肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『クレイジー・ハート』、観ました。

2011-09-29 09:42:19 | 映画(か行)

監督:スコット・クーパー
出演:ジェフ・ブリッジス、マギー・ギレンホール
※2010年キネマ旬報ベストテン第7位

 『クレイジー・ハート』、観ました。
シンガーソングライターとして一世を風靡したものの、57歳になってすっかり
落ちぶれたバッド・ブレイク。自分の弟子だったトミーがアメリカのトップ
歌手として人気を博す一方、孤独な酒浸り生活を送るバッドは、シングル
マザーの記者ジーンと出会う……。
 ぶしつけですが、読者様!!、アナタは何をもって映画を観るのでしょうか??、
例えば、ここに10人の男女がいるとしましょうか。彼らはそれぞれ好みの
映画も違えば、贔屓の監督さん俳優さんを持っていて、千差万別、10人いれば
10通りの映画の観方があると思うのです。ストーリー重視の人もいれば、
映像重視の輩もいます。勿論、俳優の演技が目当てだわ、という方もいる
でしょうし、中には、アタシは韓流オンリーよ、それもグンちゃんさえ
出てれば他は何でも良いの~、って婦人も。ちなみに、オイラは総じて監督の
演出面や映像面に重きを置いて観ています。で、実際この映画を観たオイラの
採点は、ストーリーは定番中の定番。演出面は大きなミスなく無難にこなし、
映像面も可もなく不可もなく。ただし、主演のジェフ・ブリッジスだけは
いやに(?)存在感があり過ぎる(笑)。さっき書いたタイプに分類すれば、
ほぼ間違いなく“役者の演技が観たい人”にとっては“大好物”でしょうな。
 さてさて、ジェフ・ブリッジスに関しては、もう何もいう事ございません。
大変よくできましたッ、以上。おいおい、それだけかよってツッコまれそう
ですが、ハイ、それだけです。なんせオイラは監督と映像重視の人ですから(汗)。
映画全体を通しても、良質な部類といって差し支えないと思います。ただ、
あえて苦言を少しだけ。主人公の恋人ジーンの描き方が、やや陳腐かなと。
彼女が主人公に惹かれていく過程があやふやだし、主人公と知り合って
間もない頃、いきなり深夜の1時に呼び出されて(ベビーシッターが
見つかったとはいえ)子供を置いてホイホイ出てきちゃうのは如何なものか。
まぁ、その辺は日本とアメリカ、その“文化の違い”でしょうかねぇ~。
オイラは観ていて、最後まで彼女が息子(=家庭)優先なのか、仕事(=夢)
優先なのか、はたまた、その両方なのか、よくわからなかった。それから、
ベッドで主人公に泣いてすがり付いたかと思えば、一方ではたった一度の
失敗を責め立て、彼の話さえ聞こうとしない。勿論(主人公と別れる)彼女の
決断も分からなくはないですが、(少なくともその時点で愛があったのなら)
主人公を陰から支え、更正の道に向かわせる“協力の姿勢”があっても
良かったのでは……と、思うのです。
 ところで素朴な疑問ですが、ラストシーンで主人公からジーンに手渡す
小切手は、どう解釈すれば良いのでしょう。主人公からしてみれば、彼女に
捨てられたお陰で目が覚めた、という事なんでしょうが、実際のところ、彼女は
(主人公の更正に関して)何もしていません。個人的な意見ですが、主人公が
小切手を手渡すべきはジーンではなく、かつて幼年期に置き去りにした自分の
“本当の子供”の方ではなかったかと思うのです。ジーンが今も独身を貫き
母子家庭で頑張ってきたのならともかく、今は新しい夫もいるわけだしね。
まぁ、それをあげる方もあげる方だけど、ホイホイと懐に入れちゃう方も
入れちゃう方ではあるのだけどサ(笑)。


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『ディア・ドクター』、観ました。

2011-09-25 07:07:21 | 映画(た行)

出演: 笑福亭鶴瓶, 瑛太, 余貴美子, 香川照之
監督: 西川美和
※2009年キネマ旬報ベストテン第1位

都会の医大を出た研修医・相馬が赴任してきた山間の僻村には、中年医師の
伊野がいるのみ。高血圧、心臓蘇生、痴呆老人の話し相手まで一手に
引きうける伊野は村人から大きな信頼を寄せられていたが、ある日、かづ子
という独り暮らしの未亡人から頼まれた嘘を突き通すことにしたことから、
伊野自身が抱えいたある秘密が明らかになっていく……。
 年間通じて、そうそうお目に掛かれる映画じゃない。勿論、それは悪い方の
意味じゃなくて、特別に良い方の意味でね。のどかな山村の風景を切り取った
映像の美しさ、現在の証言と過去の出来事を交錯させながらのストーリー
構成もさることながら、この映画の秀逸さを語る上で避けて通れないのが、
大胆で意表を付くキャスティングだろう。その象徴とも言える“落語家”
笑福亭鶴瓶の大抜擢だが、これが変に演技演技してないというか、本来彼の
持つ“人の良さ”が自然に表現されていて実に良いカンジなのだ。そういえば、
かつて同じように新人や素人をよく抜擢した黒澤明監督がこんな風に
言っていた。「変に演技を習ってない素人の方が、“手垢”が付いてなくて
使いやすい」だそうな。はたして、西川美和がそう考えての配役だったのかは
さておき、更に今作では、その鶴瓶を物語の中心に置きつつも、瑛太、
余貴美子、井川遥、香川照之、笹野高史、八千草薫らで周囲を固めている。
まぁ、あえて失礼を承知で言わせてもらうと、それらの役者さんって演技が
物凄く巧いというより、むしろ個性派だとかクセ者に近い。彼らを適材適所に
配置し、物語にピリッとしたスパイスを加えている。
 一方、監督三作目にして、すでに絶頂期(?)を思わせる西川美和の演出は
今作でもキレ味鋭く、その研ぎ澄まされた感性には目を見張る。例えば、
ある夜の事、医学書の上で仰向けにもがきながら、やがてその場を飛び去って
いく虫けらは、袋小路に迷い込んだ主人公の現在とこれからの行く末を
暗示させる。また、娘が母の病状を知った際、アイスキャンデーが流しに落ち、
その溶けて流れゆく様子に“人の命の儚さ”を連想させる。更に、かつては
やり手としてならした主人公の父親も、今は痴呆となって孤独な晩年を
過ごしている。一貫してその姿を“遠巻きからのショット”で写すのは、すでに
人々の記憶から忘れ去られ、“小さくなった存在”を無言のうちに訴えかけている。
観ていて勉強になるというか、本作では随所に“演出の妙”を見せ付けられた。
 (以下ネタバレあり)ところで、この映画を先に挙げた黒澤明の『赤ひげ』と
ダブらせて観る人もあるかろう。実際、オイラもその一人だ。ただ、『赤ひげ』では
主人公医師を世の不条理に正面から立ち向かう“真のヒーロー”として描かれて
いたのに対し、この『ディア・ドクター』の主人公はむしろ村民と同じように
“人間的な弱さ”を併せ持ち、何かから逃げている“ニセモノ”だ。勿論、『赤ひげ』は
『赤ひげ』の良さがあるとして、この映画では、主人公が己の身の丈を知り、
己の弱さを自覚しているために、患者と同じ目線に立ってふれあいを大切する。
だから、己の価値観を押し付けたりはしないし、患者の意思を尊重する。
つまり、彼は、まず“医師”である前に“人”であり続けたのだ。肩書きだとか
医師の免許があったかどうかなんて関係ない、そこに“人の心”があったのだ、
そこに“人の愛”があったのだ。いくつ数字をこなしたかではなく、人に
何を与えたか、ってこと。映画の終盤、癌患者を母にもつ女性医師は刑事に問う、
「結局、彼(主人公)は、母をどのように死なせるつもりだったのかしら」。
その答えは、やがてラストシーンで明らかになる。再び患者の前に現れた主人公が、
注ぎ手渡すお茶の意味・・・、その“温かさ”こそ、その答えに違いない。


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『告白』、観ました。

2011-09-19 07:47:23 | 映画(か行)

出演: 松たか子, 岡田将生, 木村佳乃
監督: 中島哲也
原作: 湊かなえ

 『告白』、観ました。
ある中学校、雑然とした教室。終業式のホームルーム。1年B組、37人の
13歳。教壇に立つ担任・森口悠子が語りだす。「私の娘が死にました。
警察は事故死と判断しましたが、娘は事故で死んだのではありません。
このクラスの生徒に殺されたのです」一瞬、静寂に包まれる教室。物語は
「告白」から始まる‥‥。
 この映画の構造は、ちょっと変わってる。ある子供の事故死を背景に、
多人数の視点から角度を変え、その事件を“立体的”に描いた愛憎の
復讐劇だ。まず、そこで映画の肝となってくるのは、様々な人物の
異なった視点から事件を描きつつも、それぞれはそれぞれの“視野の
狭さ”から事件の全体像が見えていない。(いや、見ようとしない
といった方が正しいかも)いずれにせよ、共通するのは、《自分が
こんなツラい目にあうのは、他の誰かが悪い》。子を捨てた親のせい…、
先生がしっかりしていないからいけない…、悪い友達にそそのかされた…、
それぞれが我が身に降りかかる責任を転換し、一様に他の“スケープ
ゴート”を探すのだ。さらに、観ていてゾッとしたのは、「コイツは
悪いことしたのだから、罰を受けて当然だ」という歪んだ論理が蔓延し、
クラス全体がおぞましいイジメへと暴走していく点だ。いや、そもそも
この映画の中の世界はどこか狂っている。何か大切なものが欠落している。
仮にも年上の教師に対して、尊敬の欠片さえみせない生徒らの態度しかり、
熱血漢の新任教師は自分の理想を追い求めるばかりで、その脇で生徒の
気持ちは置き去りのまま。また、我が子の悪事を叱るどころか、逆に
擁護している母親の姿にも違和感を感じずにはいられない。ここには
学校や家庭や社会…、本来あるべきはずの“パワーバランス”ってやつが
滅茶苦茶だ。人間同士のコミュニケーションは崩壊し、個々が“てめえの
都合”だけを振りかざす。勿論、ヒロインの教師には同情する。親として、
これ以上の地獄はあるまい。オイラからみても、今日(こんにち)の
法は万人にとって平等ではない。しかし、だからといって、各々が各々の
論理で捻じ曲げて解釈したり、悪法だからの理由付けで黙殺すれば、
社会は社会でなくなってしまう。ひとつ言えることは、法律や厳罰によって
社会の安全が保たれているのではなく、“秩序”や“調和”の中で暮らす
“人々の信頼関係”がこの世界を作ってるってこと。人として…、
まず最初に従うべきは、法律や規則である以前に、自らの“良心”であり、
日常に当たり前に存在する“モラル”なのだ。ヒロインの教師がとった
復讐が正当だったか、不当だったのか、それはこの際あまり関係ない。
問題の論点はそこではない。それでは何時、何処で彼らは道を間違えたのか、
今一度、事故の以前にまで戻って考えてみよう。その時すでに、しかし、
確実にその“前兆”はあったのだ。



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