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◆神はあらかじめ定めた人々をさらに召し……。

2016年10月11日 16時25分19秒 | 聖書
(ローマ八・三〇)
テモテヘの手紙第二、一章九節には「神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいました」と記されている。ここに、私たちの召しを試す試金石がある。それは、「私たちのわざによるのではなく、神ご自身の計画と恵みによる聖なる招き」である。
この召しは、私たちの救いに関して、自らの行為に頼ることを全く禁じ、自分の救いのためにキリストにのみ導く。さらに、救われた後、私たちが生けるまことの神に仕えるために、私たちの死んだわざを取り除く。あなたを召された方は聖なる方であるから、あなたも聖くなければならない。もしあなたが罪のうちに生活しているなら、あなたは召されているのではない。しかし、あなたが真にキリストのものとなっているなら、次のように言うことができよう。「私にとって罪ほど苦しいものはない。私は罪を取り除きたい。主よ。私を助けて聖くしてください」と。これがあなたの心のあえぎであろうか。そして神に対する、神のみこころに対する態度であろうか。
ピリピ人への手紙三章一三、一四節には「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神」について記されている。あなたの召しは、上への召しであろうか。それはあなたの心を高め、天上の事柄にあなたの心を置いたか。またあなたの希望、趣味、願望を高めてきたか。あなたの生活の不断の調子を高め、神と共に、神のために生きるようにさせたか。
さらにもう一つのテストがある。それは「天の召しにあずかっている」かどうかである。天の召しとは、天よりの召しを意味する。あなたの召しは神から来たものか。そして天への召しであるか。地では旅人であり、天があなたの故郷でなければ、天の召しを受けたとは言えない。なぜなら、召された者は、神の不動の礎をもつ都を待ち望み、自らは地において旅人であることを断言するからである。
あなたの召しは、このような聖なる、上への、また天の召しであるか。では、愛する友よ。あなたは神に召されたのである。
 

「3年間引き続いてききんがあった。

2016年10月11日 16時24分27秒 | 聖書

そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた」(IIサムエル21:1)

祈っても祈っても、なぜか感触がなく、答えが無いことを経験するだろうか。
又、何か、引き続く状況が目の前にあるだろうか。

そんな時の、鍵をダビデが示してくれている。
ダビデは3年間の続くききんの中で、ききんが何とかなるように、「どうか、何とかして下さい」と、祈ったのではなくて、「主のみこころを伺った」。

ダビデはこの事の中に、主の御顔を求め、主の御心を求めた。豊作を求めたのでなく、この事の原因を伺った。

この祈りは主の心にかなったようで、すぐに答えが来た。サウルがギブオン人を殺すという罪を犯していた。
盟約を結んでいたに関わらず、サウルは熱心の余り罪を犯した。

その罪を神はお許しにならなかった。
そこで、ダビデはギブオン人たちを呼び、彼らが求める通りに、その事の償いを果たした。

「その後、神はこの国の祈りに心を動かされた」罪が示され、その償いをした時に、神は祈りに目を留められた。

罪は祈りの障害となる。罪があるなら、祈りは聞かれない。
「あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いて下さらないようにした」。
熱心に祈っても答えが無い時には、立ち止まって、原因を求め、主の御心を伺おう。

主はその祈りに答えて、御心を示し、祈りを軌道修正し、正しく導いて下さる。
祈りを点検しよう。
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答えのない祈りもメッセージだ。祈りすれど手応えのない時、吟味してみよう。
神様との正しい関係にあるだろうか。今祈るべき祈りは、悔い改めの祈りかもしれない。
御心を示されますように。


今日の聖人の記念日

2016年10月11日 07時20分24秒 | キリスト教

聖ブルーノ司教(ケルン)

925年ごろ-965年

 ブルーノは、ドイツ皇帝ヘンリーと聖マチルダの末子として生まれた。幼いときにユトレヒトの教区神学校で学び、その後父の弟の皇帝オットー1世のもとで教育を受け、940年にはオットーの宰相となった。950年に司祭になり、3年後にケルンの大司教に任命されて、司教区内の教会や修道院の改革、および司祭や信徒の教育に尽くした。また政治家ロレーヌ公爵としても、神聖ローマ帝国の政策を平和的に推進するなど貢献した。聖職者であり政治家でもあったが、決して矛盾することなく、神のため人びとのために生涯をささげた。彼が、ケルンに建てた聖パンタレオン修道院は、新しい建築様式 ― ロマネスク時代の表現をもたらし、今日までその美しさを残している。

聖ヨハネ23世教皇

1881年-1963年(在位1958-1963)

 教皇ヨハネ23世(アンジェロ・ジュゼッペ・ロンカッリ)は、1881年11月25日、北イタリア郊外ベルガモのソット・イル・モンテの農家に生まれた。

 幼いころから司祭へのあこがれを持ち、1892年にベルガモの神学校に入学した。神学校時代の14歳から書き始めた信仰の記録「魂の日記」は、生涯書き続けられた。
 1904年8月10日、ローマのサンタ・マリア・モンテ・サント教会において、22歳で司祭に叙階された。翌年、ベルガモの新司教ジャコモ・マリア・ラディニ・テデスキ師の秘書となった。
 第一次世界大戦が勃発し、イタリア戦線がはじまった1915年に招集を受け、最初は衛生兵として、その後は従軍司祭として軍の病院に配置さた。

 1921年にバチカンに呼ばれ、イタリアの福音宣教事業評議会の会長として働き、1925年に教皇ピオ11世からブルガリアの教皇使節に任命された。1935年にトルコとギリシャの教皇使節に、1944年には教皇ピオ12世からパリに教皇大使として派遣された。
 1953年に枢機卿に任命され、ベネチア総大司教として着座した。

 1958年10月28日、ピオ12世の後を継いで、76歳で教皇に選出された。
 4年と7ヶ月の短い在位中、エキュメニズム(教会一致)を目指し英国教会大主教をはじめてバチカンに招いた。さらに、東西冷戦の解決を模索し、平和の実現のために働いた。

 また、教会の刷新のために力を注ぎ、1962年10月に第2バチカン公会議を開幕した。
 しかし、第2バチカン公会議の終了を待たずに1963年6月3日、聖霊降臨の日に帰天した。84歳であった。

 2000年9月3日、教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福され、2014年4月27日教皇フランシスコによって聖人の列に加えられた。


◆口先だけの贈り物

2016年10月11日 07時18分59秒 | 聖書

贈りもしない贈り物を自慢する者は、
雨を降らせない雲や風のようだ。   (箴言二五14)
ユーモラスな言い方です。雨の少ないパレスチナでは、雨を降らせない雲や風は小憎らしいものだったでしょう。私の友人で、毎年会うごとに「君、季節になったら名物のカキを送るよ」と必ず言うのですが、まだ一回も送ってくれない人がいます。
ところがある時、北海道から新鮮なとりたてのアスパラガスが、航空便で送られてきました。何も前ぶれがなかったのです。また、別な時には、一びん何千円もする高価な栄養剤がいくつも届いたので、どうしたのかなと心待ちにしていると、「ボーナスが入りましたので……」とハガキが来ました。こんな場合は、思いがけないうれしい喜びも、いっしょに受けとりました。
パウロは、神の愛について、こう言いました。「私たちが罪人だった時、私たちが神の敵であった時、私たちが弱くみじめであった時、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神の私たちに対する愛が分かりました」(ローマ五6810参照)。
ヨハネも同じように言いました。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ四10)。
神は、口先だけで愛して何もしてくれないお方でなく、何も言わずに、そのひとり子イエス・キリストを与えてくださった方なのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ三16)。
 

◆私たちの手をも心をも天におられる神に向けて上げよう。

2016年10月11日 07時18分13秒 | 聖書
(哀歌三・四一)
祈りは私たちに自らの無価値を教える。それは高慢な私たちにとって非常に有益な教訓である。もし神が、私たちの祈りなしに恵みを与えられるとすれば、私たちは決して、自分の貧しさを知らないであろう。しかし、真の祈りは欠乏の目録であり、必要のカタログであり、隠れた貧困の暴露である。それは神の富を求めるものであるが、また人間の空虚さを告白するものでもある。クリスチャンの最も健全な状態は、常に自己を空しくして主の供給により頼むことである。常に自己を貧しくし、キリストにあって富むことである。自分は弱いが、神によって強くされて偉大なわざをなす。それゆえ、祈りは神をあがめるものであるが、それは被造物をそのあるべき位置、すなわち、ちりの中に置くものでもある。
祈りへの応答もさることながら、祈り自体がクリスチャンに大きな益をもたらす。競技をする者が日々の練習によって技をみがくように、私たちも人生の大レースにおいて、堅い祈りの労苦によって力を得る。祈りは神の若鷲のように翼を整え、雲の上にかけ上ることを学ばせる。また祈りは神の戦士の武装を整え、その筋骨をたくましくして戦いに送り出す。熱心な祈りの人が密室から出て来るのは、あたかも太陽が東の天から上がろうとしているのに似ており、元気いっぱいの若者が、喜びにあふれてレースに出場するのに比べられる。祈りは、モーセの上げられている手である。それは、ヨシュアの剣にまさってアマレク人を敗走させる。それは預言者の部屋から射られた矢であって、アラム人の敗走を預言するものである。祈りは人間的な弱さを神の力によって強め、人の愚かさを天の知恵に変え、悩む人に神の平安を与える。私たちは祈りによって成し遂げられないというものを知らない。
大いなる神様。あなたの恵みの御座に感謝します。それはあなたの驚くべきいつくしみの不動の証拠であるからです。どうか、私たちを助け、この一日、それを正しく用いるようにさせてください。
 

ヨブ記14章1-6節

2016年10月11日 07時16分42秒 | 聖書


14:4 「だれが、きよい物を汚れた物から出せましょう。だれひとり、できません。
14:5 もし、彼の日数が限られ、その月の数もあなたが決めておられ、越えることのできない限界を、あなたが定めておられるなら、
14:6 彼から目をそらして、かまわないでください。そうすれば、彼は日雇い人のように自分の日を楽しむでしょう。」



 神から直接に言葉を語りかけられないヨブは、更に神に呼びかけます。

人は汚れた者ですから、あなたが求められるような清い心を見いだすことはできません。

また、人が生きることができる年月をあなたが決めておられるので、それを超えることも人にはできません。

すべてのことはあなたがご存じであり、またあなたが決めておられます。

ですから、願いとして、人が少しでも生きている日々を楽しく送ることができるように、あなたの御支配であるみ手を、私たちから遠のけてください。

そうしたら、私たちはちょうど金銭を得た日雇い人のように、その日だけでも楽しむことができるでしょうから、というのです。

神の御手は、自分には厳しすぎるというのです。


イザヤ60章全体(テサロニケ人への手紙第二3章)

2016年10月11日 07時11分53秒 | 聖書


★省略します。

■O:今日のコラム
ここは、有名な『起きよ光を放て』という箇所です。この60章の内容は、希望に満ちた部分です。なぜなら、主の栄光の教会が、地上に現れ、イエス様が再び来られ、千年王国が到来し、花嫁は、主と共に治める者となり、新天新地が到来し、主の栄光が私たちを照らすようになる事までが描かれているからです。
  ところで、聖書には、昔は章節はありませんでした。それは13世紀に始まったのです。つまり、イザヤ59章とこの部分は、つながっているのです。59章を見ると公義がないと心を痛められた、とあります。この公義という語は(へ)ミシュパットで、さばきの事です。『自らを裁く者は裁かれません』とありますが、自らを裁くとは、自らの罪を告白し、悔い改める事です。『兄弟に向かって腹をたてる者は、裁かれなければなりません』とは、そのような者は悔い改めなさい、という促しなのです。
  悔い改めて、イエス様の性質を身につけていく者が、59章にある、神の武具を身に付ける者なのです。そうして、主の霊によって猛烈なリバイバルが起こるのです。その締めくくりにはこうあります。

『「しかし、シオンには贖い主として来る。
 ヤコブの中の
 そむきの罪を悔い改める者のところに来る。」
 ――主の御告げ――』(イザヤ59:20)


■A:考えてみよう
熱心な悔い改めを持って、主の来られる備えをしていきましょう!それが、主の来られる備えをするバプテスマのヨハネの霊が注がれた者の歩みです。


■P:祈り
熱心な悔い改めをもって我が主の来られる備えをさせてください。神の悲しみを分かち合って、深い悔い改めへと日々、導いてください。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


10月10日(月)のつぶやき

2016年10月11日 01時36分09秒 | キリスト教