マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Letters from Bob " ( ボブからの手紙 )

2012-02-24 17:15:17 | 日記

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 ベイシンガー夫人が、The Citizens という新聞を読んでいた時、Toshi Yamada (トシ ヤマダ)の記事を見つけ、自分が知っている人の名前 Toshiko Yamada (トシコ ヤマダ)に似ているのに、びっくりしたようで、ひょっとすると、二人が親類か何らかの関係がある人たちではと思ったようだ。
 漢字で書けば、『敏子』という名前は、トシの漢字とは全く違うのだが、ローマ字読みするとよく似ている。
 唯、ヤマダという名字は、日本ではありふれた名前で、どこにでもある。
 それに、彼女が住んでいるところは横浜で、トシは九州だから、距離的にも、かなり遠い。
 もとより、トシは、敏子さんを知らない。
 そのようなことを知って、ベイシンガー夫人は、がっかりしたようだった。

 ベイシンガーさんには、二人の息子がいて、長男は、ミネソタ大学の医学部を出て、この街で医院を開業している。
 二男のロバートは、第二次大戦では、従軍牧師として従軍し、戦後日本に進駐して、東京の連合軍司令部内にある Base Chapel (教会本部)に勤務していた。
 そこで、朝鮮動乱がぼっ発して、急きょ朝鮮半島の前線に駆り出された。
 戦闘は過酷で、毎日戦死者が出ていて、戦死者たちの弔い、負傷者の慰問、兵士たちの懺悔を聞いてやったり、説教をしたり、さまざまな宗教行事にかかわったり、その間にも、砲弾が飛び交い、それこそ命をかけた勤務だったようである。
 ある期間を務めると、休暇で、また仕事の打ち合わせ連絡などで、東京の本部に帰っていた。

 庭の花畑のことを話題にしていた時、「ボブが小さい時、庭の花畑でかくれんぼをしていたのよ!」とか、過ぎ去った昔を思い出すように話してくれた。
 ローバーとのことを、『ボブ』と呼んでいたようだった。
 「あの子はねえ!」とか、まるで今でも、そこにいるかのように懐かしみながら話していたのである。
 食事が終わってコーヒーブレイクをしていた時、「ちょっと見せたいものがあるのよ」と行って、隣の間のウオークインクローゼットのところにトシを連れて行った。
 そこには、箱がいくつか積み上げられていて、その中には、ボブから送られてきた手紙が、びっしり詰められていて、到着順に整頓されていた。
 いくつかを、取り出して拾い読みしたが、手紙と言うより、もう物語と言った感じだった。
 封筒の一つ一つが、分厚く、便せんではなく,A4の紙に、びっしりタイプの文字が書き連ねられていて、短いので5ページほど、長いのでは、10ページに及ぶものもあり、連綿とストーリが綴られていたのである。
 息子から送られて来た膨大な手紙は、大切に保存されていて、いつでも読めるように、図書館の書棚のように整理されていた。
 現に、今でも、ベイシンガー夫人は、もう数十年前に書かれたボブからの手紙を読み返すのが、楽しみのようだった。
 夫人は、ボブからの手紙を、『手紙』と言わずに、account  (お話) とか story (物語)と表現していた。

 第二次世界大戦が終わった直後の日本では、世の中が混乱していて、郵便を出しても、まともに着くことはなかった。郵便事情は、極めて悪かったのである。
 ボブがアメリカ本国に送る手紙は、軍の専用特別便だったようなのだが、それでも混乱していたようで、彼自身の表現を借りると、” terrifically terrible ” (とんでもなくひどかった)ようで、宛先に届かないことも多く、時にテキサスまで遠回りして着いたり、時間をかけてアラスカ経由で、遅れてやって来たことあった。
 ボブは、手紙に必ず日付を書くようにしていた。
 時に後から出した手紙が先に到着することもあり、ある時は、13通束になって到着してこともあったようだ。

 お母さんは、息子から来る手紙を一つ一つ大事に読むのはもちろん、何度も繰り返し読み、息子から来る手紙と同じくらい返事を書き送った。
 彼からの手紙に、ある時から、Toshiko San という名前が出るようになった。
 敏子さんは、連合軍司令部に勤める日本人スタッフだった。
 同じフロアで仕事をしていたとのことで、何かのきっかけで、二人は話をするようになったようだ。
 手紙には、彼女をToshiko San (敏子さん)と書いている。
 
  San is the word for " Miss ", but I believe the same word can be employed for " Mr. and " Mrs.", so I call her Toshiko San.
 ( 『さん』というのは、英語の『ミス』に対する語です。しかし『さん』は、また『ミスター』や『ミセス』にも使われます。だからぼくは、彼女のことを『敏子さん』と呼びます )

 勿論、彼からの手紙には、敏子さんのことが細やかに描写されている。
 どんな顔をしているか、身長がいくらで、今日の服装、彼女とどんな会話をしたかなど細やかである。文章の一つ一つに、愛情があふれる感じなのだ。

 


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4 コメント

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guroriosaさんへの (さくら)
2012-02-24 23:04:40
コメントを読んで、なるほど~と思いました。
しかし、長い長いお互いの手紙に、親子の深い愛情を感じます。
戦争はいやですね。体験も何もしていないから
薄っぺらな感情かもしれませんが、想像力だけは、呆れるくらいあるので
目も顔も何もかも、背けたくなる記事や話、映像…。

そんな中の、一つのお話でしょうか。
ベイシンガーさんのお気持ちが、身につまされます。
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少し待てばいいものを (guroriosa)
2012-02-25 14:37:07
質問ばかりですみません。
正直、何度も何度も読みました。
最近 理解しづらい時がちらほらあったりするので
飛ばしてないかと気をつけて読んだりしました。
よくわかりました。ご親切なコメントありがとうございました。

敏子さんを深く愛していらっしゃったのですね。
戦争は残酷です。

「yamada サーン」を思い出しました!

 
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さくらさんへ (yamada)
2012-02-25 21:22:30
 1945年に第2次世界大戦が終わり、間をおかずに朝鮮動乱が勃発してしまいます。
 どうにか38度線で休戦を迎えますが、アメリカは、再びベトナム戦争に関わってしまいます。
 私が、アメリカに初めて行った時は、1970年代で、ニクソン政権下でした。
 国務長官のキッシンジャー等により、ようやくベトナム戦争も幕を引きました。
 当時のアメリカは、厭戦気分が蔓延していて、若者たちは、かなり混乱していて、反社会行動が目立ちました。
 一方で、麻薬を飲む人たちも多く退廃的な風潮が覆っていました。
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guroriosaさんへ (yamada)
2012-02-25 21:31:23
 ボブの手紙を、ほんの拾い読みですが、普通の手紙というより物語を読む感じでした。

 東京駅のホームで汽車を待つ間に目にとまったこと、車窓から見える外の風景など読んでいて面白いです。

 そうですね。身の回りのすべてに愛情こまやかで、母親に対しての気配りなど、よく伝わってきました。
 敏子さんの描写も、面白くて思わず引き込まれて読み進むといった感じでした。
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