肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』、観ました。

2011-10-10 07:09:17 | 映画(や行)

監督:山崎貴 
出演:木村拓哉、黒木メイサ、柳葉敏郎、緒形直人、西田敏行、高島礼子、山崎努

 『SPACE BATTLESHIP ヤマト』、観ました。
西暦2199年、突如侵攻してきた謎の敵ガミラスによって、人類はその存亡の危機に
瀕していた。人類の大半は死滅し、生き残ったものも地下生活を送っていた。ある日、
地球へカプセルか落下してきた。それは惑星イスカンダルからの通信カプセルで、
そこに行けば、放射能浄化装置があるという。人類最後の希望を乗せて、最後の
宇宙戦艦“ヤマト”がイスカンダル目指して旅立つ……。
 遂に『宇宙戦艦ヤマト』の実写化ですか…。しかし、オイラの場合、その“遂に”の
意味は、「いよいよ待ちに待った」ではなく、「とうとうやっちまった」の方でした。
…というのは、アニメーション映画と実写映画では、映像を作る上でその立ち位置が
微妙に違います。アニメでは声優さんがいるものの、基本的に“絵”が主役です。
一方、実写では、出演する“俳優さんを前面に”押し出しながら、それに合わせて
映像を作っていくという作業になります。往年の“ヤマト”をご覧になった方なら
ご存知だと思いますが、船に乗っている人間はその大半の時間を座っています。
例えば、同じ宇宙を舞台にしたSFでも、人対人の立ち回りが用意されている
『スター・ウォーズ』とは全く違います。やはり、そう考えると“ヤマト”は実写化し辛い
アニメだと言わざるを得ません。作品中で、戦艦同士のバトルが少なく、やけに
あっさりイスカンダルに着いてしまい、むしろ、到着後のゲリラ戦にたっぷり
時間を割いてあるのは、その辺の兼ね合いもあると推測します。
 さて、アニメ版と今回の実写版を比べる上で、絶対に避けて通れない相違点が
二つ。“デスラーの存在”と“森雪のキャスティング”でしょう。まず、デスラーの
件については、往年のシリーズをリアルタイムで観ていオイラからすれば、やっぱり
チョット肩透かし。当時オイラの仲間内では、むしろ古代進よりデスラーの方が
人気が高かった部分もありました。敵でありながらもヤマト乗組員をリスペクトし、
常にフェアな戦いを挑んでいくデスラーの姿は、まさに“武士道”そのものでした。
言ってみれば、デスラーのいない『ヤマト』なんて、赤い彗星のシャアのいない
『ガンダム』みたいなものですな。
 次に、森雪役に黒木メイサを選んだ件です。これについては思いっきり賛否両論…、
ややもすれば批判的な意見の方が多いかもしれませんが、個人的には“アリ”かなと。
アニメ放送当時と今現在の時代の変化をみれば、オンナは強くなりましたッ(汗)。
オイラの経験からしても、これは間違いありません。今どき、アニメの森雪みたく
自分が一歩後ろに引いて男を立てる女性なんぞ、どこをどう見渡しても存在致しません。
映画の中のガミラスに遊星爆弾を落とされるまでもなく、すでにこの地球上から
皆絶滅しました。以上デス。

あ、ひとつ書き忘れました。
スティーヴン・タイラーのエンディング曲は楽曲的には完璧ですが、
これが日本映画であることを考えれば、聴いててどうもムズ痒い。
懐古趣味と言われるかもしれませんが
『ヤマト』のエンディングは、やはりあの曲……であって欲しかった。


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『善き人のためのソナタ』、観ました。

2008-01-27 06:42:07 | 映画(や行)





監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
出演:ウルリッヒ・ミューエ、セバスチャン・コッホ

 『善き人のためのソナタ』、観ました。
東西冷戦下の東ベルリン。国家保安省の局員ヴィースラーは、劇作家ドライマンと、
その恋人にして女優のクリスタが、反体制派であるという証拠を掴むよう命じられる。
上層部からも支持されているこの任務を成功させれば、出世は確実だった。国家に
忠誠を尽くすヴィースラーは、早速任務に就き、盗聴器を通して2人の監視を続ける
のだが‥‥。
 2007年度キネ旬の年間2位にランクされたとの知らせを聞き、早速レンタルして
きたわけだが、観ていて何と胸が切なくなる、何と息が苦しくなる。実際の限られた
空間に押し込められたものとは違う、“心の閉塞感”とでもいうのかな。社会主義
体制の管理下では、個々の権利よりも国家の利益の方が優先され、誰もが“見えざる
恐怖”に怯えて暮らしている。中でも、芸術家たちにとっては、“表現の自由”を
奪われることが自分の手足をもぎ取られたに等しく、いや、それ以上の、死にも勝る
苦しみとなって圧し掛かってくる。観ながらボクが怖くなったのは、奴らが直接
自らの手を下して人を抹殺するのではなく、“相手の権利”を奪い、その“精神への
圧力”を掛けることで、“破滅”へと追いやってしまうことだ。また、この映画の拘りは、
その、芸術家たちの対抗手段においても、一切の暴力は避け、僅かの流血さえ
描かれることはない。普段の抗争における銃と剣を、ここでは紙とタイプライターに
持ち替えて、彼らは文学(芸術)の中から立ち上がっていく。かつて、ドイツ支配下の
フランスで、マルセル・カルネが名作『天井桟敷の人々』を完成させたように…、
又同じく、チャップリンが幾多の妨害に合いながらも『独裁者』を発表したように…、
《芸術家としての誇り》を“武器”にして強大な権力へと立ち向かっていく“彼らの
魂”に、思わず胸が熱くなった(涙)。それは、どんなリアルな銃撃戦をみるよりも、
遥かに感動的だ。
 また、ここでは、もうひとつの、内なる戦いとして、国家保安省に属し、本来は
敵対する立場にありながら、あるきっかけから芸術家らのサポートに回っていく
“男の内面”が抑制された映像の中、スリリングに描かれていく。では、それまで
機械のように表情がなく、氷のように“冷たい彼”を、一体何がそうさせたのか…??、
それは、忘れかけていた“愛の苦しみ”か、何を持っても埋めることの出来ない
“心の空虚”か、愛しい女性(ひと)への切なる想いか‥‥、いや、こう考える
ことはできないか。マンションの壁を挟んで盗聴する“表情のない男”と、その
向こうで、互いに傷つけ合いながらも“愛の形を確かめう男女”は、そのまま現実
世界で“ベルリンの壁”に分けられた“東西ドイツの姿”ではなかったか。一方、
芸術家としての弱みに付け込まれ、密告の片棒を担がされるクリスタとて同じこと。
ドライマンは言った、「彼女は隠し場所を知っている。だが、それでも隠し通して
くれたなら、守護の天使だ」と。勿論、両者とも、我々が普段から想い描く“正義の
スーパーヒーロー”のそれはない。しかし、歴史の陰に隠された“名もなき多くの
英雄(そして犠牲者も)”がいたことを、この映画は強く語り掛けてくる。もしかしたら、
それは歴史書に記された大層な事実なんかよりも価値があり、重みのあること
かもしれない。






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『ユナイテッド93』、観ました。

2007-12-26 20:07:48 | 映画(や行)





監督:ポール・グリーングラス
出演:コーリイ・ジョンソン、デニー・ディロン、タラ・ヒューゴ、サイモン・ポーランド、デヴィッド・ラッシュ

 『ユナイテッド93』、観ました。
2001年9月11日。大勢の乗員・乗客を乗せたユナイテッド93便は、離陸後に
テロリストによってハイジャックされていることが判明する。やがて、その情報は
搭乗者のみならず、地上にいる彼らの家族や管制塔にも伝わった。耳を疑う
情報が流れ、想像を絶する恐怖に襲われながらも、機内の人々は一丸となって
ある決断を下す‥‥。
 ホントを言うと、知っていながら、長い間ずっとこの映画を避けてきた。何故なら、
それが優れた映画であればあるほど、9・11の悲劇があったその場所に、断じて
自分自身の身を置きたくないと思ったから。しかし、先日公開された(同じく
ポール・グリーングラス監督作品)『ボーン・アルティメイタム』の完成度を目の
あたりにして、これは避けては通れる映画じゃないと覚悟を決めた。そして、
観終わった今、予想通りの出来栄えに感心し、その一方で、予想を遥かに超える
“真実の痛み”に打ちのめされた。
 映画は、すべてに研ぎ澄まされたドキュメンタリータッチの映像と、ひとつ
ひとつの細かいショットを無駄なく繋ぎ合わせた編集が、まるでその場に居るかの
ような臨場感を醸し出す。また、映画の所要時間と、物語で実際に推移する
時間とが、ほぼ平行しながらリアルタイムで同時進行していくスピード感は、
この実話の物語に“一層の現実感”をもたらすことに成功している。それにしても、
フラッシュバック(回想シーン)もない、明確なる主人公は存在せず、名前はおろか、
それら人生に対して詳しい説明は一切成されていないのに、これほどまでに
感情を揺さぶられるのは何故か??、“テロリズム”とは…、“命の重さ”とは…、
いや、そういう理屈じゃなくて、もっと人間の根本にあって、我々が生きる上で
“一番守りたいもの”がそこに(透けて)見えるからこそ、ボクたちはこの映画に
感動する。では、人生において、人が一番大切にしているもの…、そして、
一番失いたくないものとは……??、その答えは“家族”だよ。そして、ボクは
“その絆が切れること”が一番怖い。映画終盤、ユナイテッド93の乗客たちが、
最後まで“生きる希望”を失わなかったのは、ありきたりの正義とか、国を
守るための使命感じゃない。勿論、自分の命が惜しいとか、死にゆくことへの
恐怖とか、そういう個人的な問題でもないはずだ。生きて地上に生還し、もう一度
家族に会って抱きしめたい。ただ、それだけの願い‥‥、その衝動が、彼らを
強く突き動かしたように思えて仕方ない。しかし、それでも運命は変えられず、
制御を失い落下していく機内の方を見渡せば、対照的に描かれる“2つの構図”に
言葉を失う。そこでは、自らに課せられた使命を果たさんと、必死に操縦かんを
死守するテロリストたちが“神への祈り”を繰り返す。一方、絶望的な現実と、
いよいよ目前に迫った死の運命を受け入れて、最後に遣(や)り残したことを
考える乗客たち――彼らは携帯電話を握り締め、地上で待つ“大切な人への
愛の言葉”を発信する。愛してる、ありがとう、そしてまた、愛してる、と。
今こそ伝えたい想い…、感謝の気持ち…、観ながらボクは、その溢れ出す
感情の重さに押し潰されそうになった(涙)。そしてボクには、奴ら(テロリスト)が
神に捧げる何千何万の美辞麗句より、力を持たない乗客が受話器の向こうの
家族に送る「I love YOU」の3語の方がより神聖なもののように感じられ、今は何と
痛く心に突き刺さる(涙)。もしも、奴らの信じる神が存在し、その神がまだ
“聖戦”を望むのだとしたら、そんな神なら要らない。喜んで奴らにくれてやる。
この映画を観て、ハッキリと分かったことがある。今、ボクたちが最も信じるべきは
神じゃない、“愛”だよ。愛する人を守りたいという深い気持ちだ。争いのない
世界――それはきっとその向こうに必ずある。



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『ゆれる』、観ました。

2007-03-09 20:10:54 | 映画(や行)






監督:西川美和
出演:オダギリジョー, 香川照之

 『ゆれる』、観ました。
東京で写真家として成功した猛は母の一周忌で久しぶりに帰郷し、実家に残り
父親と暮らしている兄の稔、幼なじみの智恵子との3人で近くの渓谷に向かう。
懐かしい場所にはしゃぐ稔。稔のいない所で、猛と一緒に東京へ行くと言い出す
智恵子。だが渓谷にかかった吊り橋から流れの激しい渓流へ、智恵子が落下して
しまう。その時そばにいたのは、稔ひとりだった‥‥。
 これまでにも何人かの女性監督はいたし、その中で「傑作」と呼ばれる映画も
いくつかあった。が、そのほとんどが“女性の気持ちを代弁するもの”であったり、
あるいは、女性特有の感性(ポップさとか、アンニュイさ)を前面に押し出した、
およそ“正統派”とは言い難いものだったと思うんだ。だけど、この西川美和って
監督さんには驚いた。ストイックにテーマを見据え、正面から描き切るスタイルは
映画の王道を往く。性格から生き方まで、全てにおいて正反対にある兄弟の絆を
軸に、息苦しいほどの緊張感が映画全体を支配して、その重厚な人間ドラマに
圧倒される。中でも、凄みすら感じる脚本は、近年の日本映画では屈指の出来ばえ
ではあるまいか。抑制され、平静を装う感情とは対照的に、良心の呵責(かしゃく)と
自責の念の狭間で“ゆれる”兄と弟…。鋭く研ぎ澄まされた台詞が、互いの嘘を
見抜き、本性を暴く。かばえばかばうほど、相手を傷付け、自身がまたそれ以上に
傷付いていく。「言葉」とはこれほどまでに痛く、これほどまでに容赦なく、人を殺す
ものだと、ボクは今日のこのときをもって初めて知った。
 さて、感心するのは、それ(高度な文学表現)だけじゃない、緻密に計算され
尽くした“物語構成”、それから”構図の素晴らしさ”も見逃せない。例えば、映画
序盤、主人公一行の乗せた車が渓谷に向かう最中…、楽しいはずの車内は、
こともあろうに“暗いトンネル”の場面で始まる。それは観る側に、彼らの近い
将来に“不吉”が待ち受けていることを予感させ、3人の関係が表向きとは違う、
複雑な関係であることを象徴する。一方、それ以外でも本作では“対比の構図”が
数多く見受けられるのが特徴的だ。トンネルを抜けた一行が渓谷に到着すると、
兄ははしゃぎ、弟とかつての恋人は神妙な面持ちで会話を始める。その、2人の
“重たい会話”に、遠くではしゃぐ兄の“明るい声”をかぶせることで、その“重さ”が
一層強調される“演出の妙”。更に、映画終盤、ファミレスに一人取り残された
主人公の横を見れば、さっきまで賑やかに騒いでいた子供が忘れた“赤い風船”が
浮かんでいる。このあたりも“彼の孤独”を強調させる“対比の構図”が効果的に
使われている。いや、そもそも、よく考えてみれば、この映画自体が、自由だが
自堕落な弟と、実直だが狭い社会に生きる兄を比べた“対比の物語”では
あるまいか。吊り橋を正面に見据え、谷を隔たり、左右に分かれた地は“兄の岸”と
“弟の岸”。その両岸に架かる、今にも切れて落ちそうな細い吊り橋は“兄弟の絆”
だろう。その橋を渡り、先へ先へと進んでしまった弟を、かつての恋人が追っていく。
それを必死に引き止めようとする“兄の叫び”が、観ているボクの胸に突き刺さる。
兄にとっても…、かつての恋人にとっても…、すでに弟は“声も届かぬほど”
遠い場所に行ってしまったのに。その中で、弟だけは知っていたのかもしれない。
もう戻れない、あの頃のようには…。それほどまでに醜く薄汚れてしまった“自分
自身の正体”に。



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『雪に願うこと』、観ました。

2006-12-08 19:33:50 | 映画(や行)

 『雪に願うこと』、観ました。
経営していた会社を倒産させ、故郷の北海道・帯広に戻った矢崎学。“ばんえい
競馬”の厩舎を運営する兄・威夫のもとで寝起きをするようになった学は、そこで
自分と同じようにお払い箱になる寸前の馬と出会う‥‥。
 ボクシングの試合で「ホームタウンディシジョン(地元びいき)」という
言葉がある。しかし、少なくとも、この作品が今年の東京国際映画祭で4冠を
達成したのは、そういったものではなかった筈。純粋にこの作品の素晴らしさが
評価されての結果だったに違いない。まず、主要キャストは勿論の事、脇役の
一人一人にまでスポットを当てた“丁寧な人間描写”。一方、朝の空気に
突き刺さる白い息を吐き、急な坂道をもがきながら登っていく巨大馬の躍動感。
例えば、同じ競走馬を扱った近年の『シービスケット』と比べてみても
映像における“線の太さ”は明らかだ。実は、これまでオイラはサラブレッドの
細くひ弱な脚を見るたびに、悲しくなってしまうのだが、ここ(この映画)に
登場する馬場(ばんば)の馬に、そんなものは微塵もない。そのゴツゴツした
太い脚に“生命の息吹”が宿り、その力強い足取りが“本来の馬があるべき
姿”を教えてくれる。それは荒々しく、それでいて、この上なく神々しい。
 さて、物語を一言で言えば、人生に挫折して、敗北感を味わう人々の“敗者
復活戦”だ。“人生の再生”への道は辛くけわしく、どこに行けば良いのか
分からない。「過去」という“重たい荷物”を引きずりながら、息を切らして
“人生の斜面”を上っていく…、まるで馬場の馬の姿そのままに。思うに、
人生(の目標)なんて…、いつかの、湖の下に“沈んだ村の橋”を同じだよ。
“人生の浮き沈み”の中で、目の前に現れたり消えたりする。しかし、
そのダウンの時、他人(ひと)は力を貸してくれず、“自分自身の力”で
新しい未来を切り開いていかなければならないんだね。例え、それがどんなに
惨めで、どんなに格好悪かったとしても…。そして、きっと多分、その時初めて、
周りの人は貴方を認め、貴方を優しく迎え入れてくれる。「雪に願うこと」…、
そのタイトルの意味が分かるのは、やっとラストシーンになってから。彼らは
それぞれの道を選び、再びそれぞれの人生に進んでいく…、互いの健闘を誓った、
その“願い”を胸に秘めながら。

 


『歓びを歌にのせて』、観ました。

2006-07-10 21:17:08 | 映画(や行)

歓びを歌にのせて ◆20%OFF!

 『歓びを歌にのせて』、観ました。
天才指揮者として世界的名声を得たダニエルは、過酷な公演スケジュールと
プレッシャーの中、病に倒れ第一線を退く。ぼろぼろの心臓と深い孤独を抱えて、
彼は故郷の小さな村に戻り、音楽にはもう関わらないと決めていたが、ある日、
地元の聖歌隊の指導を依頼される…。
 タイトルからして一目で分かる“感動作”、普段からこの手の映画が苦手な
オイラとしては、大きな覚悟を決めて観たのであるが(笑)、過剰なまでの
“良心”と、出来過ぎ感ある“美談”の連続攻撃、やっぱりどうもこそばゆい。
斜(はす)に構えて見てしまう、こんなオイラが悪いのか…、斜に構えて
見せてしまう、そんな映画が悪いのか…(笑)、とりあえず、映画は泣かせ所
だけはふんだんに用意されていると思うので、アナタの好みのよって観るか
観ないかは決めたら良い。まぁ、二度三度と繰り返して観るような“深み”は
ないけれど、演出は基本にとても“忠実”で、“セオリー通り”の無難な作り。
例えば、映画序盤、(失意の)主人公が初めてレナに会う場面で、彼女が
“天使の看板”の前から現れるのは、後に彼女が主人公にとって“希望の存在”に
なることを予感させる。そして、この映画の良い所は、(主人公たちが歌う)
“音楽の価値観”を、コンクールの勝敗や優劣によって決めるのではなく、
あくまでも、自分たちの音楽が聴く人を感動させたかどうか…、強いては、
音楽の素晴らしさとその可能性について、拘って描かれている点だ。もちろん、
『スウィングガールズ』的な痛快エンディングも悪くはないが、ここでは
いつまでも鳴り止まない拍手のように続いていく、この余韻が残る結末が
ピッタリだ。
 一方、観ながらどうにも気になってしまったのは、(映画の)時間内に
聖歌隊のメンバー、ほとんど全員を描こうとするあまりに、未消化のまま
完結していないキャラクターが目立つ。いつもメンバー内で孤立して、途中で
除隊してしまったオールドミスとか…、コンサートの打ち上げで、愛を告白した
同級生のお年寄りとか…。うーん、思うに、この映画で本当に描きたかったのは、
主人公とレナの“純愛”、夫の暴力に怯えて“新しい一歩”を踏み出せずにいた
妻ガブリエラの決断、“信仰(神)”に縛られ、がんじがらめになった神父と
その妻の関係、、その三組だけに絞っても良かったのでは??、その方が物語も
ごちゃごちゃせずに、スマートな仕上がりになったと、ボクは思うのだけど。

 


『山猫 イタリア語・完全復元版』、観ました。

2006-05-10 21:41:07 | 映画(や行)

山猫【イタリア語・完全版】 ◆20%OFF!

 『山猫 イタリア語・完全復元版』、観ました。
1860年春、統一戦争下のイタリア。腐敗した貴族支配からの解放を目指す統一
運動の波が、シチリア島にも押し寄せる。そのシチリアを長きに渡って統治
してきた名門貴族サリーナ公爵は、自らの終焉を感じながらもこれまで通り
優雅に振舞う。一方、彼が目をかけていた甥のタンクレディは革命軍に参加し、
機敏に立ち回る。ある日、片目を負傷し休暇の出たタンクレディは、やがて
新興ブルジョワジーの娘アンジェリカと出会い、恋に落ちる…。
 かつて20代の頃に観て驚愕し、ボクが“ルキノ・ヴィスコンティ”に心酔する
きっかけになった作品。滲み出る品格と格調の高さ、華やかにして上品な色使い、
それまでボクは観たこともない映像美に魅せられた。中でも、鮮やかに彩られた
ドレスの数々と室内装飾の美しさは、女性ならずとも目を奪われること必至。
そんな溢れ出る“美の洪水”に、ボクはただひたすらに酔いしれる。更には、
焦らしに焦らされ、ようやく現れたクラウディア・カルディナーレの“悪魔的な
美しさ”、、近くに咲いた花さえも霞んでしまうそうな“輝き”を放っている。
言わば、これはルキノ・ヴィスコンティが僅かの妥協も許さず、頑固なまでに
拘り抜いた“自身の美学の真髄”ともいえる一本、、やはり、この作品は
“完璧”を求めるからこそ、(163分の『英語版』でなく、)187分の『イタリア語・
完全復元版』を観て欲しい。
 さて、映画は上にも書いた通り、「華麗」にして「優雅」、この世の贅(ぜい)を
すべて集めたような「絢爛豪華」、瞬く間に“夢の時間”が過ぎていく。しかし、
一方で、ひとつの時代の終わりを告げる“哀愁感”が漂う。不幸にも新旧ふたつの
時代の狭間に生き、去りゆく者の哀しみ‥‥、押し寄せる新しい時代の波に
抗(あらが)うこともせず、ただ来たるべき“終焉の時”を見届けることが、
主人公が貴族として“最後に残された誇り”だった(涙)。そして、今さらもう
何も言うことはないだろう、その去りゆく時代を締めくくるように開かれる
大舞踏会のシーンは、輝ける過去の歴史の中で“退廃してしまった貴族社会”を
象徴する。“貧困”などおよそ無縁の別世界にいるような宴(うたげ)の中で、
騒ぎ、踊り狂う人々‥‥、ひとり全てを悟った主人公は何を思うのか。例えば、
それは狩りで討たれて死んでいく兎を、優しく撫でさすった“あの時”ように…、
死にゆく者への“深い憐れみの目差し”だったのかもしれない。いや、もはや
彼には華麗に死ぬことさえ許されない。老兵は死なず、ただ消えゆくのみ‥‥
すでに彼は歳を取り過ぎたのだ。ラストシーン、主人公は目前に迫った“落日の
時”を確信し、ひとり会場を後にする。その寂しい後姿は“忘却の彼方”へ去って
いくようだった。

 


『世にも怪奇な物語』、観ました。

2006-02-18 20:20:05 | 映画(や行)

世にも怪奇な物語 ◆20%OFF!

 『世にも怪奇な物語』、観ました。
エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を元に、フランスとイタリアを代表する
3大監督が競作したオムニバスホラー。ロジェ・ヴァディム監督『黒馬の
哭く館』、ルイ・マル監督『影を殺した男』、フェデリコ・フェリーニ監督
『悪魔の首飾り』の全3作品を収録。
 さすがエドガー・アラン・ポーの原作だけあって、単に怖がらせるとか、
単にハラハラさせるだけで終わらせない…、要所要所で“人間の本質”が
見え隠れする、一歩進んだ怪奇オムニバスだ。
 一話は、すべてを支配できると自惚れていたブルジョアの女王が、ある時
出会った孤高の王子に惹かれていくというお話。テーマを象徴するのは、
森に一人迷い込み、あやまって動物用のワナに足を捕られてしまった女王が、
偶然通りかかった男に助けてもらう場面‥‥つまり、それが意味するものは、
権力と財産とエゴでがんじがらめに縛られた王女を、一人の男が“自由”を
与え、今とは違う“別の生き方”を教える場面ではなかろうか。しかし、
突然現れた“大きな黒い馬”によって、その後の女王の運命が大きく変わって
いくのは、何とも皮肉で恐ろしい結末だ。
 二話は、善人とは言えない主人公が、その人生において悪事を働くたびに、
分身のような同姓同名の男が登場し、主人公の邪魔をするというお話。
思うに、人は誰しも「善」と「悪」との二面性を持ち、その対立する両者が
“微妙なバランス”の上で成り立っている。もしも、その片方が死ねば、
もう片方も死ぬ‥‥。人間とは、きっとそういうものに違いない。
 三話は、一言で「フェリーニらしい」と言えばそれまでだが、異国の地で
男が見る“狂気の世界”、少女の姿を借りた“悪魔の描写”など…、幻想的で
オカルティックな映像にただただ圧倒される。恐らく、このエピソードで
フェリーニは、故意に観る者を混乱させ、我らを主人公と同じ“悪夢”の世界に
引きずり込もうと狙っている。“観て考える”というよりも、“観たままに
体感する”映画なんだろう。
 映画を通しての感想は、三者三様にそれぞれ面白かったが、物語的には
一話の『黒馬の哭く館』、映像的には三話の『悪魔の首飾り』が気に入った。
あくまでもオイラの私見だが、順位的には‥‥三話 > 一話 > 二話かな。

 


『妖怪大戦争(2005)』、観ました。

2006-02-12 21:51:27 | 映画(や行)





監督:三池崇史
出演:神木隆之介, 宮迫博之

 『妖怪大戦争』、観ました。
砂かけばばあに小豆洗い、一反木綿に塗り壁、油すましにぬらりひょん、河童、
雪女、一つ目小僧…。泣き虫でいじめられっ子の少年タダシが、ひょんなことから
世界を守る正義の味方「麒麟送子」に。日本全国に住む妖怪たちと力を合わせ、
魔人・加藤保憲率いる悪霊軍団に戦いを挑んでいく……。
 こう見えてもオイラは、“お馬鹿映画”大スキ、“B級映画”大スキ。 だから、
この映画を観たのだけど、チョット“おふざけ”が過ぎたかな。ぶっちゃけ、
オールスターの“お笑いコント”を2時間見せられたという印象で、オイラは
それほど面白いとは感じなかった。むしろ、「映画」の概念に捕らわれず、
テレビの“バラエティー感覚”で観た方が楽しめそう。‥‥と言うのは、ここに
登場する豪華キャストのほとんど全てが、吉本のお笑いタレントだったり…、
有名大物ミュージシャンだったり………、まぁ、確かに「大人の遊び心」は
「遊び心」として存分にやれば良いと思うんだけど、そのお笑いタレントに
“コミカル”を求めちゃうのは、もう「映画の面白さ」とは随分かけ離れている
ように思うんだ。やっぱり、ちゃんとした“プロの役者さん”を使って、脚本なり、
演出なりで、観る側を楽しませるべきじゃないのかな。だって、今作で
僅かに“伏線”と呼べるのは、“体に良い小豆(??)”くらいで、それすら
よく考えれば、かなり強引な設定で、単に呆気に取られただけもんね(笑)。
 それから、ダメ出しついでにもう一つだけ…。映画には、ハムスターもどきの
妖怪「すねこすり」が登場するんだけど、しかしある時、悪の軍団に捕らえられ、
リンチにかけられる場面があるのだよ。同じように“小動物”のウサギを3羽
飼ってるオイラとしては、それが作り物だと分かっちゃいても、観るのが辛い。
痛いのだ。しかも、そのまま電子レンジに入れてスイッチオン!!、「生きて
苦しめ~、ガハハハッ」は、あまりにブラック過ぎる。うーん、笑えないなぁ。


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『許されざる者(イーストウッド版)』、観ました。

2005-09-29 00:20:52 | 映画(や行)

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 『許されざる者(イーストウッド版)』、観ました。
荒事からは足を洗っていたウィリアム・マニーは、子供と生活のため
今再び賞金稼ぎをしようと銃を握り、昔の相棒ネッドと共に町に向かう。
しかし、その頃、町の保安官ビルは疎ましい賞金稼ぎたちを袋叩きに
しているところだった。やがてビルの暴力が黒人であるネッドにも及んだ……。
 10年前に観たときは、特にスゴい映画とは思わなかった。しかし、
あれから10年経ってみて…、ボクもそれなりの人生経験を積んできて…、
今改めて観直せば、この映画のスゴさを実感する。
 まず、この映画を観て驚かされるのがひとつ。それは、自身の
ルーツとも言うべき西部劇を、ここでイーストウッドは自ら否定して
いるのだよ。つまり、普段ボクらが「西部劇」と聞いて思うところの
血沸き立つような決闘シーンはここにはなく、むしろ“人を殺すことの
重さ”を描いているようにさえ思えてくる。例えば、ライフルの引き金を
引こうとした瞬間に、その罪の重さに怖くなったり、丸腰の相手や
不意打ちを食らわせるような殺人もちらほら。イーストウッドは、
なにも西部劇の醍醐味は、決闘シーンばかりじゃないと言わんばかりに、
自分が老いたからこそ描ける“大人の西部劇”を作ってみせた。
 次に、イーストウッドはこれまでの作品群にも、しばし“善悪の
逆転”を描いてきた。今作では、バッチを付けた保安官でさえ、
行き過ぎた正義の為に“暴力的な差別主義者”となることがある。
イギリス紳士を気取った男でさえ、屈辱と暴力によってそのメッキを
剥がせば“只の野蛮人”になることがある。逆に、顔の醜い娼婦に
“美しい心”が‥‥、残忍な人殺しと言われている男に、弱者を
いたわる“優しい心”を持つことだってあると描いている。結局、
ここでイーストウッドの言わんとしていることは、勝手な思い込みや
表面的な物事だけで決め付けるのではなく、“その本質を見極め
なくちゃいけない”ってこと。そして、その判断を“銃の早撃ち”に
引用しながら、大切なのは“スピード”ではなく、“正確さ”なんだと
言ってのけるのも彼らしい。加えて、話を誇張して書き続ける物書きの
存在も、このテーマを語る上で欠かすことの出来ない重要なファクターだ。
 結局、死んだ妻の母親は、どうして自分の娘が残忍な人殺しを
愛したのか分からなかった。しかし、この映画を観た人ならば、きっと
その答えは分かる。そう、彼女はその“本質を見極める目”があったのだ。