座間コミニティー

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◆家庭に忠実であれ

2013年02月19日 10時53分08秒 | 聖書

他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、
その口は油よりもなめらかだ。
しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、
もろ刃の剣のように鋭い。         (箴言五3―4)

聖書は、けっして禁欲主義を教えていません。神の与えてくださったこの世界は、第一義的には祝福なのです。聖書は、この世を浮き世と呼んで否定したり、この世を捨てて出家したりするようには、けっして教えていません。かえって夫婦が愛し合って家庭をつくり、仕事にも励むことを命じているのです。クリスチャンになったからといって、信仰に熱心になったからといって、この世の祝福を避けるようにとは言っていません。かえって、社会の第一線で活躍するように励ましているのです。
神は人を男と女に造られ、祝福として性を与えておられます。人間が家庭をつくっていくために、性の喜びを与えてくださいました。つまり、愛と性は固く結びついています。性があることによって、人間は愛を教えられます。初めは奪う愛しか分からないのに、だんだんと与える愛へと変えられていく時、さらにいっそう性は祝されるのです。
しかし、性には大きなわながあります。自分の欲望を満たすためだけに性が使われ、奪う愛のみでほんとうの愛と結びつかない時、相手を道具とし、相手への忠実さは失われるのです。そのような結婚愛と分離された性はあなたの人間性を破壊し、あなたの家庭を破壊し、社会をだめにします。性のためのセックスの終局は苦よもぎのように苦く、両刃の剣のように鋭く殺りくするのです。
「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」(ヘブル一三4)。

 


◆神である主はこう仰せられる。

2013年02月19日 10時51分47秒 | 聖書

わたしはイスラエルの家の願いを聞き入れて、次のことをしよう。(エゼキエル三六・三七)

祈りはいつくしみの先駆者である。聖書に記されている歴史を考えてみよ。大きないつくしみが、祈りの前ぶれなしにこの世に来たことはないことがわかるであろう。あなたはあなたの個人的な経験に照らして、これが真実であることを知るだろう。神は、あなたが求めないのに多くの恩恵を与えてくださった。しかし、それでもやはり大きな祈りは、あなたに対するいつくしみの序曲である。あなたが十字架の血によって初めて平和を得た時は、多く祈って、疑いを取り去り、苦悩から救ってくださるように神に嘆願していた時であった。あなたの確信は祈りの結果であった。いつであろうと、あなたが非常に大きな喜びを経験した時には、それが必ず祈りの結果であったことに気づくであろう。あなたが非常な困難、大きな危険から救い出された時、あなたは、「私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった」と言うことができた。
祈りはいつでも祝福のいとぐちである。祝福の影として祝福の前に来るものである。神のいつくしみの太陽が私たちの必要を照らし始める時、それは祈りの影を平原のはるかかなたに投げる。あるいは、他の例をあげると、神がいつくしみの山を築かれる時、神ご自身がその後ろから照らして私たちの霊に祈りの影を与え、もし私たちが熱心に祈るなら、私たちの嘆願はいつくしみの影であることをはっきり知らされる。
このように、祈りは祝福と結び合って私たちにその価値を示してくれる。求めずに祝福を得るならば、私たちはそれを平凡なものと思う。しかし祈りは私たちの受ける祝福をダイヤモンドよりも尊いものとする。私たちの求めるものは尊いものだが、熱心に求めないならば、その尊さを知ることはできないのである。
 祈りは黒い雲をはらい
 祈りはヤコブのはしごを上らせ
 信仰と愛を訓練して
 上よりの祝福のすべてをもたらす