全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカ二・二)
彼らの賛美の主題は何であったか。彼らは、聞いたことについて神を賛美したのであった。救い主が彼らのためにお生まれになったという大いなる喜びの良いおとずれのために賛美したのである。私たちも彼らにならおうではないか。イエスと主による救いについて聞いたことを、私たちも感謝して歌おうではないか。
彼らはまた、見たことのゆえに神を賛美した。そこには最も妙なる音楽――私たちが経験したこと、内に感じたこと、自らのものとしたこと――がある。イエスのことを聞くだけでは十分ではない。単に聞くだけでもたてごとは鳴るかもしれない。しかし、生ける信仰の指が音楽を奏でるのでなければならない。もしも神が与えてくださった信仰の目をもってイエスを見たならば、琴の糸にくもの巣などを張らせず、声高らかに主権者の恵みを賛美し、あなたの琴を目覚めさせよ。
彼らが神を賛美した一つの点は、彼らの聞いたことと見たこととの一致である。「話のとおりだったので」というところに注意していただきたい。あなたは、福音が聖書に語られたとおりであることを見いだしてはいないか。イエスはあなたに安息を与えると言われた。あなたは彼にあって、すばらしい平安を味わっていないのか。イエスはあなたが信じることによって喜びと慰めといのちをもつと言われた。あなたはこれらのすべてを受けてはいないのか。主の道は快い道であり、平安の道ではないのか。あなたはきっと、シェバの女王とともに、「私にはその半分も知らされていなかったのです」と言うであろう。私は、キリストが、そのしもべたちが語ったよりもはるかにまさる妙なるお方であることを見いだしてきた。私たちの王の美は、あらゆる想像上の美よりもはるかに輝いている。
私たちの「見た」ものは、「聞いた」ものと一致する。いやそれよりもはるかにまさる。それゆえ、このように尊く、恵みに満ちた救い主のために、神をあがめ、神に賛美をささげよう。