肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ジュリア』、観ました。

2006-07-03 21:12:30 | 映画(さ行)

ジュリア

 『ジュリア』、観ました。
リリアンの幼なじみジュリアは、第二次大戦の前夜、反ナチ運動に加わっていた。
そんなある日、劇作家として成功していたリリアンの元に、ジュリアが人を
介して反ナチの運動資金を届けてくれと依頼してくる。ジュリアに会いたいと
願うリリアンは、やむなくベルリン行きを決意する。彼女はユダヤ人だった‥‥。
 数ある“女性映画”の中で、これぞボクがその最高傑作だと確信する作品だ。
人生の黄昏時にさしかかるヒロインが、己の人生と愛する人を回想する形の
物語構成、、戦乱の中に生きた“女性の逞しさ”を描き出し、また一方で戦争に
よって狂わされた“運命の残酷さ”を描き出す。並の監督なら3時間掛けても
描き切れない内容を、この映画のフレッド・ジンネマンは僅か2時間足らずの
上映時間にまとめ上げてしまう。改めて“監督の技量”というものを感ぜずには
いられない。
 この映画をみれば、人生はキャンバスに画かれた“一枚の絵”なのだと思えて
くる。幾重にも重ね塗りされた「人生」という名の一枚の絵‥‥しかし、年月と
ともに上に塗られた絵の具が透明になり、見えなかった筈の下の絵が見えてくる。
それはまさに今、主人公は川面に浮かぶ船の上、そこにある筈の景色は目に
映らず、見えるのはその向こうに浮かんでくる“過ぎ去った過去の記憶”だった…。
ボクがこの映画で感じたのは、「人生」とは、時間とともに形を変え、色を変え、
決して過去と同じ姿には戻らないってこと。それを生きながらに知っていたのが
“ジュリア”であり、知らなかったのが“ヒロイン”だった。価値観も違う、
生き方も違う、それでもヒロインは幼い時からジュリアの後を追い続けた。
なぜなら、彼女にとってジュリアは人生の目標であり、憧れだったから‥‥。
ジンネマンはその二人の女性像を、時に激しく、時に優しく描きながら、一方で
“2つの人生のコントラスト”を皮肉なほどにはっきり浮かび上がらせていく。
映画終盤、ついに訪れる再会シーンでは、ボクは男性であるにも関わらず、
この2人の女性に強烈なる感情移入をしてしまった。その後、ヒロインは
ジュリアの子供の行方を探し、当てもなくさ迷い歩くこととなる、、まるで
その生涯、ひたすらジュリアの影を追い続けた“彼女の人生”のように‥‥。
何かにすがらずには生きていけない彼女の生き方、、哀しいけど、その気持ちは
ボクにも分かる(涙)。