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◆海の上に悲しみがある。

2016年09月07日 17時17分28秒 | 聖書
それは静められない。(エレミヤ四九・二三英訳)
 
私たちは今この時間に海の上にどのような悲しみがあるか知らない。静かな自分の部屋で安全である。しかし、はるか遠くの海上では、ハリケーンが残酷にも人の命を奪おうとしているかもしれない。聞け。死の波風が船の綱を引きちぎるばかりに怒号しているのを。波が破壊のつちのように打ちかかると、船の骨組みははずれそうになる。神が、あわれな、ずぶぬれのあなたを助けてくださいますように! 私は、海陸を統べ治める大いなる主に向かって祈る。主があらしをなぎとし、あなたを目指す港に着かせてくださるように。
私は祈りをささげるだけであってはならない。絶えずいのちの危険にさらされている人たちのため、益をもたらすことを努めなければならない。私は彼らのために何をしたであろうか。何をすることができようか。
どれほどしばしば、荒れ狂う海が水夫たちを飲み込んだことだろう。海底には幾千という死体が横たわり、海の上には死の悲しみが漂っている。それはやもめや孤児の泣き叫ぶ声のこだまである。多くの母親や妻は海を思いつつ泣く。無情の大波よ。おまえは女たちの愛と家庭の支柱を飲み去った。海がその死者を吐き出す時、大海の深い洞窟にはなんという復活があることだろう。その時まで海の上には悲しみが漂っている。
さながら陸上の悲しみに同情するように、海はとこしえに無数の海岸に打ち寄せ、海鳥のような悲しみの叫びをあげ、不安なうつろな波の音をとどろかせ、騒然たる不満の叫び声を上げ、怒りのざわめきを発し、あるいはまた、無数の小石のつぶやく声でわき立っている。海のとどろきは、喜びの声をもつ人には楽しいものだろうが、悲しみの子にとって、果てしなく広がるこの世界より、さらにわびしい。これは私たちの安息の所ではない。休みなく寄せる波がそう告げている。
かなたには、海がもはやないという国がある。私たちは主が語られたその国へ行こうとしている。顔を堅く向けて。しかし時が来るまで、昔海の上を歩み、海底を通って民を無事に導かれた主に、自らの悲しみをお任せしよう。
 
 

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