肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『バベル』、観ました。

2007-04-29 20:34:59 | 映画(は行)





監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、菊地凛子

 『バベル』、映画館で観ました。
それは、モロッコで放たれた一発の銃弾から始まった。命中したのは夫婦の絆を
取り戻すために旅をしていたスーザン。辺境の地で救助もままならない状況に
苛立つ夫リチャードをよそに、事態は国際テロ事件へと発展する。一方、銃の
所有者は日本人男性と判明。妻の自殺以来、聾唖の娘ミチコとの心の溝に悩む
ヤスジローである。その頃、乳母に託していたリチャードとスーザンの子供達は、
メキシコへと連れられ、生死の境をさ迷っていた‥‥。
 未だ『ディパーテッド』を観てない段階で、果たしてこの『バベル』が本年度の
オスカーを取るべき作品だったかどうかなんて、今のボクに言う資格はない。
が、しかし、少なくとも、この映画の菊地凛子こそ、その助演女優賞に相応しい
演技だったと、ボクは確信する。ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・
ガルシア・ベルナル、役所広司など、錚々たる世界の兵(つわもの)たちの中に
混じって、尚ひときわの異彩を放つ。その、深い哀しみの瞳、切ない息づかい、
ぽっかりと開いた心の空白…、孤独な少女は“その隙間を埋めるための誰か”を
探し、自らの心を閉ざす。彼女の父も…、親友も…、相手は目の前にいるのに、
“この心”が届かない。観ながらボクは、もどかしいほどの焦燥感に支配され、
そんな彼女が背負っている“孤独の重さ”に押し潰されそうになった(涙)。改めて、
この作品を“並の傑作”から“それ以上のもの”に押し上げたのは、紛れもなく
“彼女の力”によるものだし、“彼女無し”ではありえない作品だと思う。
 さて、映画は、たった一発の銃弾よって引きこされる“愚行の連鎖”が、世界の
各地に飛び火して、散らばっていく様を描いた群像ドラマ。また、映画タイトル
となった“バベル”は、人間が神に近づこうとして建てた高い塔のこと。ただし、
本編中の台詞で、その“バベル”については一切触れられていない。恐らく、
ここでの“バベル”は《神》を指し、映画は“神の視点”で人間の愚かさを嘆くのだ。
それにしても、人は愚かだ。何故、互いに憎み合い、傷付け合わなければ生きて
いけないのか。旧約聖書によれば、その昔、神は人の傲慢さに怒り、言葉を乱し、
世界を分けたという。しかし、果たして本当にそうなのか。この映画で、観客の
我々が目撃するものは、激化する国と国との争いが、人々の憎しみを増幅し、
いつしか身近の仲間さえ信じられなくなっていく。周りに信じられる者がいない…。
これは、この世界に生きる者とすれば、それ以上の悲劇はない。幸いにも、
ボクには妻が居て、娘が居て、帰るべき“家族”がある。例えば、映画のアメリカ人
夫婦にとっての子供の存在しかり、メキシコ人ベビーシッターにとっての実の
息子の存在しかり、モロッコにて放牧を営む一家、その兄と弟の関係しかり、更に
同じく、それは東京に住む聾唖(ろうあ)の少女チエコにとっても…。その母の死に
ついて、彼女が何を見たのか、我らは知る由もない。彼女が若い刑事に渡した、
その便箋の中身が何だったのか、今はそれすら知る必要はない。大切なのは、
ラストシーンで彼女が服を脱いだ裸のまま……、いや、“裸の心”で、初めて
その父と手を握り合い、抱きしめ合ったことだ。“都会の孤独”を包む夜の中で、
“その場所だけ”が輝いて見えたのは、きっとボクだけの錯覚ではないはずだ。



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『プラダを着た悪魔』、観ました。

2007-04-26 21:04:53 | 映画(は行)






監督:デイビッド・フランケル
出演:メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ

 『プラダを着た悪魔』、観ました。
大学を卒業し、ジャーナリストをめざしてNYにやってきたアンディ。オシャレに
興味のない彼女が、一流ファッション誌“RUNWAY”のカリスマ編集長ミランダ・
プリーストリーのアシスタントに大抜擢される。しかし、それは今まで何人もの
犠牲者を出してきた恐怖のポストだった……。 
 ったく。どうもこうして“オンナの虚栄心”ってやつには終わりがないのか…。
いや、そんなこと、今更やっと気付いたわけでもあるまいが(笑)、改めて、
この映画を観てそう思った。さて、舞台となるのは、とある有名ファッション誌の
編集部。そこは言わずと知れた世界の最新ファッションブランドが集結する。
プラダのスーツに、グッチの時計に、シャネルのバッグに…。しかし、映画は、
ともすれば“単なるファッションショー”になりがちな展開を、あくまでも
それを“添え物”として、コミカルだが“人間ドラマ”の方に重点を置いたのが、
この映画成功の要因だ。観ながらオイラが感心してしまったのは、主演となる
2人は基より、その周囲の“丁寧なキャラクター作り”と、“分かり易く整理された
役割分担”だ。例えば、会社ナンバー2のナイジェルは、ヒロインが仕事での
悩みを打ち明けられる“唯一の相談役”として…。第一アシスタントのエミリーは、
ヒロインにとって“初めての先輩”、そして“初めての同僚”として…。また、
恋人のネイトは、ヒロインが悩み、行き詰った時、安らぎと笑いを与えてくれる
“帰るべき、心の家”だろう。彼女は、そんな彼らの良きアドバイスに耳を貸し
(時には貸さないこともあるが)、本来の自分があるべき姿と、居るべき場所を
探していくのだ。
 次に、この映画の性質上、やはり“主となる敵対両者”について、書かずに
通り過ぎることは出来ますまい。それにしても、ヒロインのアン・ハサウェイは、
その小さなお顔の半分くらいが“目”じゃないかって思えるほど…、とにかく
オメメがクリッとコケティッシュな美人さん。そんな彼女が、大御所メリル・
ストリープの存在感と五分に渡り合うとはいかないまでも、必死になって食らい
付く。その姿は、映画の中のヒロインと“実際の彼女の奮闘ぶり”をダブらせて
観ればなお楽しい。ただ、ひとつ気になったのは、物語の設定上、セレブの
世界に入る前の彼女は、アカ抜けない“只の平民”だったはず。それが体から
溢れ出すオーラによって、そう見えない。いくらダサい格好で隠してもみても、
白鳥はやっぱり《白鳥》でしかない。《ガチョウ》には見えない(笑)。



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『クィーン』、観ました。

2007-04-23 22:10:01 | 映画(か行)
The_queen
監督:スティーヴン・フリアーズ
出演:ヘレン・ミレン、マイケル・シーン、ジェームズ・クロムウェル

 『クィーン』、映画館で観ました。
1997年8月31日。チャールズ皇太子との離婚後、充実した人生の真っ只中にいた
ダイアナ元皇太子妃が、自動車事故によって急逝した。事故直後、英国国民の
関心は一斉にエリザベス女王に向けられる‥‥。 
 今も“あの日”のことは鮮明に覚えてる…。ダイアナ妃が亡くなった“あの日”
のことだ。いや、ボクの衝撃は、彼女が“不幸の死”をとげたニュースではなく、
それまでスキャンダル続きでバッシングの的(まと)だった彼女に対し、事件以降、
マスコミや世論が手の平を返したように、その死を嘆き、その人生を奉ったことだ。
何も今更、死んだ人の悪口を書きたくはないが、ボクは彼女に対して“美しいが
幼稚”というイメージしか持ち合わせていなかったので、マスコミを含めた周囲の
“変わり身の速さ”に正直驚いた。(ひねくれ者の?)ボクは、何でもかんでも
“美談”に仕立て上げてしまうマスメディアのやり方には辟易(へきえき)するし、
それを“売り”にした映画だって観たくない。だから、例えば、この事件を
“ダイアナ側”から描くものだったら恐らく観なかったに違いない。むしろ、その逆の
“王室側の視点”だからこそ興味を持ち、ボクはこの作品に惹かれたんだ。
 前置きが長くなってしまった。そういう訳で、この映画は“ダイアナ妃の事故死
事件”を主題に置いたものとは少々違っていて、言い換えれば、それはテーマを
描く上での手段に過ぎない。映画は、それに端を発して、マスメディアの“非難の
目”が王室のエリザベス女王に向けられ、“見えない巨大な力”によって国家
全体が動かされていく様を描いている。一方、映画を観ていく上で観客は、
共通する“あるひとつの共通点”に気付くことになるだろう。それは、マスコミ対
王室、ブレア首相対エリザベス女王など、“新旧勢力の対決構図”‥‥、それも
伝統や格式を重んじる保守派に、それに捉われず新しいものに移行していこう
とする革新派の圧力だ。観ながらボクが恐ろしかったのは、新しいものを善として、
古いものを悪だと決め付ける、そんなマスコミの愚かな思い込みと思い上がりだ。
いや、そもそも女王が守ろうとしたものは“王家のプライド”とか“体裁”ではない。
もっと“エモーショナルで人間的なもの”ではなかったのか…、英国人だけが持つ
“慎み深さ”とか、何にも惑わされない“正確な判断力”だとか。映画終盤の
バッキンガム宮殿にて、亡きダイアナへの弔花を前にした女王陛下に、集まった
民衆の冷たい視線が突き刺さる。が、その中の、たった一人の少女だけが女王に
こう話し掛けるのだ、「(私が持つ)この花はあなたに差し上げるためのものだ」と。
異常な空気が国全体を支配する中で、唯一“純粋な目”を持った少女だけが、
女王への敬意を忘れなかったこの場面は“感動的”であると同時に、まるで童話
「裸の王様」を逆さにしたかのように“滑稽”だ。
 そして、最後にひとつ、確かめておかねばならないことがある。では、本当の
ところ、女王はダイアナ妃を憎んでいたのだろうか。勿論、彼女の真実がどうかは
分からぬまでも、少なくとも映画ではこんなシーンがある。山道で一人、車の
修理を待つ最中、女王が野鹿に遭遇する場面だ。そして、彼女はその野鹿を見て
“何か”を思う。ボクが察するに、それは野鹿に対する“憧れ”であり、“憐れみ”
だったのではあるまいか。国を守る責任に縛られた自分とは違い、“自由”に
野を駆け回る野鹿にある種の“憧れ”を抱きながら、一方で、常にハンターに
追われ、逃げ惑う姿に“憐れみ”を感じる。その時女王は、野鹿に“ダイアナ妃の
影”を見たのだろう。そして、彼女は慌てて言う、「さぁ、早く逃げなさい」と。
もしかしたら、女王がダイアナ妃を冷たく突き放し、王室から追い出したのは、
彼女の“厳しさ”からではなく、“優しさ”だったのかもしれない。しかし、それすら
胸にしまい、言い訳も悪口も口にしない。彼女は、本当に強い女性(ひと)だなぁ。



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『涙そうそう』、観ました。

2007-04-20 20:46:33 | 映画(な行)






監督:土井裕泰
出演:妻夫木聡、長澤まさみ、麻生久美子

 『涙そうそう』、観ました。
飲食店開業を夢見る洋太郎は、沖縄の那覇で必死に働いていた。そんななか、
高校に合格した妹カオルが島からやってきて同居することに。幼い頃、母親と
死に別れた2人は、親戚の家で助け合いながら生きてきたのだ。洋太郎は
ようやく資金が貯まり店の開店に漕ぎ着けるのだが…。  
 夏川りみの大ヒット曲「涙そうそう」と言われても、正直、オイラにはピンと
こない。いや、そもそも、これまでまとも聴いたことすらないのだから、映画の
エンディングに流れるまでは、原案となったその歌と、今作のストーリーに
どんな関連性があるのかさえ…。だから他でもない、今回オイラのお目当ては
“長澤まさみちゃん”に尽きるのだ(笑)。で、そんなオイラをして、長澤ちゃんの
側から映画を分析すると、近年の『タッチ』『ラフ』ときて、この『涙そうそう』は、
三度(みたび)あだち充作品「みゆき」の香りが漂う。血の繋がりのない兄妹間に
流れる淡い恋心と、その微妙な関係を描いた内容は、「みゆき」の“沖縄版”
といった感じだ。まぁ、結局のところ、その路線が彼女にとって良かったのか
どうかは別問題として、少なくとも今はまだ…、小さくまとまらずに“伸び伸び”
演じることを心がけ、どうかそのオーラを大切にして欲しい。勿論の事、沖縄の
太陽に負けない“輝き”を放つ彼女は、やはり、この映画でも眩しかった。
 と、そんな風にここまでは書いてきたが、この映画を長澤ちゃんファンの
側ではなく、かといって妻夫木聡ファンの側でもなく、“公平な映画ファン”の
立場から分析するに、やはり両者の“輝き”以外には見せ場の乏しい、“平凡な
作品”に終わってしまった感は否めない。映画終盤にみられる、人物の心情を
“手紙”にして、それに当人の朗読を被(かぶ)せちゃう手法は如何なものか。
むしろ、作り手からすれば(如何に言葉や台詞を使わずに描き切るという)
“そこ”に力こぶを入れて描くべきではないのかと。一方、妻夫木君も大熱演で
頑張ってはいるのだけど、途中、どうして泣いているかなぁ、とさえ思うシーンも
しばしば。それはあくまでも(コミカルの?)確信犯なのか、あるいは(真面目に
やって)そうなってしまったのかは定かじゃないが、オイラは若干の戸惑いを
感じた。主演の2人を含めて、麻生久美子、小泉今日子、平良とみなど、脇を
固める出演陣も豪華だったゆえに、演出面の安直感と、各エピソードが終盤に
なって一つに絡み合ってこないのが残念。いっそ、“このキャスト”で週1時間の
“連続ドラマ”にしたら、確実に数字(視聴率)が取れるじゃないか。長澤ちゃんが
出るんなら‥‥、当然オレも観ることになるだろうし(笑)。



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『サンシャイン2057』、観ました。

2007-04-16 20:49:01 | 映画(さ行)
2057
監督 : ダニー・ボイル
出演 : キリアン・マーフィ 真田広之 ミシェル・ヨー

 『サンシャイン2057』、映画館で観ました。
2057年、太陽の消滅によって地球は滅亡の危機にさらされていた。人類の
最後の望みは宇宙船と8人のクルー。彼らは太陽を再生させようとしていた。
しかし、予期せぬ出来事が次々と起こり、地球との通信は途絶えてしまう。
そんなとき、なんと7年前に焼失したはずの宇宙船から救難信号を受信する‥‥。
 『アルマゲドン』??、もしくは『ディープ・インパクト』??、いや、そのどちらでも
ない。確かに、大まかなストーリー展開は似通っているが、テーマに対する
“スタンス”がちょっと違う。例えば、先に挙げた2作品は、献身的な愛と自己
犠牲、引き裂くような美しい別れと泣かせ演出を“最大の売り”にした、いかにも
ハリウッド的な“SFエンターテイメント”だったわけだが、この『サンシャイン~』では
全編に閉塞感と重苦しさが漂い、娯楽性とは程遠い。むしろ、“その対極に
位置する映画”ではあるまいか。また、主人公のクルーたちを“完全無欠の
ヒーロー”としてではなく、心の弱さもあれば、内面の醜さもある、そんな“脆くて
非力な一個の人間”として描いているのが特徴的だ。重大な任務を負い、
逃げ場もなく、ミスの許されない状況下で圧し掛かってくる責任と重圧が、
彼らの“隠された本性”を抉(えぐ)り出す。恐らくや、映画終盤、(行方不明の
イカロス1号から)突如として出現した、おぞましい姿の殺人鬼は、それら人々の
内面の潜む“ネガティヴな部分”の象徴だろう。一方で、それは単なる“表面的な
善悪の対決”に留まらず…、クルー達の、もっと“内面的な戦い”として、その
恐怖に立ち向かい、その狂気に打ち勝った“強き信念”こそが《小さな希望》へと
変わっていく。例えば、そう…、あの日、爆発の大火事ですべてが焼き尽くされた
船内植物園の跡、厚く積もった黒い灰の中から、名も無き植物の《小さな芽》が
僅かに顔を出したように‥‥。ラストシーン、衰えゆく太陽に核爆弾を投下し、その
成功の有無が“約8分間”の時間を要して、遠く離れた彼方の地球に伝わっていく。
勿論、自らの命を投げ打ったクルーたちに、その“成功の是非”など知る由も無い。
いや、よく考えてみれば、それは映画の中の彼らだけに限らず、今、我々の前に
山積している諸問題についても同じことがいえるのではないか。なぜなら、
地球温暖化も…、環境破壊も…、“100年後の地球”を想定して考えるべき
問題なのだ。やはり彼ら同様に我らも、取り組んでいる“努力”の成果を今すぐ、
直接確かめることはできない。しかし、それで良いのだ。人はそうやって、次の
世代、あるいはまた次の世代へと、“大切な命”を繋いでいくのだから。



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『2001年宇宙の旅』、観ました。

2007-04-10 20:47:19 | 映画(な行)






■監督 スタンリー・キューブリック
■出演 キア・デュリア/ゲーリー・ロックウッド/ウィリアム・シルベスター

 『2001年宇宙の旅』、観ました。
人類創生期、猿人たちの前に異様な黒石板(モノリス)が現れる。彼らがそれに
恐る恐る触れると、知性が芽生え、動物の骨を武器として使えるようになる。
西暦2001年、再び月面の基地に黒石板が出現。その石が放射する信号に従い、
5人の科学者を乗せた宇宙船ディスカバリー号が木星に向うが……。
 出来ればレビューを書くのを避けて通りたかった“SF映画の金字塔”。すなわち、
“難解映画の決定版”(笑)。これまで幾人もの映画ファンがこの映画の謎に挑み、
《世紀の大傑作》との評価を下してきたわけだが、その賞賛の声のほとんどが
「ここには観る者を惹きつける“何か”がある」とか、「この映画ばかりは一度
観ただけでは駄目で、二度三度観て初めてわかってくる“奥の深い作品”」とか、
挙句には「とにかく凄い」の一言で片付けちゃう人まで(笑)。うん、確かに
“凄い映画”であるのは間違いないのだけど、それにしても、ホントに分かって
言っているのか、あるいはそうじゃないのか、何だかオイラの目には、他の人が
「凄い」と言ってるから、とりあえず自分も…とばかりに、無理やり便乗している
ように見えて仕方ない。まぁ、そうは言ってもオイラ自身、今回が通算5回目の
鑑賞になるわけで、この映画が持つ“神秘性”に惹かれない訳ではない。恐らく、
本作が難解だとされるのは、人物の台詞や言葉による説明が出来うる限り省略され、
映像のみの表現で、観客に“体感させる試み”が成されているからだろう。よって、
どうして完全無欠のコンピューターHALが狂ったのか??、黒石板(モノリス)は
何のために出現したのか??、ボーマンが導かれた中世の部屋は何処だったのか??、
ラストシーンで宇宙に大きく映し出される赤ん坊(スペースチャイルド)は何を
意味しているのか??‥‥、そのいずれかの謎の一つに引っかかると、その後の
展開がドミノ倒しのように、総崩れで混乱してしまうのだ。
 前置きが長くなってしまった、本題に移ろう。では、手始めに何故、これまで
一度もミスを犯したことのない最新型コンピューターHALが狂ってしまったのか??、
実は、その謎はこの映画を観た人が最初に乗り越えなくちゃいけない難問であり、
逆にそれさえクリア出来れば、この映画の主題の80パーセント以上は理解出来た
ものだと、ボクは思っている。だからこそ、この謎に限り、キューブリックはそれを
解くための大ヒントを与えてくれているのにお気付きだろうか。それは、ボーマンが
HALの暴走を止める為、コンピューター室に入って回路を切断していく最中、
他のクルーには知らされず、HALにだけ知らされた“極秘フィルムの存在”が
明らかになる。そこでHALは「任務の秘密を(クルーに)漏らしてはならない」という
命令を地上から受けていて、元々記憶されていた「クルーに忠実であること」という、
2つの矛盾した指令の狭間で戸惑い、とうとう精神分裂に陥ってしまったのだ。
つまり、ここでキューブリックが言いたかったものは、機械は正常でも、人間が
間違った操作をすれば、機械は正常に働かず故障を引き起こす。2001年になって、
科学がどんなに進歩したとしても、それを使う側の人類自身が進歩しないことには、
“本当の意味での21世紀”はやって来ないのだと。そして、今、ふと気がつけば、
科学の進歩は、原子爆弾やら、その他無数の殺人兵器やら…、むしろ、人類に
“危険”の方をもたらしている。キューブリックが“40年前に想い描いた未来の
21世紀”は、果たして“今の、こんな世界”だったんだろうか。例えば、400年前、
突如出現したモノリスによって、猿人が“道具を持つこと”を覚えたように…、
今再び現れたモノリスは、我々に今度は“科学の正しい使い方”を教えに来た
ように思えて仕方ない。恐らくや、木星へと到着し、ボーマンが導かれた“中世
ヨーロッパ建築の一室”は、人間の憎しみやエゴや争いの無い…、“平和で調和の
取れた空間”をイメージしたものではあるまいか。その後、ボーマンは急激に老化し、
ついには朽ち果て、“新しい命”へと転生していく。それは、人類の“古い時代の
終焉”を意味しつつ、生まれ変わる人類の“新しい未来”を予感させる。更に、
ラストシーンで宇宙から地球を眺めるスペースチャイルドは、その“新しい未来”の
象徴に違いない。人類の英知は計り知れない。だからこそ、その使い方を誤っては
いけない。エゴや争いの為ではなく、もっと“その外側に目を向けて”利用すべきもの
なのだと。今、人類は“次なる進化の段階(とき)”を迎えている。もう、その“新しい
未来”は目前に迫っているんだ。

追記:聞けば、宇宙を流れるように飛行するディスカバリー号は、人間の“精子”を
   イメージしたものだとか。そのディスカバリー号が、木星の亜空間の“穴”に
   突入し、「未来」という名の“赤ん坊”が生まれてくる。恐らく、この映画が放つ
   “無限の神秘性”は、そんな風に我々が気付かないところで計算され尽された、
   キューブリックの演出力によるものなんだろう。



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『太陽』、観ました。

2007-04-05 20:45:12 | 映画(た行)






監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:イッセー尾形、ロバート・ドーソン、桃井かおり、佐野史郎

 『太陽』、観ました。
彼の名前は昭和天皇ヒロヒト。1945年8月。その時、彼は庭師のように質素な
身なりをしていた。人は、彼を神の子孫だと言ったが、天皇は「私の体は
君達と変わらない」と言った。戦況は緊迫していたが、彼は戦争を止めることが
できなかった。その苦悩は悪夢に姿を変え、午睡の天皇に襲い掛かる…。
 もがいても、叫んでも、抜け出せない。まるで、いつ覚めるともない“不思議な
夢”の中にいるみたい…。しかし、それは“幻想的な空間”でありながら、同時に
この上なく恐ろしい“現実の世界”だったと知らされる。そこでは、天皇は“神”だと
崇(あが)められ、だから愚かにも国民の誰一人として“自国の敗戦”など考えも
しなかった…。この映画の凄さは、そんな、「現実」と「非現実(幻想)」とが音もなく
静かに混じりあい、奇妙なバランスの上で《戦争》という“特殊な時代”を形成して
いる点だ。「自分は神ではなく、人間なのに」、そんな至極当たり前のことすら
口に出して言えない“天皇ヒロヒトの苦悩”‥‥、誰よりも平和を望んでいながら、
目の前で行われる“軍の暴走”を止められない。いつの間にか“自分(天皇)だけが
部外者”となり…、ただ、責任者としての重圧だけが自分の肩に圧し掛かってくる。
監獄のような陰気で長い廊下と、質素で光が射さない室内と…、映画は常に
“閉ざされ限られた密室”のみで展開され、耐え難い静寂が、狂おしいほどの
孤独となって、ヒロヒトの心を蝕(むしば)む。観ながらボクは、そんな彼の心中を
察するほどに息が苦しくなり、ついに涙がこぼれた。
 ところで、特に若い映画ファンの方はお気付きだろうか…、映画中盤から後半に
かけて特徴的に描かれる、ある映画スターと天皇ヒロヒトの意外な関係について。
ある時、ヒロヒトが自室にて独り、アルバムにある“家族の写真”を眺めている。
次に、机の下から取り出した別のアルバムには、ハンフリー・ボガードやマレーネ・
ディートリッヒ、チャップリンなど、往年の銀幕のスターが並ぶ。しかし、そんな、
つかの間の“夢の世界”から、ヒロヒトは一瞬にして“現実の世界”に引き戻される…、
最後に現れたのは“ヒトラーの写真”だったのだ。数日後、写真撮影のために
やってきた若いアメリカ兵に「チャーリー(チャップリン)に似てる」と言われ、
ヒロヒトは思わず嬉しくなってしまう…。果たして、彼は単にチャップリンと姿形や
雰囲気が似てることだけを喜んだのだろうか…??、いや、必ずしも、そうではない
はずだ。なぜならば、チャップリンは、誰よりも“平和”を愛し、“戦争”を憎んだ。
例え、剣は使えなくとも…、銃は撃てなくとも…、“メガホン”を武器にして、銀幕の
中で“ファシズム”と戦った。ヒロヒトは、そんなチャップリンの生き方に大きな
憧れを抱いていたのではないか。更にその上で、これはボクの考え過ぎだろうか…。
チャップリンの『独裁者』ラストシーンで、「残念ながら、私は“皇帝”ではない‥‥」
で始まる大演説と、天皇ヒロヒトの“人間宣言”はどこかで結び付いていたのでは
あるまいか…。そして、映画『太陽』のフィナーレは、黒い雲の隙間から、新しい
時代の到来を告げる“明るい太陽”が昇ってゆく。そう…、映画『独裁者』の終幕と
同じように。



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『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』、観ました。

2007-04-01 22:51:05 | 映画(ま行)






監督: トミー・リー・ジョーンズ
出演: トミー・リー・ジョーンズ, バリー・ペッパー

 『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』、観ました。
テキサスに不法滞在するメキシコ人メルキアデス・エストラーダは、親友ピートと
ある約束を交わしていた。それは「俺が死んだら故郷ヒメネスに埋めてくれ」と
いうもの。メルキアデスは、ある日突然、銃弾に倒れる。約束を守るため、彼の
遺体を掘り起こし、故郷ヒメネスを目指すが…。
 またしても“俳優出身”監督の力作誕生か。自身2度目の監督作にして、この
堂々たる風格と、人生の味わい深さ。また、高度な技術に裏付けされた多彩な
人間模様をいとも簡単に描いてみせる…、こりゃまたぶったまげたゼ、トミー・
リー・ジョーンズ。映画序盤は、時間軸をバラバラに分解した場面のピースが、
パズルのようにはめ込まれ、次第に明らかになってくる事件の全貌…、そこに
行き着くまでの展開は、上質なサスペンス映画のようにスリリングだ。一方、
中盤からは、老いた主人公カーボーイを挟んで、友の屍(しかばね)と、それを
殺した犯人の、奇妙な“ロードムービー”へと進展する。映画は、男同士の約束、
自分が犯した罪への落とし前(責任)、西部へ挽歌など、往年のサム・ペキンパー
作品を彷彿させ、中でも“死体”を引き連れ、旅を続ける件(くだり)は『ガルシアの
首』を連想せずにはいられない。長い旅の過程で、徐々に“腐っていく友”を
感じながら…、それでも友の死に向き合い、出来る限りの事をしてやろうとする
主人公の友情は、“この世で一番神聖なもの”のように感じられた。
 だとしたら、この映画を単に真っすぐな男気と、古風で硬派な生き様を描いた
“男の映画”として片付けて良いのだろうか。いや、確かに、そういう側面を
持った映画であるのは違いないが、ここではもうひとつ、例えばイーストウッドの
『ミスティック・リバー』のように…、アメリカ人から見た“イラク戦争の影”が
見え隠れする。それは他でもない、メルキアデスを撃ち殺した“国境警備隊の
若い男”の存在だ。侵入者を“暴力”で取り締まり、女や子供だからといって
容赦はしない。広い荒野の真ん中で、遠くの銃声が聞こえると、あたかも自分が
狙われているかと“錯覚”し、罪のない善良な男を射殺してしまう。その後、
自分の顔が割れ、主人公に問い詰められると「あれは事故だった。仕方なかった
んだ」と“自らの正当性”を主張する。その姿はまさに、今にして尚、“イラク
戦争の否”を認めようとしないアメリカにダブってみえる。一方、友との約束を
果たすため、その魂を故郷の地に送り届ける“主人公の良心”は、お金とか利害
関係を超えたところで、今我らが本当に成すべきことは何なのか??、そして、
主人公が成す“死した者への弔い”を通じて、大儀のために人命さえ軽んじる
“アメリカのイラク政策”を批判しているようにも受け取れる。ラストシーン、
ついに主人公は、それでも保身と弁解を重ねる若い男を一喝する。死んだ友に
対して「心の底から謝れ」と。。崩れ落ち、泣きながら、初めてやっと、殺した
相手に許しを請(こ)う若い男…、次の瞬間、彼の口から叫ばれた“その台詞”が
この映画のすべて…。そして、それが“これからのアメリカが進むべき行き先”で
あって欲しい‥‥。

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