新年も早一週間が過ぎてしまいます。皆さんはどのようなお正月を迎えられたでしょうか?
私は日本にいた頃はあまり正月が好きではありませんでした。どちらかというと退屈な時期に感じていたと思います。テレビも正月特番ばかりになってしまうし、しかもそれがそんなに面白くなかったし。付け加えますと、大晦日の紅白も中学生以降はまったく興味がなくなっていました。
さらに「書き初め」「初夢」をはじめ「初なになに」という風習が、なんとなく「ああ、うまくやらないと」的なプレッシャーに感じられてしまい、退屈な割りにはリラックしできない、という妙な負のスパイラルにハマってしまっていたような。
ところがアイスランドへ移って見ると、当然のように大晦日や新年の迎え方は日本とは違います。クリスマスが1月6日まで続く大きな「祭り」であるため、新年はその中にある「口直し」?的なものであるようです。ちなみに「日本ではクリスマスは普通の平日だよ」と言うと皆驚きます。
そういう環境になると、人の中に巣くっている「あまのじゃく」というのは出てくるもので(ワタシ限定かもしれませんが)、日本的なお正月が恋しくなったりします。いや、その前に大晦日でしょうね。
「日本的なお正月」という言葉を使いましたが、正確には「私が慣れ親しんでいた正月」と言うべきでしょう。日本人のお正月にも色々ありましょうから。
レイキャビクでの大晦日の花火は、だいぶ日本の方にも知られてきているようです。日本の花火大会のように「あげる人、見る人」が分離している式ではなく、「万民参加」式の花火です。あれはあれでいいのでしょうが、個人的にはNHKの「往く年、来る年」的なお寺の鐘が響く静かな大晦日の方が好ましく思われます。
ハットゥルグリムス教会「周辺」の大晦日花火
Myndin er ur Visir.is/EGILL
で、ここのお正月の何が日本と違うのだろうか?と考えた時期がありました。そして、これは単にうるさいか静かか、というだけの問題ではないと気付きました。
要するにこちらの人は、日本人ほど新年に対しての尊敬の念?がないのです。月替わりの、ちょっとスペシャルバージョンくらいのつもりなのではないでしょうか?
でも実際は、確かにそんなもんか?日本人の新年に対する崇拝度というか、思い入れの方が尋常でないのかもしれませんね。良い悪いという議論は別として。
そして、私もそういう「新年崇拝」の遺伝子をガッツリと身体の中に持っているようです。正月が楽しいか?退屈か?というのとはまったく別の次元で、「新年はきちんと迎えたい」という意識がやっぱりあるのです。「なんとなく越年」はあり得ません。
私は牧師ですので、理屈というか、祭りの裏付けという点から考えると、例えばクリスマスの方がはっきりとした重要性があります。新年は別にそういう意味での「裏付け」は何もないのですが、「にもかかわらず」新年はきちんと迎えないと気がすまないのです。これはもう日本人DNA以外の何物でもないでしょう。
こちらではJolastressヨーラストレスという言葉があります。意味は「クリスマスストレス」ということで、クリスマスを迎えるに当たって「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」というようなことがストレスになってしまう人が結構いるのです。
私の場合、クリスマスのストレスはありませんが、「ニューイヤーストレス」は、やはりありますね。先に触れましたように「初なになにをきちんとしなくては」もありますし、元旦前に「家は掃除しておかなければなない」「洗濯物は可能な限りすませておく」「ゴミ箱のゴミは捨て空にしておく」等々。
私の人間性を反映して、いかにも「チイちゃな」ことのパレードです。(^-^; 要するに、「きちんと新年を迎えた」と、自分が納得できればいいのです。
さて、迎春といえば「新年の誓い」が付き物だと思いますが、私はそれに関してはそれほどの執着がありません。どうせ守れない、とわかっているからです。
この「新年の誓い」ですが、実はアイスランド人も同じことをします。こちらではAramotaheitiアウラモウタヘイティ「年替わりの約束」といいます。
どんなことが、こちらの人々の「新年の誓い」となっているのか、いくつかご紹介してみたいと思います。便利な世の中で、ネットでそういうものを集めて紹介しているサイトがあるのです。どうやらTwitterで呟いたものから、面白いものを選んだようです。
オイズルさん、女性:「新年の誓いは私が新年の誓いになること」わかるような、わからないような。
バルドゥルさん、男性:「年内に1000キロ走る。10キロを43分以内で走る」具体的な目標ですね。お疲れ様です。
クリストゥルンさん、女性:「もっと絵を描く。最悪なのはまったくその気になれないこと。多分、明日」マンガ家かイラストレーターなのでしょうか?「その気」が戻ってきますように。
ビルキルさん、男性:「パパになる。SNSに赤ちゃんの写真の洪水を流さない。そのかわりゲストが見れる良いアルバムを作る」赤ちゃんが途上にあるのでしょう。おめでとうございます。
ファイレイヤさん、女性: 「私のことを愛してくれるジープ野郎を見つける」女性ジープライダーなのでしょうか。うまくいきますよう。
シグルンさん、女性:「1月2日の朝、7時に起きる」チャンスは一回のみですね。頑張って。
ステファニアさん、女性:「2017年の誓いのひとつは『もっと本を読むこと』だったけど、一冊も読まなかった。教訓: 『新年の誓い』は私向きではない」アーメン。私も仲間です。
とはいえ、私も一応は「新年の誓い」を立てました。ひとつは実際的なことで、「週三回の割合で体を動かすプログラムを続ける」こと。もともとダンベルを使っての運動とかは好きだったんですけどね。一度やめると...
ですが、永遠に身体を動かせるわけではありませんし、寝たきりになる前にもう少し身体を使っておこう、と思い立ったわけです。
もうひとつは仕事関連で、もう少し難しいことです。それは「気が重いことがあっても、集会で顔に出さない」ことです。
何度も書いてきたことですが、難民の人たちと共に集会をしていて、誰かが強制送還の通知を受けたりすると、どうしてもそちらに気が取られてしまいます。
それは仕方がないのですが、それが顔に出てしまうと、集会に出席している他の人たちにも重い気分が伝染してしまいます。「希望を失くさないで」とか言ってる本人が、希望のない顔をしていたら、マズイですよね、やっぱり。
というような感じで、今年もすでに出港しています。「良い年、悪い年」とかいうのは、あくまで結果を振り返っての「評価」「烙印」ですからね。実際は日々、良いことと厄介なことの繰り返しでしょう。
そういう中で、みなさんそれぞれに納得のいく年となることを願います。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
私は日本にいた頃はあまり正月が好きではありませんでした。どちらかというと退屈な時期に感じていたと思います。テレビも正月特番ばかりになってしまうし、しかもそれがそんなに面白くなかったし。付け加えますと、大晦日の紅白も中学生以降はまったく興味がなくなっていました。
さらに「書き初め」「初夢」をはじめ「初なになに」という風習が、なんとなく「ああ、うまくやらないと」的なプレッシャーに感じられてしまい、退屈な割りにはリラックしできない、という妙な負のスパイラルにハマってしまっていたような。
ところがアイスランドへ移って見ると、当然のように大晦日や新年の迎え方は日本とは違います。クリスマスが1月6日まで続く大きな「祭り」であるため、新年はその中にある「口直し」?的なものであるようです。ちなみに「日本ではクリスマスは普通の平日だよ」と言うと皆驚きます。
そういう環境になると、人の中に巣くっている「あまのじゃく」というのは出てくるもので(ワタシ限定かもしれませんが)、日本的なお正月が恋しくなったりします。いや、その前に大晦日でしょうね。
「日本的なお正月」という言葉を使いましたが、正確には「私が慣れ親しんでいた正月」と言うべきでしょう。日本人のお正月にも色々ありましょうから。
レイキャビクでの大晦日の花火は、だいぶ日本の方にも知られてきているようです。日本の花火大会のように「あげる人、見る人」が分離している式ではなく、「万民参加」式の花火です。あれはあれでいいのでしょうが、個人的にはNHKの「往く年、来る年」的なお寺の鐘が響く静かな大晦日の方が好ましく思われます。
ハットゥルグリムス教会「周辺」の大晦日花火
Myndin er ur Visir.is/EGILL
で、ここのお正月の何が日本と違うのだろうか?と考えた時期がありました。そして、これは単にうるさいか静かか、というだけの問題ではないと気付きました。
要するにこちらの人は、日本人ほど新年に対しての尊敬の念?がないのです。月替わりの、ちょっとスペシャルバージョンくらいのつもりなのではないでしょうか?
でも実際は、確かにそんなもんか?日本人の新年に対する崇拝度というか、思い入れの方が尋常でないのかもしれませんね。良い悪いという議論は別として。
そして、私もそういう「新年崇拝」の遺伝子をガッツリと身体の中に持っているようです。正月が楽しいか?退屈か?というのとはまったく別の次元で、「新年はきちんと迎えたい」という意識がやっぱりあるのです。「なんとなく越年」はあり得ません。
私は牧師ですので、理屈というか、祭りの裏付けという点から考えると、例えばクリスマスの方がはっきりとした重要性があります。新年は別にそういう意味での「裏付け」は何もないのですが、「にもかかわらず」新年はきちんと迎えないと気がすまないのです。これはもう日本人DNA以外の何物でもないでしょう。
こちらではJolastressヨーラストレスという言葉があります。意味は「クリスマスストレス」ということで、クリスマスを迎えるに当たって「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」というようなことがストレスになってしまう人が結構いるのです。
私の場合、クリスマスのストレスはありませんが、「ニューイヤーストレス」は、やはりありますね。先に触れましたように「初なになにをきちんとしなくては」もありますし、元旦前に「家は掃除しておかなければなない」「洗濯物は可能な限りすませておく」「ゴミ箱のゴミは捨て空にしておく」等々。
私の人間性を反映して、いかにも「チイちゃな」ことのパレードです。(^-^; 要するに、「きちんと新年を迎えた」と、自分が納得できればいいのです。
さて、迎春といえば「新年の誓い」が付き物だと思いますが、私はそれに関してはそれほどの執着がありません。どうせ守れない、とわかっているからです。
この「新年の誓い」ですが、実はアイスランド人も同じことをします。こちらではAramotaheitiアウラモウタヘイティ「年替わりの約束」といいます。
どんなことが、こちらの人々の「新年の誓い」となっているのか、いくつかご紹介してみたいと思います。便利な世の中で、ネットでそういうものを集めて紹介しているサイトがあるのです。どうやらTwitterで呟いたものから、面白いものを選んだようです。
オイズルさん、女性:「新年の誓いは私が新年の誓いになること」わかるような、わからないような。
バルドゥルさん、男性:「年内に1000キロ走る。10キロを43分以内で走る」具体的な目標ですね。お疲れ様です。
クリストゥルンさん、女性:「もっと絵を描く。最悪なのはまったくその気になれないこと。多分、明日」マンガ家かイラストレーターなのでしょうか?「その気」が戻ってきますように。
ビルキルさん、男性:「パパになる。SNSに赤ちゃんの写真の洪水を流さない。そのかわりゲストが見れる良いアルバムを作る」赤ちゃんが途上にあるのでしょう。おめでとうございます。
ファイレイヤさん、女性: 「私のことを愛してくれるジープ野郎を見つける」女性ジープライダーなのでしょうか。うまくいきますよう。
シグルンさん、女性:「1月2日の朝、7時に起きる」チャンスは一回のみですね。頑張って。
ステファニアさん、女性:「2017年の誓いのひとつは『もっと本を読むこと』だったけど、一冊も読まなかった。教訓: 『新年の誓い』は私向きではない」アーメン。私も仲間です。
とはいえ、私も一応は「新年の誓い」を立てました。ひとつは実際的なことで、「週三回の割合で体を動かすプログラムを続ける」こと。もともとダンベルを使っての運動とかは好きだったんですけどね。一度やめると...
ですが、永遠に身体を動かせるわけではありませんし、寝たきりになる前にもう少し身体を使っておこう、と思い立ったわけです。
もうひとつは仕事関連で、もう少し難しいことです。それは「気が重いことがあっても、集会で顔に出さない」ことです。
何度も書いてきたことですが、難民の人たちと共に集会をしていて、誰かが強制送還の通知を受けたりすると、どうしてもそちらに気が取られてしまいます。
それは仕方がないのですが、それが顔に出てしまうと、集会に出席している他の人たちにも重い気分が伝染してしまいます。「希望を失くさないで」とか言ってる本人が、希望のない顔をしていたら、マズイですよね、やっぱり。
というような感じで、今年もすでに出港しています。「良い年、悪い年」とかいうのは、あくまで結果を振り返っての「評価」「烙印」ですからね。実際は日々、良いことと厄介なことの繰り返しでしょう。
そういう中で、みなさんそれぞれに納得のいく年となることを願います。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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