肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ゲド戦記』、観ました。

2006-07-30 19:34:41 | 映画(か行)

ゲド戦記

 『ゲド戦記』、映画館で観ました。
無数の島から出来たアースシーでは、様々な異変が起こり始めていた。聖なる
生き物である竜が共食いを始め、家畜は疫病に倒れ、農民は田畑を捨て、
職人は技を忘れていく。世界の均衡を崩すものの正体をつきとめる旅に出た
大賢人ゲドは、国を捨てた王子アレンと出会う‥‥。
 この作品を、“監督・宮崎駿”で観てみたかった気持ちは勿論‥‥ある。ただ、
もしも、“監督・宮崎駿”だったら、これほど分かり易くて直接的にテーマが
伝わる映画になったかどうか‥‥。最近の『ハウル』『千と千尋』を観ても
チョットこねくり回し過ぎ、詰め込み過ぎの印象は抜けきれず、観ていてどうも
窮屈に感じちゃう。で、この『ゲド戦記』はといえば、近年の宮崎作品の特徴
でもある“難解さ”を全部取っ払って、新人監督が自由な発想から“シンプルさ”に
拘(こだわ)って、チャレンジしているのが伝わってくる。例えば、映画中盤、
ヒロインを野原に一人立たせて、アカペラの曲をほとんどフルコーラスで
歌わせる。その澄み切った歌声は、この病んだ世界に響き渡るように、ボクの
心にも染みてくる。こういうのって、小難しい理論とか理屈じゃない、むしろ、
テクニックに溺れちゃうと出来ない部分だと思うんだ。ボクは思わずその場面に
引き込まれてしまったし、同時に「自分自身が如何に薄汚れてしまったのか」を
感じ取ることが出来た。当然ながら、父・宮崎駿と比べればまだまだ足らない
ところもあるとは思うが、“初監督作”ということを考慮すれば、及第点は
楽々クリアして、「良く出来ました」の判は押してもいいとボクは思うけどね。
 まぁ、とはいうものの、映画を観ていてどうもスッキリしない点もちらほら。
まず、大きな所の疑問点は、主人公の少年が父を殺す理由がよく分からない。
自分がダメな人間で、父が偉大過ぎるから??、父が優れた王で、子より民の
事ばかり気に掛けるから??、うーん、それだけだとしたら少々弱い気もするし、
いや、それ以前に、何故主人公の心と身体が善悪に分かれてしまったのか??、
もう少し詳しく説明があっても良かったと思う。次に、ラストでヒロインが
〇〇〇だったというオチは、ある程度(原作を読んでない)ボクの中でも
想定の範囲内ではあったのだけど、そこでも何故?、どうして?、観る側には
釈然としない部分があるのではないか。更に、細かい部分では、映画の
プロローグで思わせ振りに出てきたキャラが、その後は一切登場しなかったり…。
結局のところ、原作のスケールがあまりにも壮大過ぎるために、2時間では
とてもまとめ切れずに、多くの説明不足が噴出してしまったように感じる。
それと、この内容だとタイトルにもある“戦記”にはなってないしね。

 実は、このレビューを書き終わった今になってふと気付いたのだけど、
もしや、父が築いた王国で“自分の居場所が見つからない息子”が本作監督の
《宮崎吾郎》、その主人公である“息子に殺された偉大な父”が《宮崎駿》
と受け取れなくはないのか。常に“偉大な父”と比較される息子の苦しみ…、
常に「宮崎駿の息子」と呼ばれ、決して「宮崎吾郎」と呼ばれない者の悲しみ…、
宮崎吾郎は「宮崎吾郎」であって、「宮崎駿」ではない筈なのに(涙)。
物語のラストで、主人公が自分の“本当の名前”を呼ばれて、魔法の呪縛から
解き放たれるのは、きっとそういうことなのかもしれない。

 


『戦艦ポチョムキン』、観ました。

2006-07-27 23:04:44 | 映画(さ行)

戦艦ポチョムキン ◆20%OFF!

 『戦艦ポチョムキン』、観ました。
1905年、戦艦ポチョムキンで起こった水兵たちの反乱で、その革命の指導者は
一発の銃弾に倒れる。死亡した彼を弔うため、オデッサの港に集まった民衆は、
帝政に対する不満を爆発させ、暴動を起こす。これを鎮圧するため、軍隊が発砲、
やがてそれは軍隊による民衆の大虐殺へと発展していく‥‥。
 “映画史”を語る上で絶対に外すことは出来ない伝説の映画。が、80年近くも
前に作られた、この“古典”映画を何の予備知識なしに若い人に見せたとして、
果たして本当に「凄い」と感じるかどうか‥‥。いや、とんでもない、これは
後(のち)の映画に影響を与えた功績とか、最初に“モンタージュ(カットの
組み合わせ)の技法”を確立した記念碑的作品だからとか、そういった“映画の
パイオニア”としての価値だけではなくて、今の感覚で正当に評価してみても、
やはり“優れた映画”であるのは間違いない。物語のスピード感と緊張感、
活劇シーンの躍動感、強烈なメッセージ性…、そのすべてに食い入るように
引き込まれ、圧倒される。さすが80年を経過して、今なお“映画史上最高傑作の
ひとつ”に数えられる奇跡の名作だ。
 さて、映画は、日露戦争直後のロシア革命を背景とし、専制君主制によって
(権力者から)弾圧を余儀なくされた民衆の“怒り”、政府への“不満”、自由への
“欲求”が、画面全体から迸(ほとばし)るエネルギーとなって観る者の心に
訴えかけてくる。中でも、堪(たま)らず号泣してしまったのは、あの有名な
“オデッサの階段”のシーン‥‥。母が我が子を失う哀しみと、叫びと、絶望とが
交錯して、観ながらにしてボクは、彼らが“僅かの自由(=ひとさじのスープ)”
のために血を流す“痛み”を味わった(涙)。改めて思うのは、この日本に…、
そして、この平和な時代に生まれたことへの幸せ‥‥。言い換えれば、今、
ボクたちが当たり前のように手にしている“自由”は、偉大なる先人たちの
“努力”と、多くの“犠牲”のもとで勝ち得たという事実を忘れてはいけないのだ。
それにしても、何の因果か、帝政ロシアにおける“自由と革命”を描いた
この作品が、監督セルゲイ・エイゼンシュテインの意図してないところで、
“映画史に革命”を起こし、今日(こんにち)のモンタージュ理論を発展させた…。
まったくもって、映画の神様は“粋な計らい”をするなぁ。

 


“ノスタルジー”三本締め

2006-07-25 20:59:21 | ★独断と偏見的シネマ・セレクション3

独断と偏見的シネマ・セレクション3
(キーワード別)“ノスタルジー”

①、『フェリーニのアマルコンド』
②、『となりのトトロ』
③、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』

  

となりのトトロ ◆20%OFF!

クレヨンしんちゃん 映画 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 ◆20%OFF!

ベビーが出来たせいなのかしら…、
オイラが歳をとったせいなのかしら…、
この頃、どうも自分の“子供の頃”を思い出す。
今回選んだ作品は、そんなオイラの郷愁感を駆り立てて、
今、また再び観直してみたくなった3本だ。

①について。フェリーニとは、
生まれた国も、生きた時代も違うのに、
この映画では、何とも言えない“共通の懐かしさ”で
胸がいっぱいになった。
その理由は、今思っても分からない。
ひとつ言えることは、今後ボクの中で、
この作品に勝る“ノスタルジーの映画”は出てこないということ。
②は、言わずと知れた国民的アニメーション。
宮崎駿の最高傑作だ。
平凡な家族に訪れたある夏の日の思い出…、
これといった大事件は起きないのに
場面のひとつひとつが鮮明に思い出されて、
今も脳裏から離れない。
ここに描かれているのは、単に“懐かしさ”だけじゃない、
かつて全ての日本人が育んでいた“豊かな心”だったんだ。

 


『ハチミツとクローバー』、観ました。

2006-07-23 19:30:54 | 映画(は行)

ハチミツとクローバー

 『ハチミツとクローバー』、映画館で観ました。
ある日、花本先生の親戚のはぐが浜美大に入学してきた。可憐な容姿に似合わず
ダイナミックな絵を描くはぐに一目惚れする竹本。そして、天才的な才能を
持つ奇人(?)森田も一発で恋に落ちる。一方、真山はバイト先の理花に想いを
寄せている。亡き夫の影を追う理花への思いを止められない真山を見つめるのは、
山田あゆみ。勝気な山田もまた、報われない切ない思いを胸に秘めていた……。
 きっとオイラみたいな心の荒(すさ)んだ人には“透明過ぎる”。だから、
言ったじゃないの…、「青春」みたいな“夢物語”って40間近のオジサンには
照れくさくって、もはやまともに見れたシロモノじゃ~ないってね(笑)。
 さて、映画は、今時こんな健全で純朴な美大生なんているものか、っていう
登場人物と、何を今更こんなピュアで不器用な恋愛なんてあるものか、っていう
物語設定。途中、夕日の海に叫ぶシーンは、どうかご愛敬(笑)。それから、
自分の恋の恋敵にわざわざ奮起を促す(主人公)アナタはかなりのお人よし(笑)。
だけど、“一晩中”海へとチャリンコ走らせる(やはり主人公)アナタは一体
何者だ(笑)。ついでに言えば、特に意味なく画面を横切り、ニャオ~ンと
ひと鳴き、又おもむろに去っていく黒い猫、アイツも一体何者だ(笑)。
まぁ、そんな風にツッコミを入れたくなる箇所は山のようにあるのだけど、
あえて今は映画を冷静に分析すると、物語は大きく言って、男女6人、2つの
三角関係が存在する。初恋のほろ苦さ、愛の苦しさ、悩み、そして胸の高鳴り…、
それぞれに抱える愛のカタチは違うのだけど、彼らすべてに共通するのは、
「自分は誰で、何処に進めば良いのか」ということ。例えば、主人公は浜辺で
愛する女性(ひと)のキス現場を目撃する。すると、思わず怖くなって車の影に
隠れるのだけど、彼女は主人公に気付かずに走り去ってしまう。その瞬間、
主人公は、自分が彼女にとって“見えない存在”であることを思い知らされる
わけだ。一方、そんなヒロインにしても、周りが“天才少女”ともてはやすが、
自身は自分に自信が持てないままでいる。しかし、ひとつの恋を経験して、
彼女は変わる‥‥。ラストシーン、画いた海の絵に、それまでの《HAGU》の
ネームじゃなく、《HAGUMI》を記したのは、“未完の天才”から“人間として
完成”したことを意味していたんだろう。ともすれば、作品全体を説明過多な
(竹本や山田による)ナレーションが気になったが、うん、ラストだけは
スッキリ巧くまとまっていると思う。

 


『シリアナ』、観ました。

2006-07-22 08:53:40 | 映画(さ行)

シリアナ (期間限定) ◆20%OFF!

 『シリアナ』、観ました。
CIAのボブは、アラブ某国の王位継承者の暗殺の仕事を任される。ところが、
その国の第1王位継承者が、大手石油企業との契約を打ち切った為、第2王子を
継承者にしようという案を王に囁く者がいた。一方、王位継承権の争いの影で、
ひとりの貧しい青年が、過激な教義にのめりこんでいき、命懸けで“ある者”を
暗殺しようとしていた…。
 まずは早速、これからこの映画を観ようとしているアナタに忠告するッ!!、
とりあえず観る前は、休養タップリ、睡眠バッチリ、どうかアタマもカラダも
リフレッシュして“万全の状態”で挑んで欲しい。でないと、複雑な構成に
ついていけない、カタい話が理解出来ない。オイラは今回、DVDの利点のフルに
活用して、何度か巻き戻しながら観たのだけど、もしもこれを映画館の大画面
にてノンストップで見せられた日にゃー、頭がパニック、途中で全部投げ出し
ちゃって、そそくさ尻尾を巻いて家に逃げ帰ったかもしれない(笑)。
 さて、映画は、『トラフィック』の脚本家スティーブン・ギャガンが初監督を
務め、やはり展開も『トラフィック』同様に、舞台も登場人物も異なる複数の
エピソードが、クロスオーバーしながら同時進行していく。例えば、通常の
映画が、一本道の終着点にある目的物を描くものだとしたら、この『シリアナ』は、
その目的物を「宗教」「理念」「政治」「(アメリカにとっての)利益と経済」‥‥、
それぞれのキーワードを用いて多方面から描いていく。そして、言わずもがな、
ここでその目的物に当たるものとは‥‥“石油産業”。そこでは常に“陰謀”が
渦巻き、人間の“欲望”が氾濫する…。ボクがこの映画を観て感じたことは、
“石油”は莫大な利益を生み、そこに住む人々にとって“生活の支え”でもあった。
一方で、それゆえに民族間の争いが生まれ、多くの血が流れたのも事実。しかし、
気がつけば、獲物に群がるハイエナのように、遠くの大国までがその争奪戦に
参入し、今、その資源のほとんどが彼らによって吸い尽くされようとしている。
勿論、9・11のテロリストたちを肯定するつもりなど毛頭ない。ただ、彼らが何故、
どのような経緯でテロリストになったのかを、ボクたちはもっと知るべきでは
ないのだろうか。確かに、映画は複雑過ぎる構成で(観る側への)配慮が少なく、
途中、必要以上にエグい描写もある…、『トラフィック』と比べれば格段に
落ちる映画だが、少なくとも、ここに描かれ(作り手達が)云わんとしている
ことは、全くの的外れではない筈だ。

 


『ヴァンパイア/吸血鬼(カール・ドライヤー)』、観ました。

2006-07-19 20:29:31 | 映画(あ行)

【DVD】ヴァンパイア<2004/09/24>

 『ヴァンパイア/吸血鬼(カール・ドライヤー)』、観ました。
不気味な宿に泊まる若い旅人の前にひとりの老人が現れる。老人は謎の言葉と
「死後開封すること」と記した封筒を旅人に残し、何者かに殺されてしまう。
その後、霧の館にいる病気の娘に輸血した彼は、自分が棺の中にいる幻想と
現実が交錯する‥‥。
 ハッキリ言って、物語をカンペキに理解出来たとは言い難い。主人公が
迷い込んだその世界は、すべてが“現実”のものじゃない。かといって、全部が
“幻想”ってわけでもない。真夜中過ぎに現れた老人のこと、村に伝わる怪奇な
伝説のこと、ひなびた宿屋の看板に飾られた天使のこと、義足の男の影のこと、
棺(ひつぎ)に入れられた自分のこと‥‥。まるで、もやもやとして、何時
覚めるのかさえ分からない“夢の中”にいるような…、あるいは、自分が死して
“死後の世界”を見ているような……、そんな感じ。一切のショッカーは封印し、
静かにジワジワと迫りくる恐怖の演出。そして、トーキー(映画)でありながら、
出来る限りの台詞を削除して、研ぎ澄まされた映像から“観る者の想像力”を
掻き立てる。さすが『裁かるるジャンヌ』のカール・ドライヤー監督らしい、
理屈よりも“視覚”に訴える吸血鬼映画の傑作だ。
 それにしても、映画は、一寸先も読めない“不思議な映像体験”。物語中盤、
主人公の幽体分離(?)から、彼は棺の中に納められた“もうひとりの自分”を
知る。その死体から見る視点は、外の世界を何とも異様に映し出し、いつか
自分にも訪れる“死の恐怖”と、“圧迫感”を感じずにはいられない。(この古い
映画を観て)改めて思うことは、“科学の進歩(CGやら特殊メイクやら)”が
映画に“面白さ”をもたらすのではなく、あくまでも人間の持つ発想力と
想像力が、映画にオリジナリティを与えるのだということ。その映像は今も
色褪せることなく、不変の恐怖となってボクらの目に飛び込んでくる。そして、
それは“怪奇映画”として、“恐怖映画”として、この上なく美しい‥‥。

 


『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』、観ました。

2006-07-16 19:56:19 | 映画(は行)





監督: ゴア・ヴァービンスキー
出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ

 『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』、映画館で観ました。
孤高の海賊ジャック・スパロウの秘められた過去。それは今から13年前のこと…、
ジャックはブラックパール号の船長となるため、自らの魂と引きかえに[深海の
悪霊]デイヴィ・ジョーンズと[血の契約]を交わした。そして今、その“契約
期間”は終わり、巨大な闇の力がジャックの間近に迫っていた‥‥。
 先行上映、それも初日のサタデーナイトは、やっぱりチケット売り場は黒山の
人だかりで“長蛇の列”。その最後尾に並んだオイラが、おもむろに遥か前方を
眺めると、女子高生らしき2人組みが「パイレーツ・オブ・カリビアン“3”」の
前売り券を買っていた。オイオイ、幾らなんでも2作目が公開されたばかりで
気が早いんじゃないのかい??、それに果たして(今のキャストのまま)3作目を
作るかどうかだって保証はないだろうに‥‥と、首を傾げるオイラだったのだが、
映画を観てみて、やっと納得。ハラハラドキドキ、どんな結末になるのやらと
想いをめぐらし、集中していたその瞬間、プチッと突然切れちまう。ははーん、
コイツは『パート1』みたいに独立した起承転結の物語じゃなく、2作目と3作目を
一塊(ひとかたまり)とした“前編”みたいなもの。映画でアクション&コミカル、
見せ場は沢山あるのに、どうも物語の展開だけがちとノロい…、いや、むしろ、
どんどん問題が山積してるように感じたのは、ナルホド、そういう事だったのね。
 さて、前作から引き続いて、主演のジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、
キーラ・ナイトレイなど主要キャストは今作も変わらず。ただし、今2作目の
特徴としては、彼ら全員揃っての活躍よりも、3人の内で誰かが欠けた状態か、
あるいは、それぞれ個々のエピソードを多方面から描いた“立体的な作り”に
なっている。内容自体も冒頭こそ、およそディズニーらしからぬエグい場面も
あるのだけど、それ以降はさすがディズニーらしい「夢」と「冒険」に溢れ、
大人から子供まで安心して楽しめる娯楽大作に仕上がっている。特に、序盤に
用意された、ジャック・スパロウ船長を原住民から救い出す場面のドタバタ劇は
サイコー、久方振りに映画館でゲラゲラ、大笑いさせてもらったゼ。聞けば、
ディズニーのお偉いさんは、当初ジョニー・デップのキレた演技と、へんてこ
メイク(?)に難色を示したというが、何を今さら型にはまったジョニー・デップ
なんて見たい人がいる??、やり過ぎるくらいやってこそ、観客も手を叩いて
喜んでくれるってもんサ。今回、良い意味で“これまでのイメージ”を壊して
くれた。映画ごと、出演するたび、“違った顔”をみせてこそ“プロの役者”だと、
ボクは思うがね。



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『レジェンド・オブ・ゾロ』、観ました。

2006-07-15 19:16:44 | 映画(ら・わ行)

レジェンド・オブ・ゾロ コレクターズ・エディション ◆20%OFF!

 『レジェンド・オブ・ゾロ』、観ました。
時は1850年。謎の秘密結社が、アメリカ滅亡を企んでいた。愛する家族のために
一度は剣を捨てたゾロが、今国家を守るため再び立ち上がる‥‥。
 オレは「映画」にカンペキなんて求めない。面白い映画もあれば、どうにも
ならない映画もある。勿論、そんな事は分かってる。だけど、映画のレビューを
書いていて、一番厄介なのは、“そこそこ楽しめるが、後には何にも残らない”。
早い話が、これといった“特徴のない映画”なのだ。まぁ、この『レジェンド・
オブ・ゾロ』が、その“何の変哲もない娯楽映画”に当てはまるかどうかは、
アナタ方の御想像にお任せして…(笑)、この期に及んで、何を書けば良いか、
何から書き始めたら良いのか、いまだに踏ん切りをつきかねているオレ(笑)。
意外とそそっかしくておっちょこちょいのゾロのこと??、いや、そんなゾロ
(A・バンデラス)より強そうで、怒ったらマジに怖い妻役のキャサリン・ゼタ・
ジョーンズこと??、見事にオイシイところを全部かっさらっていっていまう
名馬ならぬ“迷馬”トルネードのこと??、ご都合主義にも程がある(笑)、
死んでも死なない神父のこと??‥‥‥‥うーん、まだまだこれじゃー字数が
足らない。せめて“行数”だけでも、何とか残りの余白を埋めなくては。すると、
オイラの頭の中で、“ひとつの言葉”が壊れたレコードのように何度も何度も
繰り返された。行数を埋めろ、行数を埋めろ、行数を埋めろ、行数を埋めろ、
行数を埋めろ、行数を埋めろ、行数を埋めろ、行数を埋めろ‥‥‥‥、
まさか『シークレット・ウインドウ』と同じ手は使えないし、もはや『劇場版
コブラ』
で使ったゴマカシ技も通用しない。こうなったら手段なんて選んじゃ
いられない。よしッ!、ちょっと強引だが“あの手”でいこう。映画には、
これっぽっちも出てないのはガッテン承知の輔(笑)、隊長1人と兵隊10人を
登場させてやれ。それで、兵士に歩行訓練させた後、隊長に点呼を取らせれば
万事上手くいく。↓↓↓

隊長「ゼンターィ、止まれッ!!、番号‥‥」
兵士A「一」
兵士B「二」
兵士C「三」
兵士D「四」
兵士E「五」
兵士F「六」
兵士G「七」
兵士H「八」
兵士I「九」
兵士J「十」

ふ~(汗)。これで“11行”を追加して、念願の“ノルマ達成”だゼ。とりあえず、
そんな訳で、映画も、レビューも、長いだけで内容自体はほとんどカラッポです。
悪しからず(笑)。

 


『歓びを歌にのせて』、観ました。

2006-07-10 21:17:08 | 映画(や行)

歓びを歌にのせて ◆20%OFF!

 『歓びを歌にのせて』、観ました。
天才指揮者として世界的名声を得たダニエルは、過酷な公演スケジュールと
プレッシャーの中、病に倒れ第一線を退く。ぼろぼろの心臓と深い孤独を抱えて、
彼は故郷の小さな村に戻り、音楽にはもう関わらないと決めていたが、ある日、
地元の聖歌隊の指導を依頼される…。
 タイトルからして一目で分かる“感動作”、普段からこの手の映画が苦手な
オイラとしては、大きな覚悟を決めて観たのであるが(笑)、過剰なまでの
“良心”と、出来過ぎ感ある“美談”の連続攻撃、やっぱりどうもこそばゆい。
斜(はす)に構えて見てしまう、こんなオイラが悪いのか…、斜に構えて
見せてしまう、そんな映画が悪いのか…(笑)、とりあえず、映画は泣かせ所
だけはふんだんに用意されていると思うので、アナタの好みのよって観るか
観ないかは決めたら良い。まぁ、二度三度と繰り返して観るような“深み”は
ないけれど、演出は基本にとても“忠実”で、“セオリー通り”の無難な作り。
例えば、映画序盤、(失意の)主人公が初めてレナに会う場面で、彼女が
“天使の看板”の前から現れるのは、後に彼女が主人公にとって“希望の存在”に
なることを予感させる。そして、この映画の良い所は、(主人公たちが歌う)
“音楽の価値観”を、コンクールの勝敗や優劣によって決めるのではなく、
あくまでも、自分たちの音楽が聴く人を感動させたかどうか…、強いては、
音楽の素晴らしさとその可能性について、拘って描かれている点だ。もちろん、
『スウィングガールズ』的な痛快エンディングも悪くはないが、ここでは
いつまでも鳴り止まない拍手のように続いていく、この余韻が残る結末が
ピッタリだ。
 一方、観ながらどうにも気になってしまったのは、(映画の)時間内に
聖歌隊のメンバー、ほとんど全員を描こうとするあまりに、未消化のまま
完結していないキャラクターが目立つ。いつもメンバー内で孤立して、途中で
除隊してしまったオールドミスとか…、コンサートの打ち上げで、愛を告白した
同級生のお年寄りとか…。うーん、思うに、この映画で本当に描きたかったのは、
主人公とレナの“純愛”、夫の暴力に怯えて“新しい一歩”を踏み出せずにいた
妻ガブリエラの決断、“信仰(神)”に縛られ、がんじがらめになった神父と
その妻の関係、、その三組だけに絞っても良かったのでは??、その方が物語も
ごちゃごちゃせずに、スマートな仕上がりになったと、ボクは思うのだけど。

 


『去年マリエンバートで』、観ました。

2006-07-06 22:22:05 | 映画(か行)

去年マリエンバートで

 『去年マリエンバートで』、観ました。
バロック調の豪華城館に、ひとりの男が迷い込む。城内では社交界のゲストが
集うパーティーが催(もよお)されており、男はそこでひとりの女を見つける。
「去年マリエンバートで僕たちは出会った」と女に声をかける男だが、女に
その記憶はない。だが男に迫られるうち、女は過去と現在の境を見失い、
その記憶は曖昧なものになっていく…。
 長らく映画を観ているが、これ以上の“異色作”には出合ったことはない。
そして、多分、今後も出合うことはないだろう…。こいつは「映画」であって
「映画」でない。いや、どちらかと言えば「映画」よりも「文学」、それも“詩”に
近い。幹となるストーリーはなく、シナリオすら存在してない。登場人物は
3人だけで役名もない。各シーンは、現実なのか、幻想なのか、現在なのか、
過去なのか、ハッキリせず、そこでは男が女に「去年会ったかどうか」の対話が
繰り返されるだけ。“過去の記憶”を遡(さかのぼ)るように…、“夢の世界”へ
誘(いざな)うように…、“幻想の中”へと吸い込まれるように…、そして現実の、
“今の自分自身”に言いきかせるように…、主人公が呟く独り言が、まるで
呪文のように果てしなく続いていく。この映画の始まりは、観客がいきなり
意味も分からず、暗闇の何も見えない“初めての場所”に放り出されて、何が
何だか分からない。勿論、その時点では、今、自分が立たされている場所も、
これから進むべき方向も分からないのだけど、映画が進むにつれて霧が晴れる
ように、少しずつ前方の視界が開けてくる。すると、「嘘」と「虚像」が光を失い、
透け出すように…、「本心」と「真実」が光を浴びて、見え出すように…、
大きいが冷たい感じのする豪華城館のこと、意味深なポーズをした石像のこと、
広くて殺風景な庭園のこと、いつも開いている扉のこと、鏡と円柱のこと、
大き過ぎる階段のこと、不思議なカードゲームのこと、不気味な射撃場のこと、
陰気臭い芝居劇のこと、かかとの折れたヒールのこと‥‥、それらは幾多の
ミステリアスを孕(はら)みつつ、騙し騙され男と女の心理戦、観る側に“無言の
サイン”を送り続ける。それにしても、観終わってすでに数時間が経つというのに、
いまだ“映画の迷路”から抜け出せず、さ迷い続けるボクがいる。「映画」とは、
見るもの??、考えるもの??、感じるもの??‥‥。いや、この映画に関しては、
そのどれもが当てはまらない。主人公の意識に同化して“イメージ”するもの…。
きっと、本作ではその表現がピッタリだ。

 


『ジュリア』、観ました。

2006-07-03 21:12:30 | 映画(さ行)

ジュリア

 『ジュリア』、観ました。
リリアンの幼なじみジュリアは、第二次大戦の前夜、反ナチ運動に加わっていた。
そんなある日、劇作家として成功していたリリアンの元に、ジュリアが人を
介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる。ジュリアに会いたいと
願うリリアンは、やむなくベルリン行きを決意する。彼女はユダヤ人だった‥‥。
 数ある“女性映画”の中で、これぞボクがその最高傑作だと確信する作品だ。
人生の黄昏時にさしかかるヒロインが、己の人生と愛する人を回想する形の
物語構成、、戦乱の中に生きた“女性の逞しさ”を描き出し、また一方で戦争に
よって狂わされた“運命の残酷さ”を描き出す。並の監督なら3時間掛けても
描き切れない内容を、この映画のフレッド・ジンネマンは僅か2時間足らずの
上映時間にまとめ上げてしまう。改めて“監督の技量”というものを感ぜずには
いられない。
 この映画をみれば、人生はキャンバスに画かれた“一枚の絵”なのだと思えて
くる。幾重にも重ね塗りされた「人生」という名の一枚の絵‥‥しかし、年月と
ともに上に塗られた絵の具が透明になり、見えなかった筈の下の絵が見えてくる。
それはまさに今、主人公は川面に浮かぶ船の上、そこにある筈の景色は目に
映らず、見えるのはその向こうに浮かんでくる“過ぎ去った過去の記憶”だった…。
ボクがこの映画で感じたのは、「人生」とは、時間とともに形を変え、色を変え、
決して過去と同じ姿には戻らないってこと。それを生きながらに知っていたのが
“ジュリア”であり、知らなかったのが“ヒロイン”だった。価値観も違う、
生き方も違う、それでもヒロインは幼い時からジュリアの後を追い続けた。
なぜなら、彼女にとってジュリアは人生の目標であり、憧れだったから‥‥。
ジンネマンはその二人の女性像を、時に激しく、時に優しく描きながら、一方で
“2つの人生のコントラスト”を皮肉なほどにはっきり浮かび上がらせていく。
映画終盤、ついに訪れる再会シーンでは、ボクは男性であるにも関わらず、
この2人の女性に強烈なる感情移入をしてしまった。その後、ヒロインは
ジュリアの子供の行方を探し、当てもなくさ迷い歩くこととなる、、まるで
その生涯、ひたすらジュリアの影を追い続けた“彼女の人生”のように‥‥。
何かにすがらずには生きていけない彼女の生き方、、哀しいけど、その気持ちは
ボクにも分かる(涙)。