この召しは、私たちの救いに関して、自らの行為に頼ることを全く禁じ、自分の救いのためにキリストにのみ導く。さらに、救われた後、私たちが生けるまことの神に仕えるために、私たちの死んだわざを取り除く。あなたを召された方は聖なる方であるから、あなたも聖くなければならない。もしあなたが罪のうちに生活しているなら、あなたは召されているのではない。しかし、あなたが真にキリストのものとなっているなら、次のように言うことができよう。「私にとって罪ほど苦しいものはない。私は罪を取り除きたい。主よ。私を助けて聖くしてください」と。これがあなたの心のあえぎであろうか。そして神に対する、神のみこころに対する態度であろうか。
ピリピ人への手紙三章一三、一四節には「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神」について記されている。あなたの召しは、上への召しであろうか。それはあなたの心を高め、天上の事柄にあなたの心を置いたか。またあなたの希望、趣味、願望を高めてきたか。あなたの生活の不断の調子を高め、神と共に、神のために生きるようにさせたか。
さらにもう一つのテストがある。それは「天の召しにあずかっている」かどうかである。天の召しとは、天よりの召しを意味する。あなたの召しは神から来たものか。そして天への召しであるか。地では旅人であり、天があなたの故郷でなければ、天の召しを受けたとは言えない。なぜなら、召された者は、神の不動の礎をもつ都を待ち望み、自らは地において旅人であることを断言するからである。
あなたの召しは、このような聖なる、上への、また天の召しであるか。では、愛する友よ。あなたは神に召されたのである。