肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『嫌われ松子の一生』、観ました。

2006-05-28 19:57:38 | 映画(か行)

嫌われ松子の一生

 『嫌われ松子の一生』、映画館で観ました。
平成13年、荒川の河川敷で松子が遺体で発見される――。昭和22年、福岡県で
中学教師として働く川尻松子は、憧れの同僚・佐伯からもデートに誘われ人生
順風満帆。ところが修学旅行で生徒がおこした窃盗事件が原因でクビになり、
家を飛び出しソープ嬢に。松子の人生が狂い始める‥‥。 
 苦しいほどの“切なさ”と、沸き立つような“楽しさ”と、遠い昔を思うような
“懐かしさ”が入り混じった不思議な気持ち‥‥。『下妻物語』の中島哲也監督
だからといって、同じようにハイテンションで突っ走る?、フザケたジェット
コースタームービーと思ったら痛い目にあう。例えば、コミカルとシリアスの
バランスからしても、『下妻~』が7:3としたら、今作『嫌われ松子~』は
せいぜい4:6くらい。まず片平なぎさネタで一発、最初の笑いでオイラの心を
鷲づかみ。一転、荒川土手のエピソードにキュ~ンと郷愁感、妹の健気な笑顔に
心を洗われ、怒涛のホットケーキ話でジーンと涙、オイラの胸を締め付ける。
でもって、そんな“理詰め”の展開に感心させられたかと思えば、一方で“感性”の
映像に圧倒されっぱなし。そのビジュアルは、賑やかにして華やかな夢心地、
往年のハリウッドミュージカル映画のそれのよう…。日本映画の“線の細さ”
なんて微塵もない。そして、普段はタブーとされる、暴力とSEXとCGと大音量の
音楽をじゃんじゃか、じゃんじゃか取り入れながらも、それを全く嫌味に感じ
させないあたり…、ちょっと真似しようと思っても真似できないセンスだね。
その名は《中島哲也》、久しく日本映画でこんな天才、見たことない。
 さて、映画は、あの名作『市民ケーン』を思わせる、冒頭に提示された
“主人公(ヒロイン)の死”を出発点として、何故そのような結果に至ったのか??、
その波乱に満ちた人生の歴史を振り返っていく。結局、彼女は、世の中の全ての
不幸を抱え込んで醜くなり、自分はといえば人に愛を捧げ尽くして死んでいく。
その“美しさ”ゆえに傷付いて、その“純粋さ”ゆえに汚れてしまったんだ(涙)。
他人(ひと)は、そんな松子を見て笑い、蔑(さげす)むかもしれないが、
それは表面的な彼女しか知らなくて、彼女が抱える本当の悲しみや、本当の
孤独について分かっていない…。いや、分かろうとしなかったから‥‥(涙)。
きっと、彼女はこの世の“神”だったに違いない。だって、彼女が登る階段の
先には、ほら、“白い光”が‥‥。それは“地上の苦しみ”から解放され、遥か
“天国”へと続いているんだもの。

 


『大停電の夜に』、観ました。

2006-05-26 21:49:13 | 映画(た行)

大停電の夜に スペシャル・エディション【初回限定生産2枚組】 ◆20%OFF!

 『大停電の夜に』、観ました。
東京が一番輝くクリスマス・イヴ。誰もが何かを待っているそんな夜、停電で
すべての光が消えた。かつての恋人への想いを引きずるバーのマスター木戸。
妻と不倫相手の間で揺れる遼太郎。未来のない関係に「さよなら」をするOL
美寿々…。暗闇の中、12人の本当の気持ちが見えだした……。 
 いまだに大型台風が来る度にドキドキワクワク、胸の高鳴りを感じてしまう
(もうすぐ39歳)オイラとしては、やっぱりこの映画の設定には少なからず
心惹かれちゃうわけなのダ(笑)。それから、静寂に包まれた都会の闇の中で、
唯一キャンドルの優しくてやわらかい炎だけが浮かび上がり、ギスギスした
人の心に灯りを灯(とも)していく…。うーん、何とも神秘的でロマンティックな
シチュエーション(笑)。きっと、この映画を愛しのあの人と観た日にゃー、
その気がなくともその気になり、そのまま深い関係へとまっしぐら‥‥と、
そんなデートムービー、雰囲気満点の映画だと思うんだ。ただ、残念ながら、
オイラみたいな妻子持ち、とっくに好きとか嫌いとか“愛の現場の一線”から
遠のいた輩(やから)が観るには、ちと甘ったるくてむず痒い。まぁ、愛の
群像ドラマとして趣向を凝らし、様々にみせてくれるのは良いのだけど、どれも
同じような(美化された?)愛のカタチばかりで、メリハリがないというか、
全体的に静かなトーンで統一されて“単調な印象”を受けた。思うに、もっと
カッコ悪くて“泥臭い愛”があっても良かったかなと…。
 で、映画は結局、終わってみれば、停電前と停電後の状況自体に、特に
劇的な変化はなく‥‥、要は現実から目をそらして逃げ出すんじゃない、
もう一度、今の自分を見つめ直してみましょうよ、ってこと。個人的には、
せめて原田知世嬢だけは『幸福の黄色いハンカチ』ばりのハッピーエンドを
期待したのだが、聖夜の窓越しに寂しく笑い、憂いに濡れる彼女の横顔に
思わず心かきむしられる。そして、彼女こそ、この世のどんな美よりも
大切で、離したくないもののように感じてくる。もしも、オイラがトヨエツの
立場だったとしたら…??、のん気にベースなんぞ弾いてやしない。追っていく、
彼女を…。でなきゃ、後で必ず後悔する。ボクはそう思うなぁ。

 


『ダ・ヴィンチ・コード』、観ました。

2006-05-21 12:33:47 | 映画(た行)

ダ・ヴィンチ・コード

 『ダ・ヴィンチ・コード』、映画館で観ました。
閉館後のルーヴル美術館。ダ・ヴィンチの素描<ウィトルウィウス的人体図>を
模して横たわる館長の死体。死体の周りに残された不可解な暗号。その中には、
ハーバード大学教授ラングドンの名前が…。一転、容疑者となったラングドンは、
館長の孫娘で暗号解読官のソフィーとともに謎を解き始める‥‥。
 オイラみたいな“無神論者”のふととぎ者(?)が観るならともかく、きっと
敬虔なるクリスチャンが観たら激怒する(笑)。キリスト教について、あること
無いこと(いや、ほとんど無いことだらけだと思われるが(笑))、さも本当に
バチカンの陰謀があったのごとく、“手の込んだ歴史ミステリー”として成立
させてしまうあたり、いやはやお見事!!、勿論、これは冷やかしとかじゃなくて、
全くよく研究し、非常によく出来た“ノンフィクションの傑作”だと思うんだ。
でも、どうなんだろう…。この超一級の原作をもってしても、「映画」として
みるには、せいぜい“並”から“並上”程度が関の山(笑)。“大満足”というには
スッキリしない。映画は、ダ・ヴィンチ・コードの謎を解くカギが、パズル、
暗号、文字列の並び替えへと形を変える中、観る側に考える時間と取りつく島も
与えぬまま、次へ次へと駆け足で過ぎていってしまう。思うに、この原作小説って
夜な夜なちびりちびりと読んでいってこそ味わいが出てくるわけで、“映画の
中の2時間”に無理矢理まとめ上げるには不向きな内容ではあるまいか。
 加えて、観ながらどうにも気になってしまったのは、警察のずさんな捜査と
マヌケぶり(笑)。例えば、映画序盤、その日の数時間前に殺人事件があったのに、
容疑者がいなくなったからといって、殺人現場が空(から)になり、主人公達が
“のん気に謎解き”をしてるなんてことがあるんだろうか(笑)。他にも、
良い具合に銃の弾丸が輸送車のドアに挟まったり、警官が取り囲む中で自家用
ジェットからの脱出劇には、ご都合主義らしき描写がいっぱい。自分のイメージを
膨らませて読む小説とは違って、改めて、大ベストセラーを期待通りに映像化
する事の難しさについて考えさせられる。それにしても、公開初日の映画館前は、
黒山の人だかり。おまけにチケット売り場には「本日分のチケット売り切れ」の
文字が‥‥。オイラは何とか裏ワザ(?)を使って館内に潜入したのだけど、
うーん、この映画の正しい観方としては、細かいツジツマ合わせを気にする
よりも、ほとんど妄想にも近い(?)大ボラ話の“発想力”に感心すべし(笑)。
くれぐれも過度の期待をもって観ない方が良いと思うが‥‥。

 


『Dear フランキー』、観ました。

2006-05-19 20:50:35 | 映画(た行)

Dearフランキー 通常版 ◆20%OFF!

 『Dear フランキー』、観ました。
フランキーは耳に障害を持つけれど、聡明で元気な男の子。彼の母リジーは
夫の暴力から逃げるため、各地を転々としながら暮らしている。まだ幼かった
フランキーはその事実を知ることなく、会えない父親に思いを募らせていく。
息子の寂しさを思い、リジーは嘘をつく。父親は船の乗組員で世界中を航海して
いるから会えない。その話を信じ込ませるため、彼女は父親のフリをして手紙を
書き続けていた‥‥。
 近頃、めっきりこの手の映画に弱くなっちまった…。きっと、それはベビーが
生まれて、オイラ自身が“人の親”になったからだと思うのだが、親が我が子に
注ぐ“深い愛情”と、その愛に飢えながら初めて手にした時にみせる“子の
笑顔”‥‥。ヤバイ、オイラの泣かせどころを突いてくる(笑)。観ながら
オイラは、こらえ切れずにオイオイ(涙)。今、こうして書きながらも再び
思い出しウルウル(涙)。ラストはちょっと“綺麗にまとめ過ぎ”の感じも
あるけれど、感動もので清々しい涙を流したいという人には是非ともオススメ。
映画全体を通しても、なかなかの秀作に仕上がっていると思うよ。
 さて、映画は、幼い頃のある事情から喋れなくなった少年が、(離れた場所に
住む?)まだ見ぬ父に送る手紙を“物語の出発点”として、口に言えない、目にも
見えない“親子の絆”を描いている。とりわけオイラが、この映画で感心して
しまったのは…、映画中盤、海岸の手すりにもたれ、海を眺める三人家族の
シーン。一見普通に見える“その特殊な家族”は、実は真ん中にいる子供が
両端の男女を繋(つな)ぎ止めてる“危うい関係”だったんだ。しばらくして、
真ん中の子供が去った後に生じた“一人分の隙間”、、、その僅かな隙間を
埋めるべく、ぎこちない会話を始める男と女‥‥、愛がその瞬間に息づき、
生まれたことを意味している。うん、そんな風にこの映画には、さりげない人の
仕草や小物に“隠されたメッセージ”がいっぱい。だからこそ、主人公少年の
手紙ですべてを説明しちゃうラストシーンは如何なものか。ボクとしては、
もう少しでも観る側に“想像する余地”を残した方が良かったと思うのだが‥‥。

 


『Dolls [ドールズ] 』、観ました。

2006-05-18 21:19:50 | 映画(た行)

バンダイビジュアル Dolls

 『Dolls [ドールズ] 』、観ました。
一本の赤い紐につながれ、さ迷い歩く男女。迫り来る死期を感じ取った老境の
ヤクザと、彼をひたすら待ち続ける一人の女。事故で人気の絶頂から転落した
アイドルと、それでも彼女を慕い続ける孤独な少年。3つの愛の行方とは‥‥。
 あまり評判の良くない映画ですが、世間で言われるほどの“愚作”ではないと
思った。ただし、世間で言われるように「ラストが分からん」というのも事実。
‥‥で、観終わったボクの感想は「北野監督、ずいぶん無理してるなぁ」って
カンジ(笑)。日本古来の人形様式を取り入れて“日本の美”にこだわった。
美しい映像に酔い、美しい音楽に聞き惚れる、『ドールズ』は美しい‥‥しかし、
その美しさはすべてが“様式的”でボクの心には響かない。ある意味、これは
北野監督の“狙い通り”かもしれないけどね。ただ、ボクが彼に望むのは
そんな“小手先の芸術性”なんかじゃない、『あの夏、いちばん静かな海。』や
『キッズ・リターン』の頃に感じた“飾らない純粋さ”なの。最近の北野作品を
観るとそれが一作品ごとになくなってきてる。『座頭市』しかり、この『ドールズ』
しかり、それが残念でした。
 さて、映画は3つの悲恋が少しづつ絡んだ進行のオムニバス形式。その3つの
ストーリーに共通するのは、愛し過ぎたがゆえに崩壊し、“狂気”へと変わって
いく愛‥‥。「愛の重さ」、「心のモロさ」がテーマになっている。個人的には
三橋美智也を主人公にした“2話目”が好きだ。タイトルにある「Dolls」は、愛を
失い、“魂の抜け殻”になった彼らを「人形」に例えてるんだろうね。

 


『リンダ リンダ リンダ』、観ました。

2006-05-14 21:10:11 | 映画(ら・わ行)

☆おすすめ品☆ リンダ リンダ リンダ 型番:VPBT-12477

 『リンダ リンダ リンダ』、観ました。
高校生活最後の文化祭で、ブルーハーツのコピーをやることになったボーカル
不在のガールズバンド。彼女たちがボーカルとして声を掛けたのは、何と韓国
からの留学生。本番まであと3日。4人の寄り道だらけの猛練習が始まった‥‥。
 思い起こせば18の頃、ド田舎の高校から東京の専門学校に通い始めて一年目。
音楽通の友達から「お前に“ストレートなロックンロール”を聴かせてやる」と
渡されたテープが、(当時まだ無名だった)ブルーハーツの“1st.”だった。
剥き出しの感情と、単純だが嘘偽りのない“彼らの叫び”は、等身大のリアルな
メッセージとなって聴いてるオイラの耳に飛び込んできた…。あれから20年の
歳月が経ち、(この映画で)改めて聴くブルーハーツは“あの頃”と同じ…。
いや、そんな彼らの曲同様に、映画の方も飾らず気取らず素直な作りの青春映画。
計算され、選りすぐられた美辞麗句なんかじゃなくて、互いの目を見ながら
「ありがとう」の一言だけで分かり合えるような“友情の固い絆”…。悩みながら
傷付き、道によろけながら励まし合う“仲間との信頼感”…。そんな“若さ”
ゆえに衝突し合い、許し合えるヒロインたちがうらやましくて、思わず当時の
自分の思い出とダブらせながら観てしまった。物語終盤、目的の地へと向かう
ヒロインたちに“土砂降りの雨”。しかし、その激しい雨さえ“圧倒的な若さの
エナジー”を発散させ、切り裂くように駆け抜ける彼女たちは、まさにブルー
ハーツの曲のイメージにピッタリ。その後に待ち受ける“感動のフィナーレ”を
予感させる。もしも、今…、かつての友達に会えるとしたら、きっとその時は
この作品を薦めるだろうよ。「おい、お前、どこまでも“真っ直ぐな青春映画”を
見付けたゾ」って言ってね。
 さて、映画は、女生徒4人がすったもんだの末にバンドを結成。それぞれの
悩みをかかえながらも、同じ目的(ライヴの成功)のために団結していく‥‥
いわゆる“音楽ものの青春映画”としては定番の作り。今回オイラがこの映画で
嬉しくなってしまったのは、物語の舞台となる学園が、ジメジメした陰気臭い
「イジメ」や「古い偏見」に縛られない…、常に新しい「自由」の風が吹く
場所であったこと。生徒はそれぞれ自分自身のスタイルで、自分だけの長所を
アピールする。教師も生徒の自主性を尊重し、近ず離れず“一定の位置”から
生徒の成長をそっと見守る姿に好感が持てる。大切なのは、バンドの仲間同士、
教師と生徒間だけの関係に限らず、“言葉”以上にもっと大切で、“内面的な
信頼関係”を築くこと‥‥。“言葉”じゃ上手く説明できないけど、この映画が
云わんとしていることは良く分かる。

 


“遺作”三本締め

2006-05-12 21:40:24 | ★独断と偏見的シネマ・セレクション3

独断と偏見的シネマ・セレクション3
(キーワード別)“遺作”

1、『ザ・デッド 「ダブリン市民」より』(ジョン・ヒュートン)
2、『サクリファイス』(アンドレイ・タルコフスキー)
3、『まあだだよ』(黒澤明)

ザ・デッド 「ダブリン市民」より

ビデオメーカー サクリファイス

好評発売中!ジェネオン エンタテインメント まあだだよ デラックス版

「感性」がものを言う映画監督にあって、
その晩年まで“優れた作品”を撮り続けることは難しい。
しかも、それが「遺作」ともなると尚更だ。
 1は、J・ヒューストンの遺作にして“最高傑作”ではなかろうか。
映画の最初の2/3は淡々とした食事会のシーンで
大したことはないのだが、それ以後の1/3が物凄い。
“死”を目前にしないと見えないもの‥‥
“人生の終わり”になってやっと見えるもの‥‥
そういう…、言葉ではうまく表現できない
“人生の儚(はかな)さ”を感じてしまう。
 2と3は、単純に作品の出来を比較すれば、
それを上回る“巨匠の遺作”はいくつかあると思う。
(例えば、D・リーン『インドへの道』、ヴィスコンティ『イノセント』など)
しかし、タルコフスキーと黒澤明、それぞれ両者が
自分の死期が近いことを感じ取り、
次の世代に残した‥‥いや、託した“遺言”ではないのかなと。
特に3は、最初に観た時はサッパリだったのに、
今では観直す度に泣けてくる。小さくとも素敵な作品だ。

 


『山猫 イタリア語・完全復元版』、観ました。

2006-05-10 21:41:07 | 映画(や行)

山猫【イタリア語・完全版】 ◆20%OFF!

 『山猫 イタリア語・完全復元版』、観ました。
1860年春、統一戦争下のイタリア。腐敗した貴族支配からの解放を目指す統一
運動の波が、シチリア島にも押し寄せる。そのシチリアを長きに渡って統治
してきた名門貴族サリーナ公爵は、自らの終焉を感じながらもこれまで通り
優雅に振舞う。一方、彼が目をかけていた甥のタンクレディは革命軍に参加し、
機敏に立ち回る。ある日、片目を負傷し休暇の出たタンクレディは、やがて
新興ブルジョワジーの娘アンジェリカと出会い、恋に落ちる…。
 かつて20代の頃に観て驚愕し、ボクが“ルキノ・ヴィスコンティ”に心酔する
きっかけになった作品。滲み出る品格と格調の高さ、華やかにして上品な色使い、
それまでボクは観たこともない映像美に魅せられた。中でも、鮮やかに彩られた
ドレスの数々と室内装飾の美しさは、女性ならずとも目を奪われること必至。
そんな溢れ出る“美の洪水”に、ボクはただひたすらに酔いしれる。更には、
焦らしに焦らされ、ようやく現れたクラウディア・カルディナーレの“悪魔的な
美しさ”、、近くに咲いた花さえも霞んでしまうそうな“輝き”を放っている。
言わば、これはルキノ・ヴィスコンティが僅かの妥協も許さず、頑固なまでに
拘り抜いた“自身の美学の真髄”ともいえる一本、、やはり、この作品は
“完璧”を求めるからこそ、(163分の『英語版』でなく、)187分の『イタリア語・
完全復元版』を観て欲しい。
 さて、映画は上にも書いた通り、「華麗」にして「優雅」、この世の贅(ぜい)を
すべて集めたような「絢爛豪華」、瞬く間に“夢の時間”が過ぎていく。しかし、
一方で、ひとつの時代の終わりを告げる“哀愁感”が漂う。不幸にも新旧ふたつの
時代の狭間に生き、去りゆく者の哀しみ‥‥、押し寄せる新しい時代の波に
抗(あらが)うこともせず、ただ来たるべき“終焉の時”を見届けることが、
主人公が貴族として“最後に残された誇り”だった(涙)。そして、今さらもう
何も言うことはないだろう、その去りゆく時代を締めくくるように開かれる
大舞踏会のシーンは、輝ける過去の歴史の中で“退廃してしまった貴族社会”を
象徴する。“貧困”などおよそ無縁の別世界にいるような宴(うたげ)の中で、
騒ぎ、踊り狂う人々‥‥、ひとり全てを悟った主人公は何を思うのか。例えば、
それは狩りで討たれて死んでいく兎を、優しく撫でさすった“あの時”ように…、
死にゆく者への“深い憐れみの目差し”だったのかもしれない。いや、もはや
彼には華麗に死ぬことさえ許されない。老兵は死なず、ただ消えゆくのみ‥‥
すでに彼は歳を取り過ぎたのだ。ラストシーン、主人公は目前に迫った“落日の
時”を確信し、ひとり会場を後にする。その寂しい後姿は“忘却の彼方”へ去って
いくようだった。

 


『亀は意外と速く泳ぐ』、観ました。

2006-05-07 21:18:04 | 映画(か行)

☆おすすめ品☆ 亀は意外と速く泳ぐ デラックス版 型番:GNBD-1124

 『亀は意外と速く泳ぐ』、観ました。
若い平凡な主婦、片倉スズメ。夫は海外赴任中。毎日が恐ろしく単調に
過ぎていく…。このまま、歳をとり死んでいくのか? そんな平凡を嘆く彼女は、
ある日ふとしたことからスパイ募集の小さな張り紙広告を目にし、思わずそこに
連絡する…。 
 特に目立って美人とわけじゃないのに…、特に目立って演技が巧いわけじゃ
ないのに…、何故か映画に引っ張りだこは“上野樹里、、モテモテなのダ(笑)。
きっと彼女の魅力は、生まれ持っての“天然キャラ”と、変に垢(あか)抜け
しない“イモっぽさ”にあるんだろう。そう思えば思うほど、彼女以外に
この映画の、このヒロイン役は考えられない、見当たらない。むしろ、彼女の
場合は、今後も下手に演技が上達しない方が良い。今のままの“気取らない
素人臭さ”こそ、最大の武器なのダ(笑)。いや、もしも…、(そんなことは
ないと思うし、そう信じたいが、)彼女がこれを狙ってやっているとしたら、
大変な女優さんであるとは思うけどね。
 さて、映画は、“プチ『下妻物語』”とも言えそうなチープなネタと、コアな
ギャグ満載の“おふざけムービー”。ただし、圧倒的に違うのは、『下妻物語』
ほどに“ギャグの切れ味”はなく、むしろ、春の陽射しのようにやわらかい
“のんびり感”が、全編を優しく包み込む。それから、上野樹里ちゃんの、
やる気があるのかないのか分からない(?)モノローグが良い具合にこれに
溶け込んで、一層の“癒しムード”にどんどん力が抜けていく(笑)。
それにしても、人生すべて“そこそこ”。「目立たぬことを美徳とせよ」は、
まさしくコレ、「すべての煩悩(ぼんのう)を捨てよ」という“仏の教え”と
そっくりではあるまいか(笑)。急がば回れ、亀のようにゆっくりと、着実に歩を
進めていった者が最後には笑う。なるほど‥‥、本作タイトルに隠された
言葉の意味は意外と深くて重い、のダ。

 


『ヴェニスの商人』、観ました。

2006-05-05 19:40:17 | 映画(あ行)

ヴェニスの商人/アル・パチーノ

 『ヴェニスの商人』、観ました。
16世紀、ヴェニスの貿易商アントーニオは、求婚への資金難に苦しむ友人
バッサーニオのため、ユダヤ人の高利貸シャイロックから金を借りる。しかし、
シャイロックはその担保としてアントーニオの身体の肉1ポンドを要求した…。
 こう見えても(?)オイラは“大のシェークスピア好き”なのダ。だから、
シェークスピアと名が付く映画は、新旧問わずほとんど観てる。思うに、
シェークスピア作品の凄いところは、「愛」と「憎しみ」、「信頼」と「裏切り」が
常に表裏一体として描かれ、渦巻く「欲望」の中に隠された「人間の本性」を
抉(えぐ)り出す。しかも、登場するすべての人物に意味を持たせ、物語の
最後にはそれらが例外なく見事に完結していくのだ。そして、本作『ヴェニスの
商人』でも、憎み合う2人の男性と3組のカップルから成る“複雑な人間関係”を
混乱させることなく、誰ひとりが欠けても成し得ない“完璧な愛憎劇”を
完成させた。勿論、それは名匠マイケル・ラドフォード監督の手腕もさること
ながら、シェークスピアの“物語構成力”の巧さ、そして彼の人間を見る
“洞察力”によるところが大きいと思う。
 それにしても、何故これまでシェークスピア作品中で、この『ヴェニスの商人』
だけが映画化されてなかったのか??、宗教色の強いのが原因か、差別的
表現があるためか、はたまた単なる偶然か(笑)。いずれにしても、映画は
いつものシェークスピア作品に違(たが)わず完成度は申し分なく、物語
中盤から終盤にかけての展開は、どんどん川の流れが増していき、ついには
滝となって谷底へと落ちていくような…、そんな“スピード感”を感じた。
まぁ、最終的には、一休さんもどきの“とんちネタ”でカタが付くのだけど、
復讐に燃えるユダヤ人男性にとって大きな誤算だったのは、愛を目前にした
“オンナの執念”ってヤツ(笑)。観ながら、憎悪に歪んだユダヤ人よりも、
オンナが意味ありげに意地悪く笑った顔の方が遥かに怖い、と感じたのは
きっとオイラだけではないハズだ(笑)。今宵も真夜中過ぎ、ワイフと娘の
顔色を伺(うかが)いながら、別室にて一人映画を観る‥‥、そんなきのこ
スパさんだったのデス(笑)。

 


『理想の女(ひと)』、観ました。

2006-05-03 19:35:23 | 映画(ら・わ行)

理想の女(ひと)【ZMBY-2620】=>20%OFF!理想の女(ひと)

 『理想の女(ひと)』、観ました。
ニューヨーク社交界の華として知られる若妻メグ・ウィンダミアと夫ロバートは、
セレブが集う南イタリアの避暑地アマルフィにバカンスに訪れた。夫に純粋な
愛を捧げるメグは、悪名高いアメリカ人女性アーリンと出会う。やがて囁かれる
彼女と夫の密会の噂‥‥。
 映画序盤は、ゴシップ好きのマダム連中がたむろして、あれやこれやと
人の噂話に明け暮れる。聞きたくないのに聞こえてくる、知りたくないのに
教えられる、何がそんなに楽しいか…。が、しかし、その醜くもおぞましい
光景は、実はオラが町でも日常茶飯事。でもって、現にオイラのワイフも
そんな“田舎暮らしのストレス”にナーバス気味。こりゃまた絶対、ワイフに
映画は見せられないなぁと思っていたが(笑)、終盤に向かうにつれて物語は
二転三転。霧が晴れるようにヒロインの誤解が消え、絡み合った謎が解けていく
様(さま)は思わず感動すら覚えてしまう。まさか序盤のドロドロした展開から、
こんなにも清々しい気持ちになるなんて…。(観終わった)今となっては、
是非ともこれはワイフに見せなくちゃ、という気になってきた。
 それにしても、映画は僅か93分の上映時間にして見所が満載。スカーレット・
ヨハンソンが華麗に着こなすクラシカル・ファッションの数々から、上品な
室内装飾、そしてアンティーク小物類まで…、優雅で贅沢な雰囲気をかもし出す。
そんな一方で、ユーモアたっぷり「男女の格言」に思わず“ニヤリ”。大人の
皮肉を込めた言葉の端々に思わず“ドキリ”。さりげない台詞の一つ一つにも、
溢れる“知性”を感じずにはいられない。いや、それ以上に、これだけ実のある
内容、これほど複雑な展開を、90分あまりの短時間にまとめ上げた“脚本家の
手腕”には脱帽だ。久しぶりに心の底から嬉しくなるような作品にめぐり合えた。
恐らく観終わって、既に結婚している人は、改めて自分の“結婚ライフ”を
見つめ直す…??、まだこれからという人は、新たに自分の“結婚プラン”を
練り直す…??、そんな女性映画の傑作、、これはかなりオススメです。