レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「なりきり」ボッシュ刑事の短い夏休み

2018-08-05 03:00:00 | 日記
八月を迎えています。日本では八月はまさしく「夏の真只中」の感がありますね。ですが、ここアイスランドでは八月はすでに「夏の終わり」を運んでくる月なんです。

この時期には、夜も十時を周りますと、辺りは相当暗くなってきます。ふと目を窓の外にやると「あれ!? もう暗いじゃん」とか気がつき、驚かされます。夏至から一ヶ月以上経っているのでうから、当たり前ではあるのですが、明るい夜に慣れてしまった自分の意識の方が不意をつかれてしまうわけです。

八月の第一の週末、つまり今のこの週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギ(商人の週末)と呼ばれ、明日の月曜日にかけての祝日となっています。野外どんちゃん騒ぎの週末なのですが、この週末が終わると「夏も終わった」感が一気にやって来ます。

この週末に関しては以前にも書きましたのでそちらも参照してみてください。

八月のアイスランド「準備中」




有名になった?ウェスターン諸島での野外パーティー
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


私はこの夏は長い夏休みを取らないつもりでしたが、それでも七月の最後の週からこの週末が終わるまでは「休みにしようか?」と考えていました。多少の気分転換は誰でも必要ですし、周囲が「夏休みの最後のあがき」的な雰囲気になっているので、落ち着いて仕事に向き合えないのです。

そのような中途半端な状況だったら、お休み宣言して気を楽にした方が良い、とこれまでの経験から学んだわけです。「7月25日から二週間は夏休みにしよう」と。

日本の皆さんからすれば、それでも十分に長い夏休みでしょうが、こちらではこれは普通の夏休みの半分に過ぎません。ですが、私は日本へ戻る計画が別にありますので、これで十分。

ところが、いくつかしなければならない事項が出て来てしまい、結局お休みに入れたのは7月30日の月曜日になりました。ちょうど二ヶ月ほど居候していた息子が、新しい住居へ移って出ていく時だったので、いろいろ手伝いもあり、まあ休みにした甲斐がありました。

ところが同時進行で、月曜の夜からいろいろ相談事が入ってきたりして、あまり休みに没頭はできません。で、少し迷ったのですが、木曜日には夏休みを切り上げて、仕事をまた始めました。(^-^; 結果、足かけ五日間の夏休みとなりました。

まあ、この夏は過去三年間の夏のように、仕事がわんさかとはなかったこともあり、結構のんびり目の夏を過ごしていましたから、それほど「夏休みが欲しい」というところまで追い込まれていなかった、という前提はあります。

その上で夏休みを切り上げることにした第一の理由は、やはり仕事の必要があることです。いろいろな相談事が五月雨のように流れ込んでくるのは、牧師や、お医者さん、弁護士さんのように、人の相談に乗ることを生業としている方々には共通のことでしょう。

それでも、例えば歯が痛くなったら歯医者さんに頼らざるを得ませんよね。比べて、牧師さんのところへ流れ込む相談事は、歯医者さんの場合の歯痛の痛みを処置するという問題の解決よりは、「問題があることを聞いてもらいたい」というものの方が多いように思います。解決そのものを求めるのではなくて。

そういう場合でも「夏休み中だから遠慮しておこう」とはなかなか考えてはくれないようなのが、つらいところです。「強制送還の通告を受けた」とか「滞在許可が認められなかった」とかいうが多いのですが、牧師はそれらの問題になんの直接的な解決も与えることはできません。しかし本人にとっては大問題ですから、話さざるを得ないのです。

そういう事情はありましたが、それが夏休みを切り上げた理由ではありません。理由は五人ほど、新しい難民申請者の人たちが教会を頼って来たからです。




「難民の人たちと共にする祈りの会」の一コマ


この人たちはすでに洗礼を受けているクリスチャンが四人、そうではない人がひとりです。私が責任を持っている「難民の人たちと共にする祈りの会」は、まさにそういう人たちのことをまずもって考えて持たれています。

で、そのような時に「悪いけど、今週は夏休みだから」と言って、教会へ迎えるのを先延ばしにするのは、好ましくありません。特に、この国に来てまだ間も無く、右も左もわからない人に対しては、致命的に良くないことと言っても良いでしょう。

というわけで、夏休み切り上げの第一の直接の理由は、この五人の人たちを放ってはおけないからということでした。なんというか、むしろやる気がムクムクと湧いてくるのです、こういう状況に出くわすと。

夏休み切り上げにはもうひとつの理由もあります。もしかしたらこちらの方がさらに直接の理由かもしれません。それは、「夏休み、することがなくてタイクツ!」ということです。

家庭のある人は旅行へ行ったり、サマーハウスに滞在したりと、いろいろ計画もありましょうが、ワタシのように、婚姻解消者(バツイチよりも響きがいい)で、子供たちはそれぞれに独立して生活していますと、「咳をしてもひとり」というか「何をするにもひとり」になってしまうのです。

お茶ひとつにしても、声をかけられる邦人の人たちも帰省中だったり、前回登場したシノブママもクロアチア旅行へ行っちゃってたりして、相手がなく、要するに皆それぞれの夏休み中の事実に負けているのでした。

そんな侘しい四、五日の夏休み中にしたことのひとつが読書。マイケル・コナリーのLAPDハリーボッシュ刑事もの最新作「燃える部屋」をEbookで一気に読破。続いて、その前々作と前作のふたつの作品を読み返しました。




TV化もされているハリーボッシュ刑事シリーズ でもこの俳優さんはイメージと違う
Myndin er ur Realsounds.com


このハリーボッシュには、どうしても自己投影してしまう部分が相当あります、特に五十を過ぎてから。要するに「なりきり」で読んでしまうということにほかなりません。(^-^; これが大のお気に入りのシリーズであることは、前にも書いたことがあります。

Connelly World & Harry Bosch


このボッシュ刑事も、娘に関することと、Jazzが好きなこと以外は仕事が生きがいというタイプ。それゆえの喜びと哀しさがストーリーに織り込まれているわけです。

(*ハリーボッシュシリーズに関しては、ハンドル名Heartbeatさんという方が、ファンサイトを通り越した「研究サイト」を作っておられます。関心のある方はぜひお訪ねください。Hearbeatさん、ありがとうございます。大変参考になります。
ハリー・ボッシュをもっと知りたい! )

ボッシュの考えの基本にあることのひとつが「過去の殺人事件犠牲者の声を聞く」こと。ボッシュ刑事、(シリーズ終盤は)LAPDの未解決事件班に所属しているので、過去の犠牲者の「声なき声を聞く」ことを信条のひとつにしています。

これを「なりきり」牧師のワタシは、同じように難民の人たちのような、色々な意味で「声を持たない人たち」の声を聞く、ということに重ね合わせて受け取ってしまいます。「そうだ、Voiceless voices を聞くのはいつなの?今でしょ」 

という、バカバカしいほど単純にスイッチが入ってしまったワタシは、夏休みを切り上げて、仕事を続けることにしたのでした。私の中の牧師の部分は、きちんと聖書を人生の書として範に挙げ、糧としていますが、私の中のワタシの部分は、ハリーボッシュ刑事ものも我が人生の書として傾聴しているのでした。

とにかく、ハリーボッシュはリゾートホテルのプールサイドで、ブルーハワイをストローで吸うようなことはしないのだ。ハリーボッシュは皆が帰宅した後のLAPDのデカ部屋で、マグコーヒーを片手に調書を再査読するのだ。

そんなこんなで私のこの夏は過ぎて行くようです。平和ではありますが、多少哀しいものもあるような。でもその哀しさはまぎらわされるようです - ヒグラシが鳴かないから、ここでは。

まだまだ暑いニッポン。熱中症に気をつけて今週もお過ごしください!!


藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is


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