肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』、観ました。

2006-06-29 20:48:00 | 映画(か行)

◆ただいまポイント2倍! クレヨンしんちゃん 映画 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲 ◆20%...

 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』、観ました。
春日部にできたテーマパーク「20世紀博」。昔を懐かしむ大人達は現実の生活を
放棄し、童心にかえって楽しんでいた。だがその裏には、“絶望”の21世紀を
捨て、“希望”に満ち溢れていた20世紀を永遠に存続させようとするケンと
チャコの企みがあった‥‥。
 先日の『ALWAYS 三丁目の夕日』でノスタルジックを刺激され、改めてもう一度
観直してみたくなったのがこの映画、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』だ。
だけど、不思議だ‥‥。かつて初めて観た時よりも、今回2度目の方が泣けてくる、
感動する。思うに、「当時」と「今」で決定的に違うのは、今のボクには、妻がいる、
娘がいる、家族がある。多分、ボク自身が“守るべき家族の温もり”を手に入れて、
しんのすけの父ひろしと母みさえが我が子に注ぐ愛情、その家族の固い絆まで、
やっと本当に理解出来るようになったからなんだだろう。
 しかし、それにしても、ここはアニメとは思えない“懐かしさ”に溢れている。
「ウルトラマン」に、「大阪万博」に、「夕焼けの商店街」か…。「トヨタ2000GT」に、
「近所のカレーライスの匂い」に、「銀球鉄砲」か…。クソ~、反則だぜ、オイラの
一番弱いところを攻めてくる(笑)。その感傷に浸り、溢れそうになる涙を必死に
堪えながら、それでもやっぱり最後は泣いてしまう。子供よりも、もう童心を
忘れてしまった大人こそが観るべきアニメーション。並の傑作じゃない、もちろん
“大傑作”です。
 ボクたちが子供だった“あの頃”は、すべての人が「夢」と「希望」の中にいた。
懐かしい…、戻りたい…、帰りたい…。しかし、これは単なる“懐メロ”映画でも、
「あの人は今」的な“思い出感傷”映画でもない。意外にも観終わったボクの心に
あったものは、これから訪れる“未来への決意”だった。物語終盤、主人公の
しんのすけが転んでも、転んでも、また転んでも、再び立ち上がり、前へ前へと
走り出したように、ボク達も“未来”へと進まなくちゃいけない。もしかしたら、
未来は明るいものじゃないかもしれない。いや、むしろ、暗くて厳しい困難が
待ち受けているのかもしれない。だけど、ボク達は、その暗い未来を少しでも
明るいものに変えていくための“努力”を惜しんじゃいけないんだね。だから、
もう過ぎ去りし過去を懐かしむのはやめにしよう。さぁ、前へ進もう、たとえ
明日が嵐でも…。そして、エンディングに流れ始めた吉田拓郎の名曲が、ボクの
“涙の最後の一滴”を絞り出した…。♪♪私は今日まで生きてみました、そして
今私は思っています、明日からもこうして生きていくだろうと。

 


『M:i:III(ミッション・インポッシブル3)』、観ました。

2006-06-27 20:51:02 | 映画(ま行)

M:i:III

 『M:i:III(ミッション・インポッシブル3)』、映画館で観ました。
愛するジュリアとの結婚を控え、スパイを引退し教官になったイーサンだったが、
教え子リンジーの窮地を知り救出へと向かう。だが、彼の前に立ちはだかる
強大にして冷酷な敵デイヴィアンの出現。逆にジュリアを人質に取られ、機密
装置“ラビットフット”の強奪を強要される……。 
 はなから“崇高なるテーマ”なんぞあるはずない、見るからに“機微”だとか
“ワビサビ”に通じる映画とは思っちゃいない。あくまでも“エンターテイメント”
だけを前面に…、これでもかこれでもかと“活劇要素”と“ご都合主義”を
詰め込んだ。時として「おいおいおい」と大暴走にツッコミを入れたくなるの
だけど(笑)、「撃った」「走った」「逃げた」「追った」の単純明快。出たとこ勝負も
なんのその、高層ビルにぶら下がり、振り子のように隣のビルから隣のビルへと
大ジャ~ンプ!!、あとは野となれ、山となれ。聞く耳持たずに我が道を往く??、
もう完全に開き直ってる感じがサイコーじゃん(笑)。これぞまさしく“ミッション・
インポッシブル(不可能な任務)”に相応しい(笑)。出来もしない人間ドラマにゃ
見向きもせず、サービス満点、とことん“娯楽”に徹したプロ意識。やっぱり
この映画でも、トム・クルーズはトム・クルーズだった…(笑)。
 さて、この映画を観た人で、まず最初に戸惑うのが、本来はクライマックスの
直前に用意されている印象的な“あるワンシーン”をプロローグで、映画冒頭に
見せてしまう点だろう。正直、オイラとしても、活劇映画には珍しいこの構成が、
果たして成功するのか否か、首を傾げちゃったのだけど、観終わって観れば、
実に効果的に…、物語に膨らみを持たせているのがよく解かる。ともすれば、
“善悪の対決”を主に置いたアクション映画、単調になりがちなストーリーに
アクセントを持たせ、例えるなら“道しるべ”のような…、マラソンでいう
折り返し地点の役割をはたしている。結果として、それがあることによって、
途中にある主人公と犯人、その攻守の切り替えと立場の逆転が鮮やかに
決まる。加えて、観る側が抱く(主人公の)危機感も増しているように感じた。
まぁ、欲を言えば、映画の最後にもう一波乱、(自分大好き??)トムによる
トムのための盛大な花火を打ち上げてほしかったけど(笑)、たまにゃこういう
(最後だけ控えめな?)トム・クルーズもあっていいのかな(笑)。いや、もしか
したら計算高い彼のこと、現在全米で吹き荒れるトム・クルーズ“バッシング”に、
少しでもイメージアップを図りたい彼の思惑がチラチラ見えなくもないですが…。

 


『素晴らしき日曜日』、観ました。

2006-06-23 20:52:23 | 映画(さ行)

素晴らしき日曜日 ◆20%OFF!

 『素晴らしき日曜日』、観ました。
戦後まもないころのある日曜日、貧しいサラリーマンの雄造は、恋人の昌子と
デートするが、お互いのポケットの中は合わせて35円しかない。その後も憂鬱な
出来事ばかりが続き、すっかりふさぎこんでしまった2人だが、日比谷公会堂で
『未完成交響楽』のコンサートがあることを知り……。
 三船敏郎のいない黒澤映画なんて…、志村喬のいない黒澤映画なんて…、だけど、
観れば、そんな先入観もたちまち吹っ飛んでしまう。いかにも黒澤監督らしい
人物の内面を抉(えぐ)り出すような“演出の極み”。それから、1つの台詞が
10の言葉の意味を持ち、戦後の貧困から自分への憤(いきどお)り、不条理な
社会への不満とやり場のない怒り‥、主人公の隠された100の感情を表現する
“脚本の巧み”。いや、それにも増して、作品全体から放出される“カリスマ”
とでもいうのかな。映画の何処のどういう場面を切り取っても絵画のように
完璧な構図と、鋭く研ぎ澄まされた映像は、観客が一度観たら目に焼き付いて
離れない。それらはすでに完成され、“後(のち)の巨匠クロサワの誕生”を
予感させる。それにしても、若き日の黒澤明が、こんなにメルヘンチックで
ハートウォーミングな恋愛映画を撮ってたなんて‥‥。勿論、物語が動き出す
過程において、主人公の若い男女が味わう“戦後の貧困”と、厳しい現実の前で
脆くも崩れ去る“愛のか弱さ”も交互に描かれているのだけど、そんな2人が
映画の最後で手にする“小さくても確かな希望”に心温まる。今回、オイラは
黒澤映画には珍しく涙がボロボロ、数箇所に渡って胸にグッと来るものが
ありました。特に、映画終盤に訪れる夜の野外音楽場の場面。木枯らしが吹き、
枯れ葉が舞う…、ヒロインが誰も居ない観客席に向けてする哀願は、まるで画面の
こちら側でみている我々に訴えかけているような迫力を感じた。結局、若い2人が
その“素晴らしき日曜日”によって得たものがひとつ。真にミジメな生き方とは、
お金が無く、物が買えない事じゃない。自ら“夢”を見るための瞳を閉ざし、
未来へ生きるための“希望”を捨て去ることなんだよ。ラストシーン、きっと
主人公男性が踏みつけた煙草の吸殻は、昨日までの“ミジメな自分との決別”を
意味しているんだろう。今、一点の曇りもない晴れやかな気持ち…、観終わって
こんな気持ちになった黒澤作品もまた珍しい。

 


『未完成交響楽』、観ました。

2006-06-23 14:36:50 | 映画(ま行)

未完成交響楽(トールケース仕様)

 『未完成交響楽』、観ました。
19世紀初頭のウィーン。小学校教師で売れない作曲家の若きシューベルトが、
公爵夫人主催の演奏会でデビューする。そこで出会った美しい伯爵令嬢
カロリーネと恋に落ちる。しかし、それを快く思わない伯爵は、二人を
引き裂こうとするが‥‥。
 “黒澤明が選んだ100本の映画”に入っていたからっていうのもあるけれど、
やっぱり“タイトルのミステリアス”に惹かれて借りてみた。映画は、
シューベルトが残した(いや、正確には“完成した形”では残せず放置したと
いうべきか…)「未完成交響曲」に秘められた真実を、独自の視点からロマンス
たっぷりに描いていく。でもって、観終わった直後のボクは、映画的な
出来過ぎ感が拭いきれずに“半信半疑”。しかし、その後この映画の信憑性を
確かめるべく調べてみたら、あながち全てが作り話という事ではないらしい。
専門家がいくつか唱える説の一つのようだ。うん、そう思えば、改めて聴く
シューベルトの「未完成交響曲」は何と切なく、ロマンティックに感じられる??
ならば、“愛”のために作られた曲は“夢”のある物語だと…、この映画が
真実であるように、ボクはそう信じたい。
 さて、本作の制作は1933年、上映時間は僅か88分間。言わずもがな古くて
短い映画なんだけど、この(重厚な)内容を、この(短い)時間に上手くまとめ
上げたのはさすが。例えば、自分が精魂込めて書いた曲を、自分の思い描いた
通りに歌ってくれた時の喜び、その女性と“恋に落ちる瞬間”もよく分かったし、
更には、鍵盤の上で触れ合う手と手に顔を赤らめ、酒場にて魅惑的に踊る
彼女に自分の感情を抑えられなくなる描写など、二人が“音楽を通して”
惹かれあっていく過程が丁寧に描かれている。多分、人によっては(かつての
恋人を捨てた)シューベルトの行為を“薄情”だと感じるかもしれないが、
その大部分が「義理」や「恩義」で結び付いていた元恋人との関係とは違い、
カロリーネとの絆はもっと崇高で神聖な「尊敬」や「憧れ」だったんだろう。
もはや“理性”などがそこに割って入ることができない、シューベルトは
実直であり過ぎたからこそ、自分の気持ちに嘘を付けなかったんだ。

 


『ALWAYS 三丁目の夕日』、観ました。

2006-06-17 21:59:41 | 映画(さ行)

☆おすすめ品☆ ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版 型番:VPBT-15326

 『ALWAYS 三丁目の夕日』、観ました。
東京タワーが完成する昭和33年、人情味溢れる住民達が暮らす夕日町三丁目。
自動車修理工場・鈴木オートに、青森から集団就職で上京してきた六子。一方、
三流少年誌に小説を執筆する駄菓子屋の店主茶川竜之介は、ひょんなことから
引き取りての無い一人の少年の世話をすることになるのだが…。 
 ちょっと恥ずかしくてカッコ悪い…、今の若い人に言ったら大口開けて
笑われるかもしれないが、人間同士の“絆”だとか、心と心の“触れ合い”を
強く感じる作品だった。ハッキリ言って、物語自体はとてもスマートとは
言い難い。むしろ、コテコテ浪花節タッチの下町“人情劇”。セリフの演奏も
キツけりゃ、吉岡秀隆も、堤真一も、堀北真希ちゃんも、みんなが揃って
これでもかというほどのオーバーアクト(笑)。だけど、そんな“クドさ”を
感じさせない「温かさ」と「優しさ」がこの映画にはある。普段はオイラが
滅多にレビューで書かない“役者の演技”にしても、今作だけは薬師丸ひろ子も、
小雪も、可愛い子役達も、みんなを一人ずつ書き綴ってあげたいような…、
そんな魅力に溢れている。しかも、それらの個性が喧嘩して孤立することなく、
見えない硬い糸で結ばれているのが、妙に嬉しくなった。まぁ、38歳オイラの
世代からすれば、『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』の方が郷愁感を
そそるのだけど、本作は、例えその時代を知らなくても充分に感動できる内容。
懐かしくて遠い故郷にいるみたい、心安らげる一本だ。
 さて、物語の舞台となるのは戦後まもない、まだ日本が高度成長にさしかかる
以前の、貧しい時代。だけど、そこに生きる人々の顔に悲壮感はない。物は
無くても、人は“豊かな心”に満ちている。生活は苦しくても、“明日への
希望”を信じて生きている。“大きな夢”に向かって必死になって働く者…、
“小さな幸せ”さえつかめずに涙を流す者…、全てを失い“過去の思い出”に
すがる者‥‥。ひとつ言えることは、そんな不器用だが心優しき人々が、時に
助け合い、時に慰め合いながら、ひとつの時代を懸命に生きていたってこと。
オープニングに子供達が大空高く飛ばす模型飛行機…、ラストシーンの夕焼けに
聳(そび)え立つ東京タワーのシルエット……、きっとそれらは人々の“心の
支え”となり、未来へと続く“希望の象徴”だったんだろう。その美しい世界は、
いつまでも、どこまでも果てしなく、人々の“心の中”に広がっていた。

 


『悪魔の棲む家(2005年)』、観ました。

2006-06-13 20:37:59 | 映画(あ行)

悪魔の棲む家 コレクターズ・エディション ◆20%OFF!

 『悪魔の棲む家(2005年)』、観ました。
1974年11月13日、ロナルド・デフェオJr.が、就寝中の両親と4人の兄弟たちを
ライフルで殺害するという凄惨な事件が発生。彼は、家の中の“声”が自分を
殺人に駆り立てたと主張した。1年後、ジョージ・ラッツと妻キャシー、そして
3人の子供たちが、この家に引っ越してくる…。 
 かつての『エクソシスト』に始まって『オーメン』『サスペリア』と続くオカルト
ブームが、日本全土を飲み込んだ70年代。小学生だったオイラにも、当時の
異常な盛り上がりは鮮明に覚えている。ただ、(ブームから)やや遅れてきた
この『悪魔の棲む家』だけは一味違った“特殊な作り”。おどろおどろしい
悪魔の姿や、えげつないスプラッター描写は存在せず、屋敷に中に隠れ住む
《何か》を…、見えざる敵として描き出す。すでに“やり尽くした感”があった
オカルト映画ブームの中で、“実話の怖さ”を前面にアピールしていたように
思うんだ。さて、今回のリメイク版もオリジナル版同様、“実話の恐怖”に
拘(こだわ)った作りで、大人が観ても充分耐えられる作品に仕上がっている。
例えば、悪魔祓いの為に屋敷に訪れた神父が、悪霊の圧力に屈し、恐怖に
慄(おのの)き逃げ出すシーンは、映画的な…あの『エクソシスト』とは違う、
“リアルな恐怖”が隠されている。更には、特殊メイクやCGに頼らず、主人公
男性が次第次第に“邪悪”に憑り付かれ、“狂気”に支配されていく恐怖の
過程が、時間を掛けて描かれている丁寧さ。作品全体の出来はともかくとして、
その一点だけを比べれば『シャイニング』のジャック・ニコルソンよりも、こちらの
映画の方が上だとボクは思った。小品ではあるが、内面から忍び寄る恐怖に
背筋が凍る、単なる「人気ホラーのリメイク」で終わらせるには惜しい作品だ。

 


『裁かるるジャンヌ/裁かるゝジャンヌ (クリティカル・エディション)』、観ました。

2006-06-09 20:59:13 | 映画(さ行)

裁かるるジャンヌ クリティカル・エディション ◆20%OFF!

 『裁かるるジャンヌ(クリティカル・エディション)』、観ました。
英国の侵略からフランスを救った少女ジャンヌ・ダルクは、奸計にはまって
英国軍に捕らえられる。少女が宗教裁判によって火刑に処され、肉体が朽ち
果てるまでを崇高に描く‥‥。
 いまだかつてこれほど“神の存在”を感じた映画を観たことがない‥‥。
1928年製作にして、その完成度の高さたるや近代映画のそれを遥かに凌ぐ。
斬新なカメラワークと前衛的な構図の素晴らしさ、それらを僅かな隙なく
並び替え、はめ込んでいく編集の巧み。更には、極限まで省略した台詞と
監督カール・ドライヤーの研ぎ澄まされた演出の妙。ジャンヌ演じた主演
女優ルイーズ・ルネ・ファルコネッティの圧倒的なカリスマが、観る者の
魂を揺さぶる。「無声映画」という音のない世界だからこそ伝わる臨場感と
緊張感、、まさに“サイレント時代の頂点”に位置する驚くべき最高傑作だ。
勿論、“宗教映画”としても…、“法廷映画”としても…、今尚この映画を
越える作品は作られていない。『裁かるるジャンヌ』‥‥恐らくは今後、
この作品の名がボクの“生涯のベスト10”に刻まれることは間違いない。
 映画はジャンヌ・ダルクの宗教裁判、その“最後の一日”を追いながらも、
彼女の“一途なまでの信仰心”を描いている。「裁判」という名の“拷問”で、
「信仰」という名の“言葉の暴力”に叩かれゆくジャンヌ・ダルク。その澄んだ
瞳からこぼれ落ちる涙に清き彼女の“絶望”を知る。しかし、それでも醜く
歪んだあざけり顔で容赦ない罵倒をやめない司祭の醜悪…、これでもか
これでもかと連続する“クローズアップ撮影”が、一層のおぞましさを強調する。
一方、そんな彼女を僅かに支えるのは“純粋な神への信仰心”…。窓の
格子が床に“クロス(十字架)”の影を映す時…、“鳩の群れ”が教会の屋根に
舞い下りる時…、例え、そこに神の姿が見えなくとも、それは紛れもなく
ジャンヌが“神を感じた瞬間”だった。ボクは信仰を持たない無神論者だけど、
もしも“神”があるのなら、きっとここに描かれたようなものなんだろう。
それ(神)は、姿があるようで姿がない。だけど、そこに居ないようでいて
そこに居る。信じるものにしか見えない、感じない。いや、例え、感じたと
しても直接手を貸して助けてはくれない。いつもそばで優しく見守ってくれる。
挫けそうになった時、倒れそうになった時、我々の“心の支え”となるんだ。

 


『フライトプラン』、観ました。

2006-06-06 21:40:43 | 映画(は行)

☆おすすめ品☆ フライトプラン  型番:VWDS-3157

 『フライトプラン』、観ました。
突然の夫の死によって、悲しみに打ちひしがれた航空機設計士カイルは、6歳の
娘ジュリアと共に帰国の途についていた。ベルリン発ニューヨーク行き、最新型
エアジェット。だが、高度1万メートルの上空で、娘は忽然と姿を消す……。
 主演は今尚絶大な人気を誇るジョディ・フォスター。しかも、映画館で観た
予告編がとっても良さげで、嫌が応にも観る側の期待は膨らんでしまうのだが、
コイツはとんだ“食わせもの”(笑)。物語は、走行中の乗り物(完全密室)から
乗客のひとりが消えていなくなるという…、まぁ、サスペンス映画としては
使い古された定番もの。うん、確かに古いものは捨てられない、古いものに
良いものは沢山あるのだけど、本作では先の“9・11のテロ事件”色をプラスして、
母子の家族愛を絡めて「ハイ、出来上がり」じゃあ、単なる(サスペンス)古典の
使いまわしの印象は拭えない。例えば、クライマックスのアクションにしても、
“着陸して乗客の降りた機内”を舞台にするんじゃなく、ここはウソでも(?)
ジェット機は飛んだまま、乱気流に入ったり、操縦不能のユラユラした状態で、
ヒロインと犯人…、両者の息詰まる攻防戦を描くべきだったんじゃないのかい??、
これなら別に舞台を“乗り物”に限定しなくても、“どっかの建物内の設定”と
変わんないじゃん(笑)。いや、むしろ、この映画では、序盤から中盤へと、
まるで飛行機が離陸するように上昇カーブを描いて盛り上がっていくサスペンス
フルな展開が、突如として両翼のプロペラが壊れたように(?)、ある瞬間から
地面へと真っ逆さま。それまで演出のキレはなくなり、孤軍奮闘ジョディ・
フォスターの熱演だけがやけに空しく映る…。一体全体、この映画は何処まで
落ちるんだッ!!(笑)、ある意味、映画の“物語とは別のところにあるスリル”
ってやつを堪能してほしい(笑)。だから、A級映画としては観るにはSo Bad。
でも、B級カルト映画として茶々を入れながら観るには、案外楽しめるのかも(笑)。