こんにちは/こんばんは。
今年はお正月から続く年頭の日々をすっかり日本に持っていかれてしまいました。能登震災のニュースは毎日見ていますが、救援活動や復旧作業がなかなか進展しないことに心が重くなりました。
今回、皆さんが一生懸命活動にあたっていることはわかるのですが、とにかく状況が難しいですよね。ここ数日、ようやく救援や復旧活動が進展し始めたように見受けられるので、多少ホッとした気持ちはあります。
それでもまだ水も電気もない地域が広範囲にあるとか。どのような苦労か、想像するのも難しいです。被災者の皆さんには、あらためて心よりのお見舞いを申し上げます。
グリンダビクの町に流れ込むマグマ
Myndin er ur Ruv.is
これを書いている間に、アイスランドでも自然災害が生じました。ここ数ヶ月間、波のように活動を強めたり弱めたりしてきた火山活動とマグマの噴出が、日曜日の朝にまたぶり返しました。
残念なことに、今回はマグマがグリンダビクの町へ流れ込み、何軒かの家屋が焼け落ちています。市民は事前に町を脱出していたため、人的な被害は出ていません。ただ、この噴出の以前に防御壁を作るために働いていた一人の男性が、突然現れた地面の裂け目に落ち込んでしまい、そのまま不明になっています。これは犠牲者として数えられるべきでしょうね。
実はこの事故をきっかけに、グリンダビクの町の下の地面というものが、当局が理解していたよりもはるかに危険な状態であることが明らかになりました。そのために当局は、今日(日曜日)を境にして、再び町全体を立ち入り禁止にすることをアナウンスしていたのでした。それを直前としての噴出でした。
今の時点では、焼失した家屋は三軒ということですが、住民全体がこの町にしばらくは住めないことは明らかです。「しばらく」というのは数年、数十年の単位となる可能性があります。
まあ、地震のような不意打ちではなく、避難が可能であったことは救いです。本当にかけがいのないものは失われずに済んだ、ということもできるでしょう。もちろん、亡くなった男性のご遺族には当てはまりませんが。
小国のアイスランドは、このような災害を自分たちの問題として受け止めます。おそらく国民が総出で被災者たちを支援することになるでしょう。
焼け落ちる家屋 無人なのが幸い
Myndin er ur Visir.is
日本へ戻りますが、東日本大震災の時にも、同じような気持ちでニュースを見ていたことを思い出します。あの時はニュースもJ N NとかA N Nではなくて、二十四時間震災関係のことだけを流していたものがあった記憶があります。
あの時は、在アイスランドの邦人の人たちが集まり、できるだけの範囲で支援活動をしよう、ということになり、その年を通じていろいろなチャリティーを続けました。限られた人数ですので、些細なことしかできませんでしたが。
そこで学んだことは、「何かすることがある」「できることがある」ということが私たち自身にとって救いになるということでした。
実はクリスマス前に、このことを思い出させてくれる出来事がありました。
十一月の半ば過ぎくらいの時期に、私の英語での教会の日曜礼拝にウクライナからの若い女性がやってきました。私は二年前にはずいぶんウクライナの人たちと関わりがあったのですが、教会の英語での礼拝にはウクライナの人はほとんどいません。
ですから、この女性(ナタリアさんとしておきます)も、たまたま今日来ただけだろう、と思っていました。話しを聞いてみると、やはり戦争を逃れてきた難民の人で、キーウ出身で、まだアイスランドに来て間もないとのこと。
大変な体験をしたらしく、しばらく話しをすると、涙ぐむというようなことを繰り返していました。
通用門脇の窓のイラスト
通用口ドアのデコレーション
上記二枚ともピック By Me
その何日か後で、ナタリアさんがひょっこり教会に顔を出しました。そして「自分は、キーウで子供達を相手にしたアート活動をしてきました」と言って、スマホに収めてある何枚かの写真を見せてくれました。子供達に何かを教えているような様子が見て取れました。
「もうすぐ、クリスマスでしょ。窓のガラスとかにマーカーでイラストを描いて、クリスマスの雰囲気を盛り上げるのはどうですか?描いていいのなら、喜んでやりますけど?」
もちろんこれは「ボランティアでやる」という意味です。そういう申し出は大歓迎だったので、教会の正規のボスの許可をもらった上でO Kを出しました。それで十二月の始めの水曜日にナタリアさんは、窓にイラストを描くためにやってきました。
まずは三時間くらいかけて、オフィス用の通用口のドアと窓に、クリスマス的な雪とか、ツリーとか、可愛いクマさんとかを描いてくれました。これだけでも、ずいんぶんと雰囲気がアップします。
なかなかいい、と思ったので、ホールの端のガラス戸四枚にも描いてもらいなえか?と尋ねたところ快諾してもらえました。ちなみに、ブレイズホルトゥス教会のホールは、ぐるりとガラス戸に囲まれています。
ナタリアさんは金曜日の午後に再びやってきました。ガラスが予想以上に汚かったので、今回、私はモップとお湯を溜めたバケツを持って外へ。ジャブジャブと窓洗い。これは予定になかったけれど、成り行き上しょうがない。寒いけど、しょうがない。これも成り行きだったので、すべての窓を洗いました。
金曜日では描き終えることができなかったため、翌日土曜日も作業することに。私もお休み返上でお付き合い。これもしょうがない。
作業するナタリアさん
ナタリアさんのイラストを西陽が照らし、第二のアートを壁面に
上記二枚ピック By Me
で、ナタリアさんとは、休憩時間とかランチタイムにおしゃべりしたりしてたのですが、話しをしているうちに、「ああ、こういうおしゃべりも、彼女には大切なんだ」ということがわかってきました。
別にカウンセリングではないのですが、それでもそういう風にして話しができる、ということ、そのものが彼女には大切なことだったのです。
「家でひとりでいると、どうしても嫌な思い出と悲しいことを考えてしまいます。ここに来て、画を描いていると心がね、平和になるんです」なるほど。それもわかる。やはり、何かすることができる、というのは大切なことなんだな、と気付きました。
戦争を逃れてきたナタリアさんが、まだ精神的にも深い悲しみと闘っているような状況の中で、教会に救いを求めてきただけではなく、そこで「自分ができること」を見出し、それをすることによって、多少なりとも心に平和を見出すことができたのであれば、それこそ私にとっても神の恵みです。
2023年のクリスマスで一番嬉しいプレゼントだったかな?時々あるんですよ、牧師やってて良かった、って思える時が。こういう出逢いとか、経験をした時なんかですね、多くの場合は。
「自分できること」「私にもできること」は誰にとっても必要なことです。自分でそういうものを求め探すことも大切ですが、周りの人に「その人のためのもの」を見つけてもらうことも同じように大切なはずです。
周囲に困難と直面する人がいる時こそ、覚えておきたいことではないでしょうか?
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
今年はお正月から続く年頭の日々をすっかり日本に持っていかれてしまいました。能登震災のニュースは毎日見ていますが、救援活動や復旧作業がなかなか進展しないことに心が重くなりました。
今回、皆さんが一生懸命活動にあたっていることはわかるのですが、とにかく状況が難しいですよね。ここ数日、ようやく救援や復旧活動が進展し始めたように見受けられるので、多少ホッとした気持ちはあります。
それでもまだ水も電気もない地域が広範囲にあるとか。どのような苦労か、想像するのも難しいです。被災者の皆さんには、あらためて心よりのお見舞いを申し上げます。
グリンダビクの町に流れ込むマグマ
Myndin er ur Ruv.is
これを書いている間に、アイスランドでも自然災害が生じました。ここ数ヶ月間、波のように活動を強めたり弱めたりしてきた火山活動とマグマの噴出が、日曜日の朝にまたぶり返しました。
残念なことに、今回はマグマがグリンダビクの町へ流れ込み、何軒かの家屋が焼け落ちています。市民は事前に町を脱出していたため、人的な被害は出ていません。ただ、この噴出の以前に防御壁を作るために働いていた一人の男性が、突然現れた地面の裂け目に落ち込んでしまい、そのまま不明になっています。これは犠牲者として数えられるべきでしょうね。
実はこの事故をきっかけに、グリンダビクの町の下の地面というものが、当局が理解していたよりもはるかに危険な状態であることが明らかになりました。そのために当局は、今日(日曜日)を境にして、再び町全体を立ち入り禁止にすることをアナウンスしていたのでした。それを直前としての噴出でした。
今の時点では、焼失した家屋は三軒ということですが、住民全体がこの町にしばらくは住めないことは明らかです。「しばらく」というのは数年、数十年の単位となる可能性があります。
まあ、地震のような不意打ちではなく、避難が可能であったことは救いです。本当にかけがいのないものは失われずに済んだ、ということもできるでしょう。もちろん、亡くなった男性のご遺族には当てはまりませんが。
小国のアイスランドは、このような災害を自分たちの問題として受け止めます。おそらく国民が総出で被災者たちを支援することになるでしょう。
焼け落ちる家屋 無人なのが幸い
Myndin er ur Visir.is
日本へ戻りますが、東日本大震災の時にも、同じような気持ちでニュースを見ていたことを思い出します。あの時はニュースもJ N NとかA N Nではなくて、二十四時間震災関係のことだけを流していたものがあった記憶があります。
あの時は、在アイスランドの邦人の人たちが集まり、できるだけの範囲で支援活動をしよう、ということになり、その年を通じていろいろなチャリティーを続けました。限られた人数ですので、些細なことしかできませんでしたが。
そこで学んだことは、「何かすることがある」「できることがある」ということが私たち自身にとって救いになるということでした。
実はクリスマス前に、このことを思い出させてくれる出来事がありました。
十一月の半ば過ぎくらいの時期に、私の英語での教会の日曜礼拝にウクライナからの若い女性がやってきました。私は二年前にはずいぶんウクライナの人たちと関わりがあったのですが、教会の英語での礼拝にはウクライナの人はほとんどいません。
ですから、この女性(ナタリアさんとしておきます)も、たまたま今日来ただけだろう、と思っていました。話しを聞いてみると、やはり戦争を逃れてきた難民の人で、キーウ出身で、まだアイスランドに来て間もないとのこと。
大変な体験をしたらしく、しばらく話しをすると、涙ぐむというようなことを繰り返していました。
通用門脇の窓のイラスト
通用口ドアのデコレーション
上記二枚ともピック By Me
その何日か後で、ナタリアさんがひょっこり教会に顔を出しました。そして「自分は、キーウで子供達を相手にしたアート活動をしてきました」と言って、スマホに収めてある何枚かの写真を見せてくれました。子供達に何かを教えているような様子が見て取れました。
「もうすぐ、クリスマスでしょ。窓のガラスとかにマーカーでイラストを描いて、クリスマスの雰囲気を盛り上げるのはどうですか?描いていいのなら、喜んでやりますけど?」
もちろんこれは「ボランティアでやる」という意味です。そういう申し出は大歓迎だったので、教会の正規のボスの許可をもらった上でO Kを出しました。それで十二月の始めの水曜日にナタリアさんは、窓にイラストを描くためにやってきました。
まずは三時間くらいかけて、オフィス用の通用口のドアと窓に、クリスマス的な雪とか、ツリーとか、可愛いクマさんとかを描いてくれました。これだけでも、ずいんぶんと雰囲気がアップします。
なかなかいい、と思ったので、ホールの端のガラス戸四枚にも描いてもらいなえか?と尋ねたところ快諾してもらえました。ちなみに、ブレイズホルトゥス教会のホールは、ぐるりとガラス戸に囲まれています。
ナタリアさんは金曜日の午後に再びやってきました。ガラスが予想以上に汚かったので、今回、私はモップとお湯を溜めたバケツを持って外へ。ジャブジャブと窓洗い。これは予定になかったけれど、成り行き上しょうがない。寒いけど、しょうがない。これも成り行きだったので、すべての窓を洗いました。
金曜日では描き終えることができなかったため、翌日土曜日も作業することに。私もお休み返上でお付き合い。これもしょうがない。
作業するナタリアさん
ナタリアさんのイラストを西陽が照らし、第二のアートを壁面に
上記二枚ピック By Me
で、ナタリアさんとは、休憩時間とかランチタイムにおしゃべりしたりしてたのですが、話しをしているうちに、「ああ、こういうおしゃべりも、彼女には大切なんだ」ということがわかってきました。
別にカウンセリングではないのですが、それでもそういう風にして話しができる、ということ、そのものが彼女には大切なことだったのです。
「家でひとりでいると、どうしても嫌な思い出と悲しいことを考えてしまいます。ここに来て、画を描いていると心がね、平和になるんです」なるほど。それもわかる。やはり、何かすることができる、というのは大切なことなんだな、と気付きました。
戦争を逃れてきたナタリアさんが、まだ精神的にも深い悲しみと闘っているような状況の中で、教会に救いを求めてきただけではなく、そこで「自分ができること」を見出し、それをすることによって、多少なりとも心に平和を見出すことができたのであれば、それこそ私にとっても神の恵みです。
2023年のクリスマスで一番嬉しいプレゼントだったかな?時々あるんですよ、牧師やってて良かった、って思える時が。こういう出逢いとか、経験をした時なんかですね、多くの場合は。
「自分できること」「私にもできること」は誰にとっても必要なことです。自分でそういうものを求め探すことも大切ですが、周りの人に「その人のためのもの」を見つけてもらうことも同じように大切なはずです。
周囲に困難と直面する人がいる時こそ、覚えておきたいことではないでしょうか?
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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