(前回からの直接の続きです)
さて、もちろんアイスランドにも、難民の人たちにサポートをしようという人は多くいます。昔からそうだったわけではありません。嬉しい変化です。
私も含めて支援派の人たちはどうやったらモハメドさん父娘をサポートすることができるか考えてきました。送還の代わりに申請の内容の吟味を求める署名運動が始められましたし、ジャーナリストへの働きかけもしました。それでも、もっと多くの人に内容を知らせる「何か」が足りないのです。
そこで支援者の中の何人かの人が考え出したのがアニアちゃんの誕生日パーティーでした。実際はアニアちゃんの十二歳の誕生日は十月なのですが、「彼女がまだアイスランドにいるうちに誕生パーティーをしてあげよう」と言う趣旨で誕生日を計画することになりました。
それが決まったのが七月の二十六日の水曜日の夜。会合は私の教会で開かれたのですが、私がしたのはこの会合をホストすることだけでした。正直に申告しておきますが、私は次に続く準備会の驚異的な働きには関知していません。何しろ「休暇中」でいなければいけなかったので。
わずか六日後の八月二日の午後四時。レイキャビクの中心地にあるクランブラトゥーンという公園の一角で野外誕生会が開かれました。この一角には子供達用の遊戯施設も付いているので、特に子供達は十分に遊べる区域です。
雲ひとつなく、上着を着ていると暑いくらいの好天の中で、「わんさかわんさ」と人が集まってきました。準備会の人たちはその六日間の間に本当によく働き、メディアへの連絡、カンパの要請やボランティア援助の声かけなどがなされました。
それで、当日の会場ではアイス屋さんのワゴンが子供達に無料でアイスをあげてくれたち、ホットドッグのグリルとジュース、手作りのケーキもベンチテーブルに山積みのようになりました。
アニアちゃんはまさしくシンデレラでしたね。マスコミのカメラに囲まれ、さらに多くに人たちから祝福と激励の声をかけられ、何度も携帯カメラの前に立っていました。これだけの人の注目、それも好意的な注目の的になったことはそれまでなかったことでしょう。
バースデイケーキの前のアニアちゃんを囲むカメラマン アニアちゃんは見えません、悪しからず
集まった人たちは、おそらく二百人はいたのではないかと思います。これほどの人が私のために集まってくれたことだってなかったですよね。これからもないでしょう。まあ、葬式くらいかな?
パーティーの間、私も色々な人と挨拶したり雑談したりしましたが、もちろんほとんどの人がモハメドさん父娘に会ったのは初めて、という人でした。「アイスランドはまた好況で、人が必要なんだ。スペースもあるし、なぜ怪我をしているシングルファーザーと難民キャンプしか知らない無垢な少女を追い返す必要があるんだ?」というのがほとんどの人の声でした。
移民局の担当者や難民問題をよく知る人たちから見れば「そんなに単純なもんじゃないよ」というのが本音でしょう。確かにそう思うのは当然だろう、と私でさえ思います。しかしながら、それは決して街の人々が間違っていて、専門家が正しいということにはなりません。
正しいのは、多分街の人々の方なのです。「困っている人々がいて、我々にはそれを助けることができる。それは同時に我々のためにもなるじゃないか!」それが正しいことの原点なのではないかと思います。ポリシーや制度、法律はその正しいことを保証するために作られていくものです。
しかしながら、システムや規則が専門化し細分化していくに従って、元々の原点が見失われ、大義が大義に使えるはずの周辺事物に犠牲にされることになってしまうのです。
モハメドさん父娘のケースはその典型のようです。モハメドさん父娘はイランで難民として受け入れられていましたので、たとえその生活環境がどんなに悪かろうと、新たに他国で難民申請が認められることはありません。
拒否されることを覚悟の上で難民申請をしても、ダブリン規則によれば、責任国はドイツでありアイスランドは知らんぷりをすることができます。足の悪い父親と十一歳の女の子がドイツでどのような環境に耐えねばならないとしてもです。
物事を細分化し細かく規則に照らしていくとそうなるのです: 移民局がやっているように。ですが、物事全体を見つめて、何がすべての規則の規則やシステムのさらに上に考えるならば、規則やシステムが導くのとは異なる結論に至ることもあるのです。
経済恐慌以来たびたび示されてきたように、アイスランドの政治、社会には直接民主主義的な動きが示されることがあります。それが実際に政治の動向、議会の決定事項に影響を与えてきました。
それをどのように評価するかについてはいろいろな意見があるでしょうが、少なからず「常識」的で「筋の通った」道を指し示してきていると私は思っています。今回のアニアちゃんの誕生パーティーも、ある意味ではこのような直接民主主義の「タマゴ」だったのではないでしょうか?
難しい状況のための楽しいパーティー
パーティーの翌日のフリェッタブラージィズ紙の一面にはにっこり笑うアニアちゃんの顔写真が載りました。その日の正午の集計では、モハメドさん父娘へのカンパ金は六十万クローネにも達したそうです。送還の撤回と難民申請の審議を求めるペティションは五千人に届こうとしています。
今、この時点では、すでになされたモハメドさん父娘の送還の決定に、これら一連の支援者のアピールが何かの影響を与えるかどうかは不明です。支援する側としては、安心せずにプッシュし続けなくてはなりません。
良い方向へ物事が向いてくれることを願ってやみませんが、何れにしても今回の出来事はアイスランドがどのような社会であるか、アイスランドの人々がどんな人たちであるかを改めて考える良い機会となりました。
いろいろ言いたいことはありますけどね、それでもこの国は気に入っています。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Home Page: www.toma.is
さて、もちろんアイスランドにも、難民の人たちにサポートをしようという人は多くいます。昔からそうだったわけではありません。嬉しい変化です。
私も含めて支援派の人たちはどうやったらモハメドさん父娘をサポートすることができるか考えてきました。送還の代わりに申請の内容の吟味を求める署名運動が始められましたし、ジャーナリストへの働きかけもしました。それでも、もっと多くの人に内容を知らせる「何か」が足りないのです。
そこで支援者の中の何人かの人が考え出したのがアニアちゃんの誕生日パーティーでした。実際はアニアちゃんの十二歳の誕生日は十月なのですが、「彼女がまだアイスランドにいるうちに誕生パーティーをしてあげよう」と言う趣旨で誕生日を計画することになりました。
それが決まったのが七月の二十六日の水曜日の夜。会合は私の教会で開かれたのですが、私がしたのはこの会合をホストすることだけでした。正直に申告しておきますが、私は次に続く準備会の驚異的な働きには関知していません。何しろ「休暇中」でいなければいけなかったので。
わずか六日後の八月二日の午後四時。レイキャビクの中心地にあるクランブラトゥーンという公園の一角で野外誕生会が開かれました。この一角には子供達用の遊戯施設も付いているので、特に子供達は十分に遊べる区域です。
雲ひとつなく、上着を着ていると暑いくらいの好天の中で、「わんさかわんさ」と人が集まってきました。準備会の人たちはその六日間の間に本当によく働き、メディアへの連絡、カンパの要請やボランティア援助の声かけなどがなされました。
それで、当日の会場ではアイス屋さんのワゴンが子供達に無料でアイスをあげてくれたち、ホットドッグのグリルとジュース、手作りのケーキもベンチテーブルに山積みのようになりました。
アニアちゃんはまさしくシンデレラでしたね。マスコミのカメラに囲まれ、さらに多くに人たちから祝福と激励の声をかけられ、何度も携帯カメラの前に立っていました。これだけの人の注目、それも好意的な注目の的になったことはそれまでなかったことでしょう。
バースデイケーキの前のアニアちゃんを囲むカメラマン アニアちゃんは見えません、悪しからず
集まった人たちは、おそらく二百人はいたのではないかと思います。これほどの人が私のために集まってくれたことだってなかったですよね。これからもないでしょう。まあ、葬式くらいかな?
パーティーの間、私も色々な人と挨拶したり雑談したりしましたが、もちろんほとんどの人がモハメドさん父娘に会ったのは初めて、という人でした。「アイスランドはまた好況で、人が必要なんだ。スペースもあるし、なぜ怪我をしているシングルファーザーと難民キャンプしか知らない無垢な少女を追い返す必要があるんだ?」というのがほとんどの人の声でした。
移民局の担当者や難民問題をよく知る人たちから見れば「そんなに単純なもんじゃないよ」というのが本音でしょう。確かにそう思うのは当然だろう、と私でさえ思います。しかしながら、それは決して街の人々が間違っていて、専門家が正しいということにはなりません。
正しいのは、多分街の人々の方なのです。「困っている人々がいて、我々にはそれを助けることができる。それは同時に我々のためにもなるじゃないか!」それが正しいことの原点なのではないかと思います。ポリシーや制度、法律はその正しいことを保証するために作られていくものです。
しかしながら、システムや規則が専門化し細分化していくに従って、元々の原点が見失われ、大義が大義に使えるはずの周辺事物に犠牲にされることになってしまうのです。
モハメドさん父娘のケースはその典型のようです。モハメドさん父娘はイランで難民として受け入れられていましたので、たとえその生活環境がどんなに悪かろうと、新たに他国で難民申請が認められることはありません。
拒否されることを覚悟の上で難民申請をしても、ダブリン規則によれば、責任国はドイツでありアイスランドは知らんぷりをすることができます。足の悪い父親と十一歳の女の子がドイツでどのような環境に耐えねばならないとしてもです。
物事を細分化し細かく規則に照らしていくとそうなるのです: 移民局がやっているように。ですが、物事全体を見つめて、何がすべての規則の規則やシステムのさらに上に考えるならば、規則やシステムが導くのとは異なる結論に至ることもあるのです。
経済恐慌以来たびたび示されてきたように、アイスランドの政治、社会には直接民主主義的な動きが示されることがあります。それが実際に政治の動向、議会の決定事項に影響を与えてきました。
それをどのように評価するかについてはいろいろな意見があるでしょうが、少なからず「常識」的で「筋の通った」道を指し示してきていると私は思っています。今回のアニアちゃんの誕生パーティーも、ある意味ではこのような直接民主主義の「タマゴ」だったのではないでしょうか?
難しい状況のための楽しいパーティー
パーティーの翌日のフリェッタブラージィズ紙の一面にはにっこり笑うアニアちゃんの顔写真が載りました。その日の正午の集計では、モハメドさん父娘へのカンパ金は六十万クローネにも達したそうです。送還の撤回と難民申請の審議を求めるペティションは五千人に届こうとしています。
今、この時点では、すでになされたモハメドさん父娘の送還の決定に、これら一連の支援者のアピールが何かの影響を与えるかどうかは不明です。支援する側としては、安心せずにプッシュし続けなくてはなりません。
良い方向へ物事が向いてくれることを願ってやみませんが、何れにしても今回の出来事はアイスランドがどのような社会であるか、アイスランドの人々がどんな人たちであるかを改めて考える良い機会となりました。
いろいろ言いたいことはありますけどね、それでもこの国は気に入っています。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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