他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、
その口は油よりもなめらかだ。
しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、
もろ刃の剣のように鋭い。 (箴言五3―4)
聖書は、けっして禁欲主義を教えていません。神の与えてくださったこの世界は、第一義的には祝福なのです。聖書は、この世を浮き世と呼んで否定したり、この世を捨てて出家したりするようには、けっして教えていません。かえって夫婦が愛し合って家庭をつくり、仕事にも励むことを命じているのです。クリスチャンになったからといって、信仰に熱心になったからといって、この世の祝福を避けるようにとは言っていません。かえって、社会の第一線で活躍するように励ましているのです。
神は人を男と女に造られ、祝福として性を与えておられます。人間が家庭をつくっていくために、性の喜びを与えてくださいました。つまり、愛と性は固く結びついています。性があることによって、人間は愛を教えられます。初めは奪う愛しか分からないのに、だんだんと与える愛へと変えられていく時、さらにいっそう性は祝されるのです。
しかし、性には大きなわながあります。自分の欲望を満たすためだけに性が使われ、奪う愛のみでほんとうの愛と結びつかない時、相手を道具とし、相手への忠実さは失われるのです。そのような結婚愛と分離された性はあなたの人間性を破壊し、あなたの家庭を破壊し、社会をだめにします。性のためのセックスの終局は苦よもぎのように苦く、両刃の剣のように鋭く殺りくするのです。
「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです」(ヘブル一三4)。