中国の場合、唯物論という哲学が、中国共産党の認識論の基礎にあるのが、強みでもあり、弱みでもある。強みは、過剰な「科学信仰」である。そのため、説明できるものは、学理として外国から導入される。まず、製造業における生産の科学は、異常ともいえるほど、「交通大学」を中心に発達している。ここでは、マルクス主義の教条は、棚上げされる。だから、経営学は「管理学」という名称で中国化されている。世界の工場といわれるだけに、生産工学は進化している。国産旅客機では、日本は敗退したが、中国では挫折していない。独自に国産戦闘機も稼働域に入っている。日本が優位な分野は極めて少なく、そこにはすでに中国から博士生として優秀な人材が送りこまれているというか、個人が自発的に伸び筋を見つけている。中国の大学は、教育効果が高く、日本式の生産管理はすでに消化ずみである。経済学に関すると、中国では「資本論研究」に特殊な努力をしないで、社会主義のよる国民経済のオペレーションの優位性をみいだしたシュムペーター学説がベース理論となっている。このような「モノ」と科学の単純信仰では、現実の人間社会の諸問題は解決できない。そこで、彼らは「中国特色」の学問を必須としている。それが、「管子」「孔子」「荀子」さらには、漢代の王充などの伝統心性の再学習である。ここへきて、古典は、現代の口語訳で容易に理解できるようになったため、指導者の講話には、古典の引用がある。個人としては、孔子をきちんと理解し、行動に生かしていないと幹部にはなれない。今や、中国の高級官僚は、人事には、告知の期間があり、予定者が告示され、その人物の就任を非とする人民からの密告が奨励されている。それを特殊に扱う国家機構が憲法に明文化されている。国民による公務員の監察権は、孫文が1906年、東京で講演したときに述べた「五権憲法論」に起源し、台湾の憲法にも存在したが、うまく機能しなかった国民の監察権に基づく。中国の憲法は、不思議にも孫文の先見性にそって改訂された。これで、台湾の憲法の良さを消した。