座間コミニティー

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「もしそこに平安の子がいたら、あなたがたの祈った平安は、その人の上にとどまります。

2013年02月07日 18時25分14秒 | 原発


だが、もしいないなら、その平安はあなたがたに返って来ます。」(ルカ
10:6)

ある主婦が、引っ越した社宅内で周囲になじめずに、困惑していた。
仲良くなりたいと努めて話しかけても相手にされず、挨拶しても返されないこと
があった。
特に一人の人に悩まされていた。
友人のクリスチャンに相談すると、「その人のために祝福を祈るといいよ。
祝福に値する人ならば、相手が変わるし、値しないような人ならば、祈った祝福
は自分に返ってくるから。」と教えられた。
言われたように祈ってみると、会うとにらみつけられているような状態だったそ
の人が、笑顔で挨拶してくれるようになったそうだ。
その主婦は、その体験によって興味を持ち、キリストなる神を信じた。
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神は、対する相手がどのような者であっても、いつも、祈る者の平安を守って下
さるお方である。
恐れずに、祈りつつ、主を証ししていこう。


◆愛し親しまれる

2013年02月07日 07時56分57秒 | 聖書

主は、よこしまな者を忌みきらい、
直ぐな者と親しくされるからだ。
悪者の家には、主ののろいがある。
正しい人の住まいは、主が祝福される。(箴言三32―33)

「悪者と正しい者、善玉と悪玉なんて、ちょっと時代おくれではないか。この人間社会や人生がそんなにいいの悪いの、まっすぐだの不正だのと分けられるかい。」――正直いって、現代の多くの人はこう考えているのではないでしょうか。
そうです。現代は基準を失った時代です。何がいいのか悪いのか、分からなくなりました。「絶対」を失ったのです。神を見失っています。
しかし、神はまっすぐな人と親しくされ、悪者の家にはのろいがあると、はっきりといわれています。神は、不正を行う者をきらわれます。曲がった人には、祝福・平安がありません。また、神は善を行う人を喜び、「親しく」してくださいます。何と美しいことばでしょうか。そして、間接的にはそういう人は、人々も喜んでくれるのです。
「積善の家には余慶あり」と昔の人は言いましたが、こんな単純なことを、今の人々は忘れてしまったのではないでしょうか。
ほんとうの基準を持った人・知っている人は、幸いです。何が良いのか何が悪いのか、これをすべきであり、これはすべきでないと、はっきり分かっています。基準のない人生は、どんなに努力しても自己満足にすぎません。ベストを尽くしたつもりでも、いいのか悪いのか分からなくなる時があります。
神こそ、はっきりした人生の基準を与えてくださいます。私たちの生きる目的をはっきりさせ、生きがいを与えてくださるのです。神を知る時に白と黒が分かり、神と親しくさせていただく人生の祝福を味わうことができるのです。

 


◆さあ、立ち去れ。

2013年02月07日 07時55分30秒 | 聖書

(ミカ二・一〇)

私たちはだれでも、次の命令を聞く時が必ずある。「立って、あなたが住んでいた家庭、あなたが生業をいとなんでいた都、あなたの家族、あなたの友人を去れ。立ってあなたの最後の旅にのぼれ」と。
この旅について、私たちは何を知っているだろう。私たちの行く国について、私たちは何を知っているだろう。その国について私たちは少しは読んで知っており、少しは聖霊によって啓示されているが、それでも未来について知ることはきわめて少ない。私たちは「死」と呼ばれる黒い川のあることを知っている。神は私たちとともにいることを約束し、私たちにその川を横切ることを命じておられる。死の後に来るものは何であろうか。驚いている私たちの眼前に、なんという不思議な世界が出現することであろうか。なんという輝かしい光景が展開することであろう。
その国の話をするために、そこから帰って来た旅人はいない。それでも私たちは天上の国についてかなり知っていて、私たちをそこへ招くものに喜び楽しんで応じることができる。死の旅路は暗いかもしれないが、私たちは、神がその暗い谷間においても共におられるゆえ、わざわいを恐れる必要のないことを知って、臆することなく進むことができる。私たちは地上で知り合い、愛し合ったすべての人と別離をするが、神が設計し建設された堅い基礎の上に建てられた都の父の家――イエスのおられる私たちの父の家――に向かう。それは、私たちが永遠に愛する主とともに神の民の中で神の御前に住むための最後の引っ越しである。
主にある友よ。天国について深く考えよ。それはあなたの前進を助け、途中の苦難を忘れさせる。この涙の谷は、はるかによい国へ達するための小道にすぎないし、このわざわいの世界は、よりよい祝福の国への飛び石にすぎない。
主よ。あなたの恵みによって、高いところにあるあなたの宮廷に行くために私を備えてください。その後、私の霊に向かって、「立って、天上のコーラスに和して歌え」と命じてください。