『ジュリア』、観ました。
リリアンの幼なじみジュリアは、第二次大戦の前夜、反ナチ運動に加わっていた。
そんなある日、劇作家として成功していたリリアンの元に、ジュリアが人を
介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる。ジュリアに会いたいと
願うリリアンは、やむなくベルリン行きを決意する。彼女はユダヤ人だった‥‥。
数ある“女性映画”の中で、これぞボクがその最高傑作だと確信する作品だ。
人生の黄昏時にさしかかるヒロインが、己の人生と愛する人を回想する形の
物語構成、、戦乱の中に生きた“女性の逞しさ”を描き出し、また一方で戦争に
よって狂わされた“運命の残酷さ”を描き出す。並の監督なら3時間掛けても
描き切れない内容を、この映画のフレッド・ジンネマンは僅か2時間足らずの
上映時間にまとめ上げてしまう。改めて“監督の技量”というものを感ぜずには
いられない。
この映画をみれば、人生はキャンバスに画かれた“一枚の絵”なのだと思えて
くる。幾重にも重ね塗りされた「人生」という名の一枚の絵‥‥しかし、年月と
ともに上に塗られた絵の具が透明になり、見えなかった筈の下の絵が見えてくる。
それはまさに今、主人公は川面に浮かぶ船の上、そこにある筈の景色は目に
映らず、見えるのはその向こうに浮かんでくる“過ぎ去った過去の記憶”だった…。
ボクがこの映画で感じたのは、「人生」とは、時間とともに形を変え、色を変え、
決して過去と同じ姿には戻らないってこと。それを生きながらに知っていたのが
“ジュリア”であり、知らなかったのが“ヒロイン”だった。価値観も違う、
生き方も違う、それでもヒロインは幼い時からジュリアの後を追い続けた。
なぜなら、彼女にとってジュリアは人生の目標であり、憧れだったから‥‥。
ジンネマンはその二人の女性像を、時に激しく、時に優しく描きながら、一方で
“2つの人生のコントラスト”を皮肉なほどにはっきり浮かび上がらせていく。
映画終盤、ついに訪れる再会シーンでは、ボクは男性であるにも関わらず、
この2人の女性に強烈なる感情移入をしてしまった。その後、ヒロインは
ジュリアの子供の行方を探し、当てもなくさ迷い歩くこととなる、、まるで
その生涯、ひたすらジュリアの影を追い続けた“彼女の人生”のように‥‥。
何かにすがらずには生きていけない彼女の生き方、、哀しいけど、その気持ちは
ボクにも分かる(涙)。