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◆初 動 が 大 切

2015年07月05日 16時49分20秒 | 聖書

争いの初めは水が吹き出すようなものだ。
争いが起こらないうちに争いをやめよ。(箴言一七14)

堤防のすきまの一点からちょろちょろ水が流れ出していたのが、やがて大きく破れ、どっとあふれる場景が目に映るようです。
ある夫婦は、夫が妻の親戚の悪口をひとこと言ったのがもとで大げんかとなり、それがたび重なって、とうとう離婚をしました。あるグループは、講演会の席に造花を飾るか生け花にするかで争い、ついに真っ二つに割れました。争いの初めは小さくても、その結末は大きな破滅です。
「人生、神に背き、神に敵対していると大変です」とお話ししたら、「先生、わしゃ大丈夫。神に敵対なんかしちゃいません。『触らぬ神にたたりなし』で祭りあげていますよ」と答えた中年の男性の方がいました。多くの人は、神に背いたりなどしていないと考えているかもしれません。放蕩も強盗殺人も詐欺もせず、人さまに迷惑をかけずに生きている。――そのとおりでしょう。しかし、神をそっちのけにし、自分の欲望のままに生き、おれがおれがとエゴのために生きて、神は祭りあげています。それが神との争いの初めであり、ちょろちょろと、すでに水は吹き出しています。やがて、堤防が決壊するのです。水がもれていることを早く認めて、手当てしなければなりません。
今は亡き升崎外彦先生から、こんなお話をお聞きしました。彼の教会に出入りしていた、みんなからばかにされていた男が、漁師の手伝いに雇われて漁に出かけました。船は大しけに会い、全速力で港に帰ってきました。ところが、その男一人が見当たりません。よく捜してみたら、何と船底で、その男は死んでいたのです。そして、腕一本全部を船底に開いた穴に突っこんで、水を防いでいました。
キリスト・イエスの十字架こそ、神のさばきをふさいでくださる神の愛の腕だったのです。

 


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