「ゆとり世代」は、極めて不幸だ。国際的に第一流の知の世界は、ある意味、高水準にまで伸びあがり、高いレベルで「知の壁」に遭遇している。知の総合化により、新次元を拓こうにも、生身の脳の情報処理の能力を超えている。頂点では、飛躍の時代ではなく、頂点からの平準化にむけて裾野を広げる時代へと移行した。今は、知の世界の三角形の下方に向かい陳腐化した旧学説を駆逐する状況にある。このような状況では、底上げに失敗した研究グループは、科学研究の戦列から脱落し、最先端からみれば数百年の差が生まれている。これは、歴史学が極めて象徴的な世界である。現代史の最先端にいるファーガスンの学説を理解するのは、最低でもシュムペーターの経済発展の理論を理解し、駆使できる能力が必要である。そして、彼が計量経済学会の会長でありながら、統計推論の数学を初心者として学ばなければならないほどに、かの天才においても「知の坂道」が立ちはだかった。ところが、逆に数学を使わないで、Textだけで構築された論理を読み解くには、劇画を主体とする脳を使用してきたゆとり世代には、かの長文の読解は容易ではない。チエンソーで立ち木を切り倒せる時代に、斧で大木を倒すようには脳ができていない。すでに教える側では、図解を主体とするコンビ二本からのパクリで教材を構成している時代だ。大学の教育の現場では、オリジナルな研究をそのまま講義する「大学院特殊講義」において、前の年度と同じという状況が続いてる。しかも、ドイツ語や英語の外国語文献を読破する購読というタイプの授業も廃れた。パワーポイントで画像や音声によるテレビ番組、クイズ、アンケート、簡単なディベート・・・、どんどんんと日本の若者の知の体力である「脳」を鍛えるTextからの脳内の情報処理の力を奪ってきた。2050年以後は、自然科学・医学・経済科学の世界において、もうノーベル賞クラスの「科学者」は、日本人からは現れないだろう。それでも、すでに東京大学の合格を辞退し、ハーバード大学への入学が進んでいる。僕は、富山県の剣道連盟の小学生に講演を頼まれたとき、「知の坂道」のあるハーバード大学を目指すようにお勧めした。その気持ちは変わらない。気の利いた親は、子供にTOEFLの道を勧めている。英語は、たえず膨張している。英語教育の現況、片山学園など私学の英語指導者の現況からみて、富山県は確実にローカル・ルールに酔いしれている現況から脱落するだろう。