レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

教会美術とOne Pieceの出会うところ ハナハナの実?

2021-06-06 00:00:00 | 日記
こんにちは/こんばんは。レイキャビクはここ一週間ほど、梅雨のような灰色の日が続いています。六月なりましたから「奇跡の五月」は当然終わりましたが、「奇跡の六月」となって復活して欲しいものです。

気温は10〜12度くらいまで上がっていますので、屋内にいると、時折蒸し暑くなり汗が滲んできます。日本の皆さんからすれば「それでも夏なのか?」でしょうが、これでさえワタシ的には地球温暖化を体感する思いです。この時期に汗ばむなんて、ここ十年間くらいの現象ですから。

さて、今日は芸術についてです。




除幕式の様子 左側の紳士がビリーさん
Myndin er ur kirkjan.is/Hreinn_H.


なーんちゃって。(*^^*)  実はちょっとご紹介してみたいアート作品があるのです。私が居候しているレイキャビクの東地区にあるブレイズホルトゥス教会に、先日ある芸術家の人がご自身の創作作品を献品してくださったのです。

この方はWilly Petersenビリー・ペーターセンという七十歳前後の男性で、時折りブレイズホルトゥス教会のメサ(礼拝式)に参加されてきたようです。私は個人的には存じ上げていません。名前から察してデンマーク系の方?

五月の16日の日曜日のメサの中で、除幕式が行われました。文字通りの「除幕」で、それまでは幕に隠されていて、どのような作品であるのか私も見たことがありませんでした。

現れたのは「手」がいっぱい。木彫りの「手」が教会を形作っている、という風の作品です。

このブレイズホルトゥス教会の内部は、木材が多用されている北欧風(なのかなあ?)の作りなのですが、それに合わせて考えられたようです。

使用されている木材は、色々あって、燻したオーク、松の木、マホガニー、チーク、ライム(シナノキ)、樺、普通のオーク等々だそうです。面白いのは、ビリーさんご自身は木彫りを勉強したわけではなく、本来の専門は金属細工とのこと。

芸術作品というのは、あまり説明とかするようなものではないのかもしれませんが、ビリーさんご自身の説明が教会のサイトに載っていましたので、それもかいつまんでご紹介させていただきます。




“Hendur Guds” by Willy Petersen


まず、木彫りの作品であることは、ブレイズホルトゥス教会の内部の雰囲気にマッチするものと言いましたが、さらにこの教会の外形も作品の中に用いられています。

木彫りの「手」が形作る三角形状の形は、実はブレイズホルトゥス教会の外形を模したものです。この教会は、別名「インディアン・テントの教会」と呼ばれ、ネイティブ・アメリカンが使う円錐形のテントの形をしています。

モンゴルの遊牧民の人たちが使うテント、と言った方がピンとくるかも。

三角形の底辺は、弓状に曲がっており、これは「大地」をイメージしています。この「手」が形作る教会はこのブレイズホルトの教会であると同時に、地上のすべての教会を表すものなのです。




「インディアン・テント」教会


上部の小さなサークル、あるいはリングは「永遠」「始まりと終わり」を表しています。ちょっとキリスト教的な話しになりますが、キリストの言葉に「私はアルファであり、オメガである」というものがあるのです。

そのリングからみっつの手が伸びて、他の手を掴んでいますが、これらは「父なる神」「イエス・キリスト」「聖霊」という神のみっつの位格のシンボルです。

「手」の色は多様ですが、これは着色したものではなく、木の素材を使い分けることによって様々な色を集めたようです、表していることはもちろん、肌の色はいろいろでも人は皆でひとつだ、ということです。

作品のタイトルはHendur Guds ヘンドゥル グビューズス「神の手(複数)」。“Hands of God”ですね。




中央のリングは「永遠」のシンボル
Myndin er ur Kirkjan.is/Hreinn_H.


この作品で私が気に入っている点は、「神の手」というものが小さな手の繋がりによって表されていることです。普通「神の手」とかいうと、巨大な手のひらみたいな譬えが多いのです。みんながその上に乗っかっているような。

それが間違いとかいうことではないのですが、小さな手の繋がりだと、私たちのアプローチが変わってくる点もあります。

巨大な手だとしたら、私たちにはどうしようもない、それこそ手の届かないところのものとなりますが、小さな手の繋がりということになると、そこには人間の手も入り込めるのではないか、という視点が生まれます。




「大きな手」よりは「小さな手の繋がり」
Myndin er ur Kirkjan.is/Hreinn_H.


これは、牧師としての立場から言わせてもらうと、かなり大切なことです。神の働き、というと普通すぐに説明のつかない奇跡のようなことを思い浮かべるものなのですが、実際には神は人を通して働かれることの方が多い、と私は考えています。

もちろん、私たちが神のようになるわけでも、神のような能力を授けられるわけでもありません。私たち凡人ができることは、いつでも限られた小さなこと以上ではないことでしょう。ただ、それでもそれらが集まってくると、結果として予想もできなかった大きな良い変化をもたらすことがあります。

私はそれは「奇跡」だと思います。もちろん、人の手による努力の集まりですから、超自然的なものではありませんし、すべて説明できます。理屈上も辻褄の合うことのはずです。にもかかわらず、そのように小さな努力が集まって、思いがけないことが起こる。そういう風に全体がまとまることが奇跡なのです。

私は自分の職務で、難民の人たちとの関わりが多くあります。その中で、そのような奇跡を何度も目撃する機会がありました。それぞれに説明がつくことなのですが、その度に「奇跡」を感じました。説明ができない超常現象という意味での奇跡ではなく、「神の働き」の現れとしての奇跡です。

そういうことのいくつかは、以前に書いたことがありますので、そちらをご覧いただければと思います。

アイスランド 2015クリスマス·ストーリー

アイスランドな夏 難民の女の子と野外誕生日会 (1)

アイスランドな夏 難民の女の子と野外誕生日会 (2)


現代社会には「神の働き」を私たちの日常の努力から切り離してしまう傾向があると思います。そういう中で、このビリーさんの作品は、なんというか「神の働きは私たちの日常の中にある」という大切なことを忘れないようにする「モニュメント」みたいに思われます。

ただ、飾ってあるバックの壁がいまいち安っぽくて、残念だな。もう少しきちんとしたディスプレーにしてもらいたいと思います。




ロビンちゃんの「ハナハナの実」の技
Myndin er Pintest.jp


それから秘密ですが、この作品を初めて見たときに私の心に浮かんだのは、実は全然キリスト教的なことではありませんでした。

「おっ! 『ハナハナの実!』」

そうです。ワタシの第一印象はOne Pieceに出てくる愛しのニコ・ロビンちゃんの必殺技「ハナハナの実」なのでした。これはビリーさんには絶対言わない、よ。(*^^*)


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Home Page: www.toma.is
Facebook: Toma Toshiki
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