肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『トゥモロー・ワールド』、観ました。

2006-11-27 20:28:39 | 映画(た行)

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 『トゥモロー・ワールド』、映画館で観ました。
2027年、人類にはすでに18年間も子供が誕生していない。このままでは、地球を
引き継ぐ者はすべて地上から消え去ってしまう。国家に従事するセオは、人類の
未来はおろか、自分の将来すら興味のない、絶望を生きる男。しかし、彼は
人類存続に関わる重要な鍵に接触する運命にあった‥‥。
 「あそこに行ったら○○さんが力を貸してくれるはず」。次は「そこに向かえば
××くんが守ってくれるから頑張って」の繰り返し。ロードムービーとしての
展開は、これ以上ないほど単純明快。テーマも小手先であれこれ回りくどく
説明するのではなく、映画のクライマックスに訪れる“奇跡の数分間”と共に
視覚に訴えかけてくる、いわゆる映像重視の作風だ。この頃、お疲れモードの
オイラとしては(笑)、アタマを使うことなく観れたのは大いに結構だが、
いざレビューを書く立場として、この手の“直球ど真ん中型”作品は、意外と
書き辛いなぁ。
 さて、映画は、テロリズムが世界中に蔓延して、いつからか子供が生まれなく
なってしまった近未来のイギリスが舞台。ただ、ここ(この映画)ではテロが
始まったとされる切欠(きっかけ)も理由付けも記されず、又、子供が突如として
生まれなくなった詳しい原因も描かれない。いや、この際、そんな事はどうでも
良い。大切なのは、主人公が“家族”でもない、“人種”も“国籍”も違う黒人の
赤ん坊を、人類のたった一筋の明かりとして、ひたすらに守り続けたってこと。
映画終盤、宗教や肌の色、歴史認識や思想の違いなど、人間の愚かなエゴの
為に争う戦火の上を、一人の“天使”が舞い降りてくる。彼女のその泣き声は、
まるで人間の愚行を嘆くように、この“カオス(混沌)の世界”に響き渡っていく。
勿論、その小さな希望が、即座に世界を変えるはずもない。ならば、我ら人類は
これから何を頼りに生きていけば良いのか??、それは映画のラストシーンに
象徴される…。“小さな希望”は時間を重ね、命から命へ繋いでいったとき、
初めて“大きな未来(=tomorrow号)”へと向かうのだ。

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『かくも長き不在』、観ました。

2006-11-25 20:59:38 | 映画(か行)

かくも長き不在

 『かくも長き不在』、観ました。
パリの郊外でカフェを営む女主人テレーズは、ある日、中年の浮浪者を見て驚く。
彼は戦時中にナチスに連れ去られて行方不明になった夫にそっくりだったのだ。
テレーズは、浮浪者の喪失した記憶を呼び戻そうと試みていくが‥‥。
 今は亡き淀川長冶氏がある講演会で、スピルバーグの『シンドラーのリスト』を
こっぴどく批判した。「虐殺シーンをひとつも描かなくても、ナチの恐怖が
静かに静かに伝わってくる作品があるんです」と言って挙げたのがこの映画、
『かくも長き不在』だったという。レンタル屋さんを探せど探せど見つからない、
ボクがこの数十年で一番観たかった作品だ。さて、念願かなって観たわけだが、
これはやっぱり凄過ぎる。この震えるほどの感動は、 ボクの文才なんかじゃ
とても表現することなんて出来やしない。ここにはどんなリアルな虐殺シーンを
もってしても…、あるいは、どんな激しい戦闘シーンを描いてみても表現
できない、戦争という時代に翻弄され、傷付いた“人の悲しみ”が描かれている。
“激しい戦争映画”は怖くない。本来“戦争の恐怖”は静かに人の心に忍び寄り、
取り憑いたら最後、永遠に離れることはないのだ。
 それは、今思い出すだけで涙溢れる…。もう若くないヒロインがかつて愛を
誓った男を食事に誘い、無人のカフェでダンスを踊るシーン…。ぎこちなく踊る
二人の足元を、静かに時間だけが通り過ぎていく。記憶を失った男の無表情な
顔に“その過去の苦しみ”が見える…。帰らぬ夫を待ち続けていた女の瞳に
“その哀しみの深さ”が見える…。観ながらボクは、彼らが失った人生の重さに、
押し潰されそうになった。戦争は、多くの命だけではなく、その“家族の幸せ”も、
“愛する人の人格”さえも奪い去っていくんだね(涙)。
 そして、映画は“衝撃のラストシーン”へ…。かつて“夫だった男”に、もう
その面影はない。そして、カフェを出て、自分の名を呼ばれた時に蘇る“痛切な
記憶”…、その次に取った彼の“あの行動”を、ボクは永遠に忘れることはない
だろう(涙)。今、ボクは改めて“戦争の犠牲となった彼ら”について考えてみる、
その“声にならない叫び”を聞きながら。

 


『インサイド・マン』、観ました。

2006-11-22 21:33:16 | 映画(あ行)





監督: スパイク・リー
出演: デンゼル・ワシントン, ジョディ・フォスター

 『インサイド・マン』、観ました。
白昼のマンハッタン信託銀行に現れたジャンプスーツを身に纏った男達。彼らは
従業員と客を人質に取り、全員に自分達と同じ格好をさせる。急報を受けて、
NY市警のフレイジャーは現場に駆け付けるが、綿密な計画のもとに動く犯人達に
対し、容易には動けずにいた。その頃、銀行の会長が女性弁護士マデリーンを
呼び出し、貸金庫内の私物の隠蔽を依頼する…。
 オイラに「スパイク・リーの印象は??」と聞かれれば、残念ながら(これまでの
作品で)“映画監督”としての印象はあまりない。むしろ、“NBAファン”として
MSG(マジソンスクエアガーデン)の最前列特観席で、NYニックスのオレンジ
タオルを首にかけ、汚い言葉で相手チームを挑発するヘンなオッちゃん、かな(笑)。
しかし、そんな血の気の多い(?)スパイク・リー監督が、こんなにも知的で
スマートな犯罪映画の傑作を作ってしまうなんて…。映画は、変に“社会派”に
託(かこつ)けてないところも良いし、かといって、まるっきりの“娯楽作”
というわけでもない。このサスペンス映画の裏側には、普段我々が見ているのに
見ようとしない、気付いているのに気付こうしない、“社会の闇”が潜んでいる。
そして、それは人の弱さに付け入って(例えば、本作における刑事にとっての
“出世話”、犯人にとっての“200万ドルの約束手形”、女弁護士にとっての
“小切手”という風に‥)、決して“表の世界”へ出ようとはしない。だとしたら、
我々はどうやってその正体の暴くべきなのか??、その答えは本作同様、今一度、
シェイクスピア“ハムレット”の言葉を借りるとしよう…、うん、それが問題だ!
 さて、映画は、NY市警と強盗一味との頭脳戦。ダマしたつもりがダマされて、
ウラをかいたつもりがオモテに変わる。ドンパチやってるだけじゃない、久々に
ワンランク上のサスペンス映画を堪能した。物語は、主犯格男のモノローグ
シーンから始まって、途中では時間軸を逆転させて事件後から描いてみたり、
まるで外堀から埋めていくように“事件の核心”に迫っていく、構成の妙。
いや、それ以上に、オイラが感心してしまったのは、この強盗犯罪そのものが、
9・11以降アメリカ合衆国が直面した“テロリズムの恐怖”なのだということ。
例えば、覆面をさせ、同じ服を着させることで、犯人側(テロリスト)が人質
(民衆)の中に同化し、紛れ込む。NY市警は、攻撃する相手すら区別できずに
手も足も出ない。まさにコレ、イラク戦争で圧倒的な兵力を持ちながら、
苦戦したアメリカ軍において他ならない。つまり、ここでスパイク・リーが
言いたかったことは、どんなに強い巨人でも一旦“内に入ってしまえば
モロいもの”。多分、それが9・11のアメリカだったんだろう。しかも、更に
アメリカの内部へと目を移してみれば、我が子にモラルなき(人殺し)ゲームを
買い与えたり、アメリカ人の移民同士が差別発言を繰り返す内輪もめ。
仮に、テロの攻撃を受けなくとも、すでにあの時、アメリカ社会は崩れ出し、
内側から膿みはじめていたのかもしれないね。



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『ジャケット』、観ました。

2006-11-16 21:45:32 | 映画(さ行)

 『ジャケット』、観ました。
湾岸戦争で頭に銃弾を浴びながらも一命を取り留めたジャック・スタークス。
1992年、故郷ヴァーモントで、警官殺しの罪を着せられ精神病院に移送された
ジャックは、ベッカー医師から実験的な矯正治療を受ける。だが、死体安置用の
狭いロッカーに閉じ込められるその治療で15年後の未来をかいま見た彼は、
近く自分が死ぬことを知る…。
 海のものか山のものかさえ分からない。はて??、“ジョン・メイバリー監督”
とは一体どこぞの何者か??(笑)、唯一、“ソダーバーグ&ジョージ・クルーニー
製作”だけを心の拠(よ)り所として、過度な期待は無しに観たのだが、これが
思わぬ拾い物で嬉しい誤算。さて、物語は“湾岸戦争”から始まって、銃犯罪の
“警官殺し”、続いて“精神病院”へと舞台は移り、更には“タイムトラベル”へと
発展する。正直、この時点で先の展開なんて読めやしない(笑)。ましてや、
コイツ(この映画)は、タイムトラベルからヒントを得た「SF」なのか…、隠された
真相を解き明かす「サスペンスミステリー」なのか…、あるいは、時空を越えて
惹かれあう男女の「ラブファンタジー」なのかさえ、皆目検討付きかねる。
まぁ、序盤までの印象としては、あれもこれもと手を出し過ぎて何だか“掴み
どころのない映画”だなぁと。しかし、観ていく途中で電流が走ったように
気がついた。もしや、ここでのテーマは「絶望」と「希望」ではあるまいか。
いわゆる、戦争・殺人・狂気は“現代の暗部”を象徴する。例えば、主人公が
強制的に閉じ込められた死体安置ロッカー(=四方を冷たい壁に囲まれた暗闇)を
“絶望の現実”だとすれば、その先に続くのは今より少しでも“明るい未来”で
あって欲しい。そこを照らす灯りがあるとしたら、それは「希望」という名の
光であって欲しい。そんなジョン・メイバリー監督の願いが、観ながら静かに
伝わってくる。上にも書いたように、オイラはどんより重たい気持ちで観始めた
わけだが、観終わってみて、黒く厚い雲の隙間から一筋の陽が射すような、
そんな前向きな気持ちにさせられた。かつて20年前は、暗い未来を描いたSFが
もてはやされた。でも、それが今、現実のものとなって、これからの映画は
これからの世代の為に、少しでも未来に希望を持たせるような、こういう映画が
ボクは好きだなぁ。

 


『イワン雷帝』、観ました。

2006-11-10 21:29:40 | 映画(あ行)

イワン雷帝(DVD) ◆20%OFF!

 『イワン雷帝』、観ました。
16世紀のロシア。イワン大公は世襲貴族達の分割政治を打破し、専制君主による
帝政の確立を計った。一方、イワンの伯母はその子ウラジミルを帝位につけようと
大衆の指導者をそそのかし、イワンへの謀反を画策。だが、皇帝の祖国愛に
打たれ、暴徒達は皇帝へ忠誠を誓った。そして外敵カザンらを下し、イワンは
その皇帝の地位を確固たるものにする‥‥。
 あの、黒澤明監督は、この映画の色彩に感激して、(自身の)カラー作品を
撮る決断をしたとかしないとか‥‥。観終わって、今、ボクもスゴいと思った。
さて、映画は二部構成の合計184分中、ほとんどがモノクロで、その問題とされる
カラー映像は20分にも満たない、物語終盤の“宴会シーン”のみ。しかし、時間は
短かくとも、陰謀と策略が渦巻く宴(うたげ)の中、画面全体が“血潮”の
ような真っ赤に染まったかと思えば、一瞬、“邪悪”のような青へと変幻する。
その圧倒的な色彩は、これまでのどんな映画のそれよりも、激しく、妖しく、
美しく、観ているボクの目に飛び込んでくる。その中で“狂気”に酔いしれ、
歌い、踊り、騒ぐ人間どもは、まるで“地獄の底に這いつくばる亡者”の如く…。
それにしても、今から60年も昔の映画創世期、ろくにカラー映像さえ観た事も
なかった(だろう?)技術師たちが、時代の先駆者として、この驚くべき映像を
作り、完成させた事に改めて驚かされる。いや、そればかりじゃない、その他の
モノクロ映像にしても、イワンの不気味な影が屋敷の壁に大きく映し出される
場面や、民衆の十字架行進とそれを眺めるイワンの横顔が大写しにかぶさる
場面など、撮影・照明・構図の大胆さは、それから60年の時間を経過してなお、
今の映画が追いつけず、追い越せない技術が数多くあると思う。
 ところで、この大作映画が作られた背景には、時の皇帝スターリンによる
国民への軍事意識の結集目的があったとされる。だとしたら、監督のセルゲイ・
エイゼンシュテインは、何を考え、何を思い、この作品を作ろうとしたの
だろうか…。それは、ロシアを専制君主制へと導き、国家統一をもたらした
皇帝イワンを、国民からの支持を得た“救世主”として祭り上げながらも、
その一方で、自分の目的のためには手段を選ばない冷酷で非道な“独裁者”
として描き出したことでも明らかだ。特にそれは第二部の方で色濃く反映され、
激怒したスターリンは第二部を上映禁止、すでに撮影半ばだった第三部の
フィルムをすべて焼き払ったという。きっとスターリンは、映画の中の皇帝
イワンに“ある者の影”を見たんだろう。強大な権力の向こうに栄光はない、
信頼出来る側近は去り、愛する者も心許し合える友もいない。反逆の脅威に
怯える“孤独な皇帝”‥‥。その“裸の王様”こそ、紛れもない“スターリン
自身”だったのだ。

 


“邦題”三本締め

2006-11-06 21:05:05 | ★独断と偏見的シネマ・セレクション3

独断と偏見的シネマ・セレクション3
(キーワード別)“邦題”

①、『この森で、天使はバスを降りた(原題:THE SPITFIREGRILL)』
②、『旅情(原題:SUMMERTIME)』
③、『チョコレート(原題:MONSTER'S BALL)』

この森で、天使はバスを降りた(期間限定)(DVD) ◆20%OFF!

旅情(DVD) ◆20%OFF!

チョコレート(DVD) ◆20%OFF!

最近というか、もうここ数年来の傾向として、
(アメリカ映画の)原題をそのままカタカナにしただけの、
何の捻りのない邦題がやたらと目に付いてしまうのだ。
最近じゃ『Vフォー・ヴェンデッタ』とか、『レディ・イン・ザ・ウォーター』とか、
特にヒドいのになると『フロム・ダスク・ティル・ドーン』とか、
『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』とか、
ここまでくると、もう全く何のこっちゃ分からん(笑)。
勿論、これらの映画には何の責任もなくて、
配給する日本の映画会社に問題があるのだけど、
彼らは本当にこの映画を当てる気があるのかさえ疑わしくなってくる。
本来なら、その映画に少しでも興味を持ってもらうために、
分かりやすいタイトル(邦題)は最もアピールできるところの筈なのに。
(ちなみに、かつて交流のあった映画メル友さんは
“The Piano”をわざわざ『ピアノ・レッスン』とした邦題に
「アダルト系のそれみたいで嫌だわ。」と激怒していていました(笑)。)
で、下に挙げた3本は、原題と邦題を見比べてみても、決して引けを取らない、
むしろ邦題の方が作品のイメージにピッタリの作品だ。

①は、ファンタジックな邦題に惹かれて借りてみて、
エンドロールでこの作品の原題が
“THE SPITFIREGRILL(劇中に出てくる店の名前)”だと知った時に
何とも幸せで、得した気持ちにさせられた。