社よりも大事なんだ。少なくとも、早起きのジーさんの頭へのエサやりになる。朝乃山さんは、呉羽人の巧みな中間的の多数派に帰属する経営戦略のたまものです。


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7月5日(木)のつぶやき

2018年07月06日 | Weblog

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