『去年マリエンバートで』、観ました。
バロック調の豪華城館に、ひとりの男が迷い込む。城内では社交界のゲストが
集うパーティーが催(もよお)されており、男はそこでひとりの女を見つける。
「去年マリエンバートで僕たちは出会った」と女に声をかける男だが、女に
その記憶はない。だが男に迫られるうち、女は過去と現在の境を見失い、
その記憶は曖昧なものになっていく…。
長らく映画を観ているが、これ以上の“異色作”には出合ったことはない。
そして、多分、今後も出合うことはないだろう…。こいつは「映画」であって
「映画」でない。いや、どちらかと言えば「映画」よりも「文学」、それも“詩”に
近い。幹となるストーリーはなく、シナリオすら存在してない。登場人物は
3人だけで役名もない。各シーンは、現実なのか、幻想なのか、現在なのか、
過去なのか、ハッキリせず、そこでは男が女に「去年会ったかどうか」の対話が
繰り返されるだけ。“過去の記憶”を遡(さかのぼ)るように…、“夢の世界”へ
誘(いざな)うように…、“幻想の中”へと吸い込まれるように…、そして現実の、
“今の自分自身”に言いきかせるように…、主人公が呟く独り言が、まるで
呪文のように果てしなく続いていく。この映画の始まりは、観客がいきなり
意味も分からず、暗闇の何も見えない“初めての場所”に放り出されて、何が
何だか分からない。勿論、その時点では、今、自分が立たされている場所も、
これから進むべき方向も分からないのだけど、映画が進むにつれて霧が晴れる
ように、少しずつ前方の視界が開けてくる。すると、「嘘」と「虚像」が光を失い、
透け出すように…、「本心」と「真実」が光を浴びて、見え出すように…、
大きいが冷たい感じのする豪華城館のこと、意味深なポーズをした石像のこと、
広くて殺風景な庭園のこと、いつも開いている扉のこと、鏡と円柱のこと、
大き過ぎる階段のこと、不思議なカードゲームのこと、不気味な射撃場のこと、
陰気臭い芝居劇のこと、かかとの折れたヒールのこと‥‥、それらは幾多の
ミステリアスを孕(はら)みつつ、騙し騙され男と女の心理戦、観る側に“無言の
サイン”を送り続ける。それにしても、観終わってすでに数時間が経つというのに、
いまだ“映画の迷路”から抜け出せず、さ迷い続けるボクがいる。「映画」とは、
見るもの??、考えるもの??、感じるもの??‥‥。いや、この映画に関しては、
そのどれもが当てはまらない。主人公の意識に同化して“イメージ”するもの…。
きっと、本作ではその表現がピッタリだ。