秋の向こうに冬が見えてきています。今これを書いているのは九月二十八日の金曜日の夜なのですが、今日のレイキャビクは「嵐もよう」で、風が強く、かつ時折雨脚も激しくなり、心地良い天気ではありませんでした。
そんな天気の中、私は午前中に行きつけのスーパーへ、少々の買い物をしに出かけました。もちろん、カッコいいマツダCX-3に乗って。
金曜とはいえ平日のこの日、私は自宅で勤務をしていたのでした。オフィスの引っ越しが終わり、一応の片付けも済んで落ち着いたので、実はオフィスに出向く気は満々だったのですが、自宅勤務に切り替えたのです。
新マイオフィスは、前にも書きましたように、教会の小ホールの一部 -正確にはキッチンに隣接する一角- を利用して作られました。で、この小ホールなのですが、実は大きなイベント等の際は、可動式の折りたたみ式壁を収納して、隣りの大ホール部分との境をなくし、「特大ホール」とすることができます。
今日(金曜日)は、実は午後に上階の教会でお葬式があり(私が担当するわけではないのですが)、その後、こちらの習慣である「お茶の会」が階下のホールで行われることになっていたのです。そのため、ホールは「特大ホール」となっており、百五十人くらい?分のお茶席が、木曜の夕方にはセットされていました。
そういうことは何度も経験してきていますが、お葬式の参加者に周りを囲まれてオフィスでひとりで仕事をする、というのはなかなか難しいことなのです。なんせ多勢に無勢、なんというか「お門違いが一人混じっている」感が拭えないのです。
というわけで、今日の金曜日は自宅勤務日となりました。実際には、娘と久しぶりにランチに出かけたりしたので、限りなく「自宅サボり」に近い一日となりましたが...
嵐模様のレイキャビクの港 娘とランチのお店より展望
話しが逸れてしまいました。なぜ平日なのに自宅にいたかの言い訳をしたかったのです。さて、スーパーでお買い物目的のバナナ、ブロッコリーその他二、三点をカゴに入れた私はレジに向かいました。
レジ係はタイ系と思しき女性で、これまでも何度もレジをしてもらってきた人です。
しかしです。私はこのヒト、あまり好きではありません。なぜなら、挨拶もしないし、愛想がまったくないからです。
他にもレジが空いている時には、この女性を避けることのあるのですが、今日は平日の昼前で、空いているレジはひとつだけ。仕方ない。案の定、今日も笑顔も挨拶も抜きで接してきたので、こちらも同様の作法で買い物を済ませました。
この女性のレジで会計を済ませると、必ず「リチュアル」のように頭に浮かぶ「思考プロセス」があります。
まず、この人は私のことを個人的に嫌って、ああいう態度を取っているのか?そういうことではないとは思うのですが、ここは小さな社会ですし、私は新聞や雑誌に登場することも時々ありますので、私のことを知っている人も大勢います。
さらに正直に言うと、私のことを嫌っている人も多くいます。更に言えば、「蛇蝎のように嫌っている」人も何人かはいるでしょう。そのこと自体は気になりません。ある意味では自分に対する賞賛のようなものと受け取っていますので。
だから、もしかしたら、このレジのお姉さん(おばさんかな?ウーン、年齢は察し難い... アジアの女性は... )もその口かも。でも、他のお客さんに対しても、それほどにこやかに振舞っている気はしないので、おそらく個人的なことではないのだろうと察します。
この想いに続いて必ず出て来るもうひとつの思いがあります。それは「お前の方から、先手を打ってにこやかに挨拶をすれば、向こうも挨拶を返すかもしれないだろうに」ということです。
「お前の意識の中に『お客様』意識があって、『そっちから挨拶しろ』みたいなオーラが出ちゃってんじゃないの?」
そうなんです。これがいつも自分でも考え込んでしまう点なのです。
先へ進む前に一言説明しておきますが、アイスランドのスーパーのレジは、日本のように礼儀正しい規律が行き渡っているわけではありません。挨拶しないどころか、買った品物をヒョイと横へ放り投げるような輩さえいます。最近は以前よりはマシになった感はありますけど。
それでもドイツに滞在していた日本の友人が訪ねて来た際に、この話題になり、彼が言うには「ドイツはもっとひどい。『買わせていただく』感さえあるよ」ギョギョ! ですね。世界のスーパーのレジの文化をまとめてみたら面白いかも。
ようやく納まった新マイオフィス
元へ戻ります。私は極めて普通の振る舞いをする人で(でも世の中の大半は自分自身のことをそう思っているのかも)、特別に難しい人間ではありません。挨拶されれば挨拶を返しますし、「すみません」とか「ありがとう」とか、心を込めて言われたりすると、「いいんですよ」とか「どういたしまして」とか、心を込めて返します。普通は。
ただ問題なのは、この「挨拶されれば」の「されれば」というところです。相手から、まず挨拶をされれば「挨拶を返す」のです。このレジの女性のように挨拶をしなければ、「挨拶しない」。つまり相手次第。受動的というか、主体性がないのです。
基本的には性格的なものなのでしょうが、スーパーのレジとかで「やあ、マリア、おはよう。今日もきれいだねえ」とか「今日も疲れたけど、あなたのレジで癒される気がします」とか、言えないなあ。
まあ、そこまで「変」にならないとしても、レジの人に「ゴーザン・ダイイン」(こんにちは)は言うにしても、笑顔を振りまくようなことはないですねえ。
でも、それってちょっと「発信力」欠けてますよね?
で、その点を突き詰めることを抜きにして、「レジ係がまずどう出るか?」から自分の態度を決めているワタシとは、あまり賞賛できない、いや牧師さんとしてはまったく評価できない輩なんではないかと思ってしまうわけです。
家の近所には他にもいくつかスーパーがあるのですが、そのうちのひとつ「ボーナス」というスーパーには、何年か前に名物の女性レジ係がいました。ザンビア出身のフランシスカという三十歳くらいの人でしたが、とにかくいつも笑顔で応対してくれるのです。
それでそのお店のお客さんたちの、人気を集め、お店の名物になりました。フランシスカさんのところだけ長―いレジ待ちになることもあったとか。新聞やニュースにも取り上げられるほどでした。
私はそのお店にはめったに行かないので、実際にフランシスカさんにレジをしてもらったことはないのですが、おそらく彼女なんかは「相手の出方待ち」なんていうケチな心ではなく、自分の方から進んで、溢れる笑顔と元気を他人に投げかけることができるタイプなのでしょう。聖人か?
フランシスカさんについてのVisir.isの記事(2009年)
「そういうことに気がついたのなら、それはそれでよし。明日から進んで笑顔で挨拶したらいいよ」と思う方もありましょう。ですが、私がそのことに気がついたのは、もう二年以上も前のこと。
実際、赤十字の雑誌Vertu naes! (Be nice!)に、このことについて寄稿したことすらあるのでした。それから二年。依然としてワタシは相手の出方を待ちながらレジを通過しているようです。
しかも行きつけのスーパーでくだんの女性と遭遇してしまった際には、同じ思考プロセスを何度も何度も繰り返しながら。「進歩がない」というのはこういうのを指すのでしょう。
だから、理屈ではない「何か」が必要なんでしょうね、これを改善するには。天から何か降ってこないとダメかな?もはや他力本願になってきました。
「笑顔ときちんとした挨拶は、伝染するものだ」とかよく言われますよね。私もそう思います。逆に「不機嫌」「ブスッ」も伝染します。人の集まりというものには日常的に接してますので、これは自信を持って言えます。
まあ、だから、どちらかと言えば良いものを伝染させる方になっていたいとは思います。逆になってるかな〜?心配... じゃ。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
そんな天気の中、私は午前中に行きつけのスーパーへ、少々の買い物をしに出かけました。もちろん、カッコいいマツダCX-3に乗って。
金曜とはいえ平日のこの日、私は自宅で勤務をしていたのでした。オフィスの引っ越しが終わり、一応の片付けも済んで落ち着いたので、実はオフィスに出向く気は満々だったのですが、自宅勤務に切り替えたのです。
新マイオフィスは、前にも書きましたように、教会の小ホールの一部 -正確にはキッチンに隣接する一角- を利用して作られました。で、この小ホールなのですが、実は大きなイベント等の際は、可動式の折りたたみ式壁を収納して、隣りの大ホール部分との境をなくし、「特大ホール」とすることができます。
今日(金曜日)は、実は午後に上階の教会でお葬式があり(私が担当するわけではないのですが)、その後、こちらの習慣である「お茶の会」が階下のホールで行われることになっていたのです。そのため、ホールは「特大ホール」となっており、百五十人くらい?分のお茶席が、木曜の夕方にはセットされていました。
そういうことは何度も経験してきていますが、お葬式の参加者に周りを囲まれてオフィスでひとりで仕事をする、というのはなかなか難しいことなのです。なんせ多勢に無勢、なんというか「お門違いが一人混じっている」感が拭えないのです。
というわけで、今日の金曜日は自宅勤務日となりました。実際には、娘と久しぶりにランチに出かけたりしたので、限りなく「自宅サボり」に近い一日となりましたが...
嵐模様のレイキャビクの港 娘とランチのお店より展望
話しが逸れてしまいました。なぜ平日なのに自宅にいたかの言い訳をしたかったのです。さて、スーパーでお買い物目的のバナナ、ブロッコリーその他二、三点をカゴに入れた私はレジに向かいました。
レジ係はタイ系と思しき女性で、これまでも何度もレジをしてもらってきた人です。
しかしです。私はこのヒト、あまり好きではありません。なぜなら、挨拶もしないし、愛想がまったくないからです。
他にもレジが空いている時には、この女性を避けることのあるのですが、今日は平日の昼前で、空いているレジはひとつだけ。仕方ない。案の定、今日も笑顔も挨拶も抜きで接してきたので、こちらも同様の作法で買い物を済ませました。
この女性のレジで会計を済ませると、必ず「リチュアル」のように頭に浮かぶ「思考プロセス」があります。
まず、この人は私のことを個人的に嫌って、ああいう態度を取っているのか?そういうことではないとは思うのですが、ここは小さな社会ですし、私は新聞や雑誌に登場することも時々ありますので、私のことを知っている人も大勢います。
さらに正直に言うと、私のことを嫌っている人も多くいます。更に言えば、「蛇蝎のように嫌っている」人も何人かはいるでしょう。そのこと自体は気になりません。ある意味では自分に対する賞賛のようなものと受け取っていますので。
だから、もしかしたら、このレジのお姉さん(おばさんかな?ウーン、年齢は察し難い... アジアの女性は... )もその口かも。でも、他のお客さんに対しても、それほどにこやかに振舞っている気はしないので、おそらく個人的なことではないのだろうと察します。
この想いに続いて必ず出て来るもうひとつの思いがあります。それは「お前の方から、先手を打ってにこやかに挨拶をすれば、向こうも挨拶を返すかもしれないだろうに」ということです。
「お前の意識の中に『お客様』意識があって、『そっちから挨拶しろ』みたいなオーラが出ちゃってんじゃないの?」
そうなんです。これがいつも自分でも考え込んでしまう点なのです。
先へ進む前に一言説明しておきますが、アイスランドのスーパーのレジは、日本のように礼儀正しい規律が行き渡っているわけではありません。挨拶しないどころか、買った品物をヒョイと横へ放り投げるような輩さえいます。最近は以前よりはマシになった感はありますけど。
それでもドイツに滞在していた日本の友人が訪ねて来た際に、この話題になり、彼が言うには「ドイツはもっとひどい。『買わせていただく』感さえあるよ」ギョギョ! ですね。世界のスーパーのレジの文化をまとめてみたら面白いかも。
ようやく納まった新マイオフィス
元へ戻ります。私は極めて普通の振る舞いをする人で(でも世の中の大半は自分自身のことをそう思っているのかも)、特別に難しい人間ではありません。挨拶されれば挨拶を返しますし、「すみません」とか「ありがとう」とか、心を込めて言われたりすると、「いいんですよ」とか「どういたしまして」とか、心を込めて返します。普通は。
ただ問題なのは、この「挨拶されれば」の「されれば」というところです。相手から、まず挨拶をされれば「挨拶を返す」のです。このレジの女性のように挨拶をしなければ、「挨拶しない」。つまり相手次第。受動的というか、主体性がないのです。
基本的には性格的なものなのでしょうが、スーパーのレジとかで「やあ、マリア、おはよう。今日もきれいだねえ」とか「今日も疲れたけど、あなたのレジで癒される気がします」とか、言えないなあ。
まあ、そこまで「変」にならないとしても、レジの人に「ゴーザン・ダイイン」(こんにちは)は言うにしても、笑顔を振りまくようなことはないですねえ。
でも、それってちょっと「発信力」欠けてますよね?
で、その点を突き詰めることを抜きにして、「レジ係がまずどう出るか?」から自分の態度を決めているワタシとは、あまり賞賛できない、いや牧師さんとしてはまったく評価できない輩なんではないかと思ってしまうわけです。
家の近所には他にもいくつかスーパーがあるのですが、そのうちのひとつ「ボーナス」というスーパーには、何年か前に名物の女性レジ係がいました。ザンビア出身のフランシスカという三十歳くらいの人でしたが、とにかくいつも笑顔で応対してくれるのです。
それでそのお店のお客さんたちの、人気を集め、お店の名物になりました。フランシスカさんのところだけ長―いレジ待ちになることもあったとか。新聞やニュースにも取り上げられるほどでした。
私はそのお店にはめったに行かないので、実際にフランシスカさんにレジをしてもらったことはないのですが、おそらく彼女なんかは「相手の出方待ち」なんていうケチな心ではなく、自分の方から進んで、溢れる笑顔と元気を他人に投げかけることができるタイプなのでしょう。聖人か?
フランシスカさんについてのVisir.isの記事(2009年)
「そういうことに気がついたのなら、それはそれでよし。明日から進んで笑顔で挨拶したらいいよ」と思う方もありましょう。ですが、私がそのことに気がついたのは、もう二年以上も前のこと。
実際、赤十字の雑誌Vertu naes! (Be nice!)に、このことについて寄稿したことすらあるのでした。それから二年。依然としてワタシは相手の出方を待ちながらレジを通過しているようです。
しかも行きつけのスーパーでくだんの女性と遭遇してしまった際には、同じ思考プロセスを何度も何度も繰り返しながら。「進歩がない」というのはこういうのを指すのでしょう。
だから、理屈ではない「何か」が必要なんでしょうね、これを改善するには。天から何か降ってこないとダメかな?もはや他力本願になってきました。
「笑顔ときちんとした挨拶は、伝染するものだ」とかよく言われますよね。私もそう思います。逆に「不機嫌」「ブスッ」も伝染します。人の集まりというものには日常的に接してますので、これは自信を持って言えます。
まあ、だから、どちらかと言えば良いものを伝染させる方になっていたいとは思います。逆になってるかな〜?心配... じゃ。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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