座間コミニティー

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申命記16章9-12節

2013年02月06日 17時09分59秒 | 聖書

16:11 「あなたは、あなたの息子、娘、男女の奴隷、あなたの町囲みのうちにいるレビ人、あなたがたのうちの在留異国人、みなしご、やもめとともに、あなたの神、主の前で、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、喜びなさい。」


ここには7週の祭りのことが語られています。

7週の祭りは、主食品である小麦の収穫を祝う祭りでした。

過越の祭りから数えて7週目を過ぎた翌日に、すなわち50日目に守られる祭りです。

この時は、奴隷もレビ人も、子供も大人も、すべての人々が、主に感謝をして祝う祝いの時でした。

その日を喜びなさいと言われています。

それは、主が収穫を与えてくださったその恵みに対する喜びを覚えて、主を喜ぶ日であるからです。

 新約時代には、この日に聖霊が降臨をしました。

それによって主の群れが起こされ、教会が誕生しました。

それによって、救われる人々が起こされました。

教会には異邦人もユダヤ人も、大人も子供も加わっています。

主の民としての恵みに預かったからです。

私たちにも、その主の恵みを喜びなさいと言われるのです。


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生活保護費 乱暴な引き下げに反対/日弁連副会長:武井共夫さん・・・

2013年02月06日 11時46分15秒 | セーフティーネット
 
「命・人権の最後の砦」・・・同感です。
「生活保護がゆきわたることにより、社会の安心が得られ、内需の拡大につながる。経済にもいい影響を与える」・・・まったくそのとおりだと思います。


◆悪をうらやむな

2013年02月06日 11時16分50秒 | 聖書

暴虐の者をうらやむな。
そのすべての道を選ぶな。      (箴言三31)

「うらやむな」と言っていますが、他人をうらやましく思う気持ち、これは人情かもしれません。あの人のように私も、愛の人になりたい、このことは、ぜひあの人のように力をこめてやってみたいと尊敬し、慕うのなら、うらやむこともいいかもしれません。
しかし、うらやむことによって、自分の人間性を損なっていることが実に多いのです。もしも、うらやむ心の奥に、自分をうとましく思う気持ちがあるとすれば大変です。他人と比べて自分がみじめになっていると、人間には進歩がなくなります。まして、悪をうらやみ暴虐をうらやむことは、自分自身をその悪にのめりこませても場合によってはOKという裏切りの心なのです。
確かに、世の中には、正直者がばかを見る現実があるように見えます。ずるく要領よくやっている人のほうが、得をしているように見えます。そう思うと、うらやましく思う気持ちがわいてきます。
しかし、そうなるのは、自分に正しく生きる自信がないためです。「時と場合によっては……」と、もう悪魔の陣営に白旗をあげているのではありませんか。
他人と比べないで、自信をもってゆうゆうと生きていく、それは神を見あげ、神を信じ、神に従って歩む道です。神が、すべてを見ていらっしゃいます。私などが文句やうらみごとなどを言わなくても、神が知っていらっしゃるのです。
神を信じ抜いていけば、砂漠の中の水路のほとりに植えられた木が青々として枯れずに実がみのるように、すべてのことに栄える人生があります。こう確信して、神に従っていきましょう。

 


◆すべての祈りと願いを用いて、

2013年02月06日 11時15分29秒 | 聖書

どんなときにも御霊によって祈りなさい。(エペソ六・一八)

私たちは、祈ることを知ってから後、どれほど多くの祈りをささげたことであろう。私たちの最初の祈りは、自分自身のための祈りであり、神が私たちをあわれみ、私たちの罪を消してくださることを求めるものであった。神は私たちの祈りを聞いてくださった。神が私たちの罪を雲のように吹き払ってくださった時に、私たちはさらに自分自身のために祈った。私たちは聖潔の恵みのために、また脱線しないように抑制する恵みのために祈らなければならなかった。私たちは信仰の新しい確信を求め、約束に素直に信頼するため、また誘惑の時に救い出されるため、職務についている時に助けを受けるため、患難の時に援助を受けるために祈った。私たちはしつこいぐらいに、たましいのすべての必要を神に祈り求めなければならなかった。
神の子どもたちよ。あなたがたはたましいに必要なものを決して他から得られなかったことを心に留めよ。あなたのたましいの食したパンは、ことごとく天より下ったものであり、その飲んだ水は、生ける岩である主キリスト・イエスから流れ出たものであった。あなたのたましいはひとりでに成長したのではなく、神の日々の恵みによりすがっていた。すなわち、あなたの祈りは天に上り、無限の霊的なあわれみを請うことができたのであった。あなたの必要は数限りなくあった。それゆえ供給も無限に大きく、あなたの祈りが種々様々であったようにあわれみも数限りなくあった。それゆえあなたは「私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから」と言うべきではないか。あなたの祈りの多さにしたがって神の応答も多いのである。神は悩みの日にあなたの叫びを聞き、あなたを強め、助け、あなたが恵みの御座にありながら恐れと疑いをもって神を辱しめた時にも変わりなくあられた。この事を心に留め、あなたの貧しく弱い祈りすら聞き入れてくださった神に感謝せよ。
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」