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祝!!優勝!!!
中日ドラゴンズ!!
長かった・・・!!
今日、巨人に勝った、やったぜ・・!!
優勝だあああ~~~~~~~~!!!
はうううう~~~~~うう!!!!
はああ~~~~~~~~~~~~~~っ(全ての力が抜けた)
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◇セ・リーグ(東京ドーム)
中 日 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 6 9
巨 人 0 0 0 1 0 0 2 0 0 0 0 0 3
(延長十二回)
[勝]岩瀬 55試合 2勝 2敗 40S
[敗]高橋尚 35試合 2勝 6敗 15S
[本]T・ウッズ46号3ラン(姜建銘・4回)、47号満塁(高橋尚・12回)、
二岡25号(川上・4回)、高橋由15号(川上・7回)、小久保19号(川上・7回)
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本当に、ファンをやきもきさせながらも、最後まで、首位を守りきった。
落合監督は、優勝インタビューで泣いていた。
この人の、1度目の涙は、長嶋巨人で4番打者として活躍し、
あの10・8でドラゴンズを破って優勝した時・・。
今回は、監督として、チームの指揮官としての厳しい立場で優勝を飾っての涙だった。
今年は、阪神藤川を筆頭に、お立ち台で、涙する選手が多かったが、
締めくくりは、やはりこの人、名将、落合博満、中日監督だった。
選手としては、3度の3冠王を取り、伝説のゲーム10・8でも、
4番打者として、勝利を呼ぶホームランを打って、長嶋監督にお辞儀されて迎えられた。
中日監督としても、3年目で、2度の優勝を飾り、去年も2位という好成績だった。
思えば、これほど野球の神様に愛されている人物も珍しいと思う。
落合さんには、来年も、ぜひ、監督を続けてほしい。
おっと!その前に、めざすは日本1だな!!!
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また1人、日本の宝が、海外へ旅立つ・・!!
好きな選手だけに、メジャーでも活躍してほしいと思う。
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▽1954年
天知監督が3年ぶりに復帰、全球団に勝ち越した。32勝のエース杉下がMVP、最多勝、最優秀防御率など個人タイトルを総なめ。日本シリーズは西鉄に4勝3敗で初の日本一となった。
▽1974年
与那嶺監督の下、勝率1厘差で巨人のリーグ10連覇を阻止し、20年ぶりのリーグ制覇。20勝の松本が最多勝、先発と抑えで活躍の星野が沢村賞。
▽1982年
就任2年目の近藤監督が前年まで2年連続Bクラスの殻を打ち破る。巨人との一騎打ちを制し、シーズン最終戦で優勝決定。守備の要、中尾がMVP。
▽1988年
4月最下位ながら夏場から調子を上げた。就任2年目の星野監督の下、守護神の郭がプロ野球記録(当時)の37セーブでMVP、ルーキー立浪が新人王。
▽1999年
プロ野球タイの開幕11連勝で飛び出す。7、9月にも8連勝し、星野監督が11年ぶりの胴上げ。野口が19勝でMVP、新人の岩瀬が最優秀中継ぎ投手に輝いた。
▽2004年
落合監督1年目。5、6月の月間MVPに輝いた立浪の活躍などで6月に首位奪取し、最後まで守り通した。17勝の川上がMVP、最多勝、沢村賞。層の厚い投手陣と堅守がチームを支え、ゴールデングラブ賞に6人が選ばれた。
あの落合監督が、涙するとは。。。。
あたしまで、ほろりほろり
やっぱり、本物を持った人は、
なにかアンテナに引っかかるんですね。
“ビビビ”ときて
「やってくれる」と期待して、
期待はずれだった人は、まだいません。
くもりんは、アンテナが鋭いんですね。
でも、確かに、落合さんは、選手時代から曲者の匂いをプンプンさせてました。
だから、彼を理解しない敵も多かったと思います。
でも、本当に一心に野球に打ち込んだ人だと思いますよ。