肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『HERO~英雄~』、観ました。

2006-01-29 19:40:40 | 映画(は行)

HERO スペシャル・エディション ◆20%OFF!

 『HERO~英雄~』、観ました。
秦王のもとに、王を狙った刺客を3人殺したという“無名”という男が現れた。
その功績を讃え、特別に謁見を許された彼は、刺客を殺した経緯を王に
語り始める。しかし、それは多くの謎を含み、話は二転三転していく‥‥。
 小品ながらも常に“心の通った作品”を作り続けるチャン・イーモウ。その彼が
何故今になって『グリーン・デスティニー』もどきのワイヤー・アクションを
撮ろうとしたのか??、正直、観る前のボクには解らなかった。しかし、今、
この作品を観終わったボクには解かる。今だからこそ『HERO』なのだと‥。
ここには今だからこそ伝えたい、今でしか伝えられない。チャン・イーモウの
メッセージが隠されている。
 映画は、黒澤明の『羅生門』を彷彿させる複数の証言とフラッシュバックから
構成され、それぞれのパートをそれぞれの色彩で表現する。“赤”から“青”へ、
そして“緑”へ‥、様々に変化する原色を基調とした様式美に魅せられつつ、
そこに描かれる決闘シーンに血生臭さは感じない、ただ溢れ出す“美の洪水”に
見とれるばかり。しかし、この映画でボクが最も感動したのは“そんな表面上の
美しさ”ばかりじゃなく、物語終盤になって感じ取れる監督チャン・イーモウの
“人間としての志(こころざし)の高さ”だった。ここに描かれる大国・秦は
“巨大な武力”によって他国を制圧し、莫大な富を得るが、それゆえに秦王は
常に刺客の暗殺に怯えながら生きている。まさにその秦王の姿こそ、“現在の
アメリカ”にダブって見える。そしてチャン・イーモウはこの秦王に限らず、
アメリカの王に限らず、“権力在る者”に対しての一つの進むべき道を示した。
ラストシーン、“最後の刺客”たる主人公は、戦争を始めた張本人である秦王を
殺さなかった。何故なら、例え多くの人命を奪った秦王に「非」があったと
しても、天下を統一し、その後に平和をもたらす事が出来るのも他の誰でもない、
秦王だけなのだということ。権力者であるがゆえに一度道を間違えば、多くの
犠牲を生む。しかし、権力者であるがゆえに再び道を正せば、多くの命が
救われる。これはチャン・イーモウが遠く中国からアメリカに向けて放った
“一本の矢”かもしれぬ。きっと彼は想って作ったんだろう‥‥、この映画を
一人でも多くのアメリカ人に観てもらいたい、と。

 


『フォーン・ブース』、観ました。

2006-01-27 21:03:10 | 映画(は行)

フォーン・ブース(BEST HITS 50) ◆20%OFF!

 『フォーン・ブース』、観ました。
口先だけで世間を渡ってきたやり手のパブリシスト“スチュ”は、コール音が
鳴る電話ボックスの受話器を何気なく取ってしまう。「電話を切ったら
お前の命はない」と告げる相手、それは苛酷なゲームの始まりだった‥‥。
 近年のハリウッドにしては珍しい、制作費を抑えた“小品”の密室サスペンス。
90分にも満たない上映時間にスパイスの効いたストーリー展開が小気味良い。
密室に閉じ込められた男の不安心理を描いている点で、ボクは『死刑台の
エレベーター』を連想してしまいましたが、両者はいくつかの部分で全く
“対照的”。例えば『死刑台の~』が“暗黒”の中で展開される密室“無言劇”
だったのに対し、今作『フォーン・ブース』は“ガラス張り”の密室で自分を
曝け出しながら、“喋り続けなければならぬ男”の緊張がリアリスティックに
表現されている。言わば、「電話」という日常必需品を使って、より現代的な
アレンジが施されているのかもしれません。
 ズバリ、映画の出来は悪くない。個人的にもまずまずの満足感を得ることが
出来ました。おもちゃのロボット、ピストル、指輪など小道具の使い方が
効果的。更にはおデブちゃんのピザ屋さん、オシャベリな娼婦軍団(?)と
小心者のヒモ男という脇役の人物設定も面白かった。ただ、ひとつ残念なのは
作品の主題となる部分が見えづらいこと‥。恐らくは相手から“顔の表情を
読まれずに”容易な会話ができる「電話」という機具を、嘘や高価な服で
着飾った主人公の“薄っぺらい内面”にダブらせてあるのでしょうが、説得力が
今一つ。そのあたりの問題が上手くクリアされていれば面白さだけじゃない、
加えて“深みのある作品”になっていたのにね。惜しい。

 


『博士の愛した数式』、観ました。

2006-01-23 20:49:41 | 映画(は行)






■原作 小川洋子
■監督 小泉堯史
■出演 寺尾聰/深津絵里/齋藤隆成/吉岡秀隆/浅丘ルリ子

 『博士の愛した数式』、映画館で観ました。
シングルマザーの家政婦・杏子が、事故で記憶が80分しかもたない数学博士の
もとへ派遣される。彼の純情で温かな心に触れた杏子は、「√(ルート)」と
呼ばれた10歳の息子と共に、少しずつ博士と心を通わせていく……。
 観終わって、優しい心に満たされる…、温かい心に包まれる…。そんな素敵な
作品だった。この映画を評価するのに、言葉はいらない。いや、言葉に出来ない。
まっさらな気持ちで観て、ありのままを“心”で感じれば良い。今、ボクたちの
周りに山積(さんせき)している問題は、虐待も…、教育も…、争いも…、
実は、我々が知らず知らずのうちに“自分自身”を見失い、何処かに“善意”を
置き去りにしてしまったからではないのだろうか‥‥。例えば、僅か80分の
時間の幅を行ったり来たり…、幾度その記憶のすべてが消え去ろうとも、決して
“豊かな心”だけは忘れなかった博士のように…、人が本当に“人間らしく
生きる”とは??、そのために“何が必要”なのか??、この映画は無言のうちに
ボクたちへ、優しく語り掛けているようだった‥‥。
 さて、今作監督は、黒澤明の助監督を経て、これが3作品目となる小泉堯史。
観終わったボクが感じたことは、やはり小泉作品の根幹にしっかりと脈打って
いるのは、(師匠である)“黒澤明”なのだということ。勿論、それは“技術”を
伝授されただとか、“スタイル”を真似ただとか、そういった類のものではなく、
もっと内面的な“人の心”という部分の影響だ。例えば、黒澤明遺作となる
『まあだだよ』では、教師と生徒の交流を描きつつも、教師が生徒に学問を
教える場面は存在しない。そこでの教師は生徒にとって、常に“心の師匠”で
あり続けるのだ。そして、今作『博士の愛した数式』でも、主人公の博士が
“ルート”少年に…、また教師となったルートがその生徒に対して…、授業で
数学の数式を教えるというよりも、むしろ、数学の魅力や数式の美しさについて
語っている。[教師]とは、一人の“教育者”である前に、一人の“人格者”で
なければならない。思うに、今の教育で一番欠如しているものは、この部分では
ないのかな。この映画で、博士は少年に“1の定義”にたっぷり時間を割いて
説明する。“1”を知らぬ者が“10”を知ることは出来ない。そして、100も、
1000も、100000000も、その始まりは常に“1”だということを、ボクたちは
忘れちゃいけないんだね。ラストシーン、授業を終えたルート教師に何処からか
「先生、ありがとう」の声が聞こえてくる。それは、たった“一人の声”だった。
しかし、数の大小ではない、スピードでもない。一人でも“その心を動かすこと”、、
それが“教育”なんだとボクは思う。


楽天市場ランキング・売れ筋DVD邦画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVD洋画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアジア映画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアニメトップ30

Amazon.co.jp 外国映画トップ100
Amazon.co.jp 日本映画トップ100
Amazon.co.jp アニメトップ100

『ラスト・シューティスト』、観ました。

2006-01-21 20:25:14 | 映画(ら・わ行)

ラスト・シューティスト

 『ラスト・シューティスト』、観ました。
20世紀初頭のネバダ州。老ガンマンのブックスは医師に末期ガンだと宣告され、
この地で死ぬことを覚悟する。医師の紹介で未亡人宅に身を寄せたブックスは
人生の最後を静かに過ごそうと考えていた‥‥。
 今、偶然にもボクの身近な存在で“末期ガン”と闘っている人がいる。
その人はボクが子供の時から可愛がってくれ、愛してくれた。もしその人と
出会わなかったら、ボクは今の自分とは全く違う人格になっていただろう。
日々痩せ細っていく彼の姿を見るのが辛い。悲しみのナイフで心が抉(えぐ)ら
れるようだ(涙)。しかし、やがて来る別れの現実から逃げ出してはならぬと
この映画を観る。ガンに冒されゆく主人公の姿がボクの恩人にダブって見えた‥。
 映画は“男のロマンチズム”に溢れている。ジョン・ウェインの“遺作”にして、
誇り高き男の死に様が大スターだった彼の最期に相応しい。途中何度も胸に
グッと迫る場面があり、思わずボクは涙ぐむ。中でも主人公が女主人を誘って
外出し、ふと人生について語る場面には心底感動してしまった。「……苦労も
あったが、人生を大いに楽しんだ」と主人公。そこには、これから死へと
向かう憐れな男の姿はなく、威風堂々と《素晴らしい人生を生きた満足感》が
描かれていた。更には、最後の朝に彼を見送る女主人の涙、決闘に向かう
途中で出会った少女への言葉、死ぬ間際の彼の安らかな笑顔など、映画は
数々の名場面に彩られつつも、これまでの彼の“ポジティブな生き様”が
見えてくる。この映画によってボクは言葉に言えぬ「感動」と「力」をもらった。
そして今、再びボクは“前”を見る‥‥

 


『プライドと偏見』、観ました。

2006-01-18 19:51:30 | 映画(は行)

プライドと偏見

 『プライドと偏見』、映画館で観ました。
18世紀末イギリスの上流社会。田舎町に住むベネット家の5人の娘。母親が
娘たちを資産家と結婚させようと躍起になる中、近所の豪邸に大金持ちの
独身男性ビングリーが越してきた。長女ジェーンがビングリーと恋仲になるが、
次女エリザベス(キーラ・ナイトレイ)は彼の親友ダーシーの高慢な態度に
反感を抱いていく……。 
 格調高いが、気取っていない…。軽快だけど、味わい深い…。オイラの
中では『恋のおちたシェイクスピア』以来、久方振りに心沸き立つようなラブ
ロマンスを堪能した。もっとも、物語自体は『恋におちた~』ほどの斬新さも
ユニークさもなく、むしろ王道を往く“正統派ラブストーリー”ではあるんだ
けどサ。やはり、『恋におちた~』同様、ここでは女性が不遇とされていた
古き“悪しき”時代、、自分の主張も持ち、自我を忘れないヒロインの強き
生きざまが、瑞々しくも魅力的に描かれている。しかし、その一方で、手も
握らず、キスも交わさず、募る想いを口にすることも出来ないままに展開される
ピュアネスな愛の“息苦しさ”…。観ているオイラも、ジリジリするような
焦燥感を味わったよ。だって、力ずくで抱きしめて、唇奪って、速攻ベッド
インじゃあ、「趣(おもむき)」なんて全く感じないもんね(笑)。
 さて‥‥、だとしたら、オイラがこの映画で、他にどんな「趣」を感じた
のかと言えば、一つに、さりげない(いや、多少、これ見よがしだったかも
しれないが(笑))舞踏会シーンでの長回しやら…、二つに、あえて全てを
描かずに、意味ある“余白”を残している文学的な発想だ。例えば、それは
映画終盤、ヒロインの姉がプロポーズを受けるシーンにて、意中の男性から
発せられる“その言葉”を故意に省略(カット)して、直後の姉の表情と
台詞から観る側に“想像”を促している。オイラは、こういうテクニックこそが
“映画の面白さ”であり、又“醍醐味”でもあると思うんだ。そして、ラスト
シーンは、粋な台詞にして心憎いエンディング‥‥、だから、嬉しさを
隠し切れずに、(多分?)ニヤけた顔で席を立ったのだけど、そんなオイラを
出口付近の掃除係のオッちゃんが怪訝そうに眺めていたのは、今にして
思えばチョッピリ恥かしい(笑)。

 


哀悼~“シェリー・ウィンタース”三本締め

2006-01-17 20:21:55 | ★独断と偏見的シネマ・セレクション3

独断と偏見的シネマ・セレクション3 (俳優編)“シェリー・ウィンタース”

1、『ポセイドン・アドベンチャー』
2、『陽のあたる場所』
3、『ロリータ』

昨日のこと、何の気なしに朝刊を眺めていたら、
その片隅にある小さな記事に目が止まった‥‥
《シェリー・ウィンタース死去》のニュースだ。
彼女の簡単な略歴と、死亡原因を載せただけの
短い記事の内容からしても、
大した取り扱いがされてないことが分かる。
勿論、彼女は主役を張れるような女優ではない…、
むしろ、脇に回って、
物語にアクセントを付ける側の“助演女優”だ。
しかし、スポットライトを浴び、
常に華やかさに中にいる主演女優よりも、
その陰に隠れてなお、ひときわの存在感をみせることが、
如何に難しいか‥‥
そういう意味でシェリー・ウィンタースは、
“本当のプロフェッショナル”だったと思う。

1は、当時中学生だったボクの心にしっかりと
“シェリー・ウィンタース”の名を刻み込んだ作品。
この作品でボクは彼女から、夫への深い「愛情」、
家族への変わらぬ「優しさ」、
そして、人としての「強さ」と「勇気」を教えられた。

ポセイドン・アドベンチャー ◆20%OFF!

陽のあたる場所(期間限定) ◆20%OFF!

ロリータ

 


『THE有頂天ホテル』、観ました。

2006-01-15 19:58:21 | 映画(さ行)
Ucyouten
監督:三谷幸喜
出演:役所広司/松たか子/佐藤浩市/香取慎吾/篠原涼子/戸田恵子

 『THE有頂天ホテル』、映画館で観ました。
大晦日を迎えた「ホテルアバンティ」では、ホテルの威信がかかった年越し
カウントダウンパーティーの準備で大忙し。そんな中でも副支配人の新堂平吉は、
様々な問題に機転を利かせて対応するのだが……。
 いわゆる“『グランドホテル』形式”の群像劇。当の『グランドホテル』は
ボクが10代の頃に一度観ようとして‥‥、しかし、観れずに途中でリタイヤし、
今日に至るわけですが(笑)、勿論、今作『THE有頂天ホテル』は、そんな
『グランドホテル』なんぞ知らなくても、大いに笑い、大いに楽しめるエンター
テイメントな仕上がり。ここで断然目に付くには、“長回し”を多用した撮影の
素晴らしさと、それゆえに実感する“豪華セットの広大さ”…。加えて、巧みに
配置された人物設定と、伏線に次ぐ伏線の数々…、一見、タダのドタバタ映画
のようでありながら、実は“高度な技術”に裏付けされた超A級の娯楽ムービー
だったのデス。
 さて、映画は、それぞれに“悩み”を持ち、それぞれに“苦しみ”を背負い、
“偶然にも”此処「有頂天ホテル」に集まった哀しき人々の物語。今夜、ホテルに
泊まる彼らの部屋には“自分だけのドラマ”があり、その“薄い壁”を隔てた
隣の部屋にも又“別のドラマ”が展開する。それは、出会いと、別れと、偶然とが
絡み合い、もつれ合い、織り成す“人間模様”…。永遠に繰り返される“人生の
喜悲劇”だったのです。で、ボクが本作を観ながらふいに気付いたことは、もしや
この映画自体の構造が、“(悪徳政治家が暇つぶしにやっていた)クロスワード
パズル”なのではないかってこと。クロスワードパズルは、複数の虫食い問題が
提起され、僅かのヒントから“ひとつひとつの穴”を埋めていき、その小さな
問題をすべてクリアしたときに、初めてやっと“ひとつの大きな絵”が浮かび
上がってくる…。つまり、この映画では、大晦日のカウントダウンパーティーの
寸前にして、様々なトラブルが同時発生して、そのひとつひとつを丁寧に(?)
解決していった後に見えてくる「人生」という“大きな絵”‥‥、強いては
それが今作のテーマとなっている《自分らしく生きろ》ってことなんだと思う。
恐らくや、物語が“大晦日の夜”に設定してあるのは、その夜を境にして、
いくつもの人生が「再生」し、新しい一歩への「希望」と「未来」を描いている
のだろう。そして、最後は“痛快エンディング”にして、“じんわり感動”も…。
脚本家として…、映画監督として…、三谷幸喜、さすが。

『翼よ!あれが巴里の灯だ』、観ました。

2006-01-13 20:54:18 | 映画(た行)

翼よ!あれが巴里の灯だ

 『翼よ!あれが巴里の灯だ』、観ました。
有力者から資金を募り、“セントルイス魂”号を作り上げたリンドバーグは、
1927年5月、いよいよ大西洋横断に向けてNYルーズベルト空港から飛び立った。
だが、機上のリンドバーグを待ち受けていたのは、暴風雨や寒さといった
自然の猛威、睡魔、そして絶対的な孤独感であった……。
 「飛ぶこと」の意味は、広い大空への“憧れ”か…。翼を持ち、大空から
大地を見渡すのは、勿論“神”になりたいわけじゃない。人間の限界に挑戦し、
“未来の可能性”を切り開きたいだけなんだね。映画の舞台となるのは1927年、
当時の航空技術なんぞ今と比較したら、園児と東大生くらいの差があった頃‥‥
そんな時代に、ひとりの心優しい青年が、手作りのプロペラ機で“アメリカの
夢”に向かって進む姿に、思わず胸が熱くなった。技術は未熟でも、石をも
砕く“強い信念”がある。飛行機は非力でも、誰にも負けない(飛行機への)
“深い愛情”がある。それから、彼の周りのサポートも温かくて、操縦士に…、
出資家に…、技術者に…、それぞれに“立場”は違えど、それぞれの“見方”で、
同じ“ひとつの夢”を見ている姿に、心から感動した。
 しかし…、よく考えてみれば、それは“航空”の話だけに止(とど)まらず、
実は遠く50年の時代(とき)を超え、監督ビリー・ワイルダーから“今の我々に
向けられたメッセージ”かもしれないと思えてくる。(特撮)技術は未熟でも、
そこで働くスタッフの力を結集すれば、観る者を感動させることが出来る。
小手先のCGに頼らずとも、アイデアと工夫を重ねれば、観る者を“夢の世界”に
誘(いざな)うことが出来る。映画は、様々な回想シーンを絡めつつ、それぞれの
エピソードが後半になるにしたがって意味を持ち、ボディブローのように
効いてくる。そして、思わず胸にグッとくる台詞の数々は、練りに練りこまれた
“脚本の素晴らしさ”ゆえ……。今、時代は「アナログ」から「デジタル」へ…、
しかし、その途中でボクたちは、知らず知らずのうちに“リスク”を避け、
この主人公のように“チャレンジすること”を忘れてやしないのか‥‥??、
不時着寸前のラストシーン、自分自身しか信じられなった主人公が、初めて
“神”に対して叫ぶ“短い言葉”の意味…。それは目標に向かって努力を重ね、
死力を尽くした者だけが、初めて言うことの出来る言葉だったに違いない。
(主人公と同じく)無神論者のボクの心にも、ズシリと深く響きました。

 


『シーズ・ソー・ラヴリー』、観ました。

2006-01-12 20:46:23 | 映画(さ行)

シーズ・ソー・ラヴリー

 『シーズ・ソー・ラヴリー』、観ました。
無軌道だが、激しく愛し合うエディとモーリーン。ある日、自分の留守中に
モーリーンが隣人に暴行されたことを聞いたエディは、怒りで我を忘れ、銃を
片手に暴れ回り逮捕。施設に収容されてしまう。そして10年後、新しい家庭を
築いている彼女の前に、退院したエディが姿を現すが‥‥。
 今や押しも押されぬ“スーパースター”となったアノ人も、かつて数年前は
こんなにも“タダの人”‥‥。言わずもがな、それは今作のショーン・ペンの
ことなんだけどさぁ~(笑)。まぁ、一言で言って、若くて“青い”。二言で
言って、台詞が“軽い”。あの『ミスティック・リバー』でみせた“激しい怒りの
炎”も…、あの『デッドマン・ウォーキング』でみせた“ナイーブな心の弱さ”も…、
ここではほとんど見れずじまいで、“ショーン・ペン”ウォッチャー(?)の
オイラからすれば不満が残る。しかも、ぼさぼさロン毛あり、ボブ風の金髪まで
あって、別の意味で(?)将来価値が出てきそうな“マル秘”映像が盛り沢山(笑)。
ぶっちゃけ、これを“ショーン・ペンの映画”と認めてヨロシイものか(笑)。
その“腹違いの弟”が演(や)ってると思うくらいの“寛大な心”が必要だね(笑)
 さて、映画は、時間差によって分け隔てられた「使用前」と「使用後」の愛を、
シニカルな笑いを絡めて描いていく異色のラブストーリー。ここでテーマと
なるのは、運命の中で精神を病み、失った時間と…、しかし、それでも変わらぬ
“愛の美しさ”…。で、観ながらボクは、同じくニック・カサヴェテス監督の
最新作『きみに読む物語』を連想してしまったけど、そう思えば(彼にとって)
不十分だった今作を、補って“完璧な形”で作り直したのが『きみに読む物語』
だったのかもしれないね。一方、映画終盤にて“ヒロインの選択”は、家庭を
持つオイラとしては全く共感できないが、(現ショーン・ペンの妻)ロビン・
ライト・ペンの大熱演に免じて許しちゃう(笑)。むしろ、オイラはジョン・
トラヴォルタの心情を察すれば心が痛む。「これが人生さ」というには、あまりに
理不尽だと思うがね(笑)。

 


『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』、観ました。

2006-01-09 20:18:58 | 映画(ら・わ行)

リチャード・ニクソン暗殺を企てた男 ◆20%OFF!

 『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』、観ました。
サム・ビックは平凡なセールスマン。一度崩壊した自分の家庭を再生するため、
懸命に仕事に打ち込むが、不器用なサムは思うように業績は上げられない。
やがて未来への希望をひとつずつ失っていった彼は、ウォーターゲート事件を
引き起こしながらも、TVから正義を訴えるニクソン大統領の姿を目にする‥‥。
 今さらながらショーン・ペンをみていると、胸張り裂けんばかりに息が
苦しくなってくる。「怒り」や、「孤独」や、「社会への反抗心」や‥‥、その内に
秘めたる感情が、心の中で充満し、今にも爆発しそう。社会の構造を変えるべく、
“何か”しなくちゃいけない。しかし、その“何か”が分からない主人公。
現実のどうにもならない憤(いきどお)りが、耐え難い“重し”となって
観ているボクに圧し掛かってくる。それにしても…、僅か100分にも満たない
作品でありながら、2時間半の超大作にも匹敵する“重量感”と、後々まで
引きずりそうな“底知れぬ余韻”‥‥。勿論、それは監督の演出力以前に、
俳優ショーン・ペンの功績が大だと思う。
 さて、この映画を観て、先の9・11のテロ事件を連想する人は少ないない筈だ。
例えば、物語の終盤で、主人公がとった(とろうとした??)行動は、明らかに
“自爆テロ”だろうし、その標的となる、ときの大統領ニクソンを、現在の
ブッシュ大統領にダブらせてあるのは、現代人なら誰でも分かる周知の事実。
…だとしたら本作を、単なる“左寄りの映画”として片付けて良いのだろうか??、
いや、ボクは違うと思う。つまり、ここでは一旦、事件の善悪は置いといて、
何故彼が“テロ行為”をするに至ってしまったのか…、その“根っことなる
理由”を考えてみましょうよ、っていう映画だと思うんだ。で、ボクが本作で
引っかかったのが“飼い犬”の存在。主人公は、社会の底辺に位置する
“虫けら”のような存在なんだけど、唯一イヌだけが彼を慕ってくれる。
結局、映画の最後で、ひとり死にゆく覚悟の主人公が「孤独にしたくない」と
イヌを撃ち殺すのは、その“愛情の深さ”がゆえ。勿論、彼のした行為は、
(イヌ殺しも含めて)決して褒められた事じゃないんだけど、少なくとも彼は
“この社会に欠けていたもの”を持っていたんだよ、「弱者に対するいたわり」と、
そして「相手を思い遣(や)る心」をね。

 


『青春群像』、観ました。

2006-01-08 20:16:10 | 映画(さ行)

青春群像

 『青春群像』、観ました。
舞台は北イタリアの港の見えるある小都市。30歳にも手が届こうとするのに、
職にも就かず、毎日をぐうたらに過ごす5人の若者達。ファウストは女に
うつつをぬかし、アルベルトは姉から金を無心する日々を送っている。だが、
怠惰な生活から抜け出すことを切望するモラルドだけは、唯一まともであった……。
 悲しくもないのに泣けてきた。涙がどんどん、どんどん溢れてくる。これは
単に5人の若者の友情を綴っただけの青春ドラマじゃない。彼らはそれぞれの
若さを謳歌しているようでいて、実は“人生の意味”を見つけられないまま、
“現実”から目を逸(そ)らすように生きている。ある者は自分の肉親のことで
悩み、ある者はひたすら己の夢を追い、破れていく。思うに、それが象徴的に
描かれるのは、カーニバルの場面‥‥、紙吹雪が舞い、人々が歌う、盛大な
祝賀ムードから一転、祭りの後の寂しさへ…、まるで突然の夢から醒めたような
“現実の空しさ”に引き戻されてしまう。と同時に、それは5人の若者にとって
残された時間は短く、迫りくる“青春の終わり”を暗示していたのだろう。
 さて、この映画が作られたのが1953年。フェリーニはその翌年に『道』を
発表していくわけだが、恐らく今作のファウストとサンドラの関係が、
そのまま『道』のザンパノとジェルソミーナではなかろうか。気取り屋で
小心者の大男を、ただひたすらに思い続ける乙女の愛の美しさ‥‥。しかし、
男はそれに気付かぬまま身勝手を繰り返し、彼女を失った時に初めて気付く
己の愚かさと、その愛の大切さ…。思わず『道』とダブらせながら、号泣して
しまったのは、きっとボクだけではないはずだ。
 そして、ついにモラルドは仲間の誰にも告げぬまま、一人故郷を後にする。
きっと、それは自身の“青春との決別”を意味していたのだろう。“生きる
意味”を探そうと旅立つ青年モラルドと、小さくとも“確かな夢”を持ち、
彼を見送る駅夫の少年との対比が、静かな余韻を残す。印象的なラストシーンだ。

 


『霊<リョン>』、観ました。

2006-01-06 20:15:36 | 映画(ら・わ行)

霊-リョン- SPECIAL EDITION ◆20%OFF!

 『霊<リョン>』、観ました。
過去の記憶をなくした女子大生ジウォンの周りで起こる連続溺死事件。被害者は
すべて彼女の高校時代の友人。しかも、それらはすべて“水のない場所”で
起きていた。自らの失われた過去を探るジウォンは衝撃の事実を知ることになる…。
 反則ギリギリ、審議のランプも点灯しそうではあるけれど(笑)、それでも
やっぱり最後の大逆転には驚いた。ただ、裏を返せば、“ネタが命”のこの映画、
驚愕のラストシーンから逆算して作ってあるがため、分かってしまえば、
繰り返し観直すほど“味のある映画”ではないのかな。ぶっちゃけ、オイラは
今回、ヒロインのキム・ハヌル嬢を目当ての鑑賞だったので、先日の『氷雨』より
遥かに出番の多い彼女に大満足(笑)。今作を観る限り、難しい役どころを
そつなくこなして、美しいお顔立ちだけじゃなく、演技の方もなかなかのものと
お見受け致す(笑)。今後の活躍次第では、ここ日本でも一気に知名度アップ……
なんてこともあるかもね。
 さてさて、上にも書いたように“ネタバレ厳禁”、決して内容については
多くを語るなかれ。あえて“真相の核”となる部分は伏せておいて、その外堀から
徐々に埋めていく手法は、いわば『シックス・センス』以降の“ホラー映画の
定番”だ。で、タネをバラさない程度にお話すれば‥‥、記憶喪失による
“自分探し”と子供の頃に遊んだ“かくれんぼ”をダブらせてあるのは、非常に
練りこまれたアイデアではあるんだけど、もう一歩のところで、その2つが
絡み合ってこないのが、何とも残念。それと“過剰な音響”による驚かせ方は、
少々あこぎに感じちゃう。でも、例えば、『仄暗い水の底から』がリメイクされて、
『ダーク・ウォーター』として生まれ変わったように、今作『霊<リョン>』も
作り方次第では‥‥と、そんな可能性を秘めた作品ではあると思う。

 


2005年を振り返って/洋画ベスト10

2006-01-04 19:49:03 | ★独断と偏見的シネマ・セレクション3

2005年 洋画ベスト10

例年だと「邦画」と「洋画」の分けて、
それぞれのベスト3を発表するのだけど、
今年は洋画の充実ぶりとは対照的に
邦画の方が今ひとつパッとせずに困った困った(笑)。
とりあえず、邦画の方も上から順に
『下妻物語』『血と骨』『あらしのよるに』と3本出してはみたが、
やはり洋画ベスト3と並べてみると、随分と格差があるみたい。
そういう訳で、今年は“洋画のみのベスト10”とさせて頂戴。
※なお、ここでの「新作映画」とは、昨年劇場公開された作品に含めて、
“昨年レンタルリリースされた作品”も含まれています。
場合によっては「それは一昨年の映画だゾ」とお叱りを受けるかも
しれませぬが、その辺はどうかご了承くださいませ。

《洋画》
 『父、帰る』
 2、『エターナル・サンシャイン』
 3、『バッド・エデュケーション』
 4、『五線譜のラブレター/DE-LOVELY』
 5、『オアシス』
 6、『サイドウェイ』
 7、『キングダム・オブ・ヘブン』
 8、『ミリオンダラー・ベイビー』
 9、『アビエイター』
 10、『ライフ・アクアティック』

【総括】
選んだ10本を、改めて見直してみると
自分の性格を反映してか、ちょっと“クセのある映画”が多いみたい(笑)。
ぶっちゃけ、上位3本はどれを1位にしても構わない。
同じく、6~10も大差はない。
なお、選に外れた作品では、『ダーク・ウォーター』『-less [レス]』、
『21グラム』
『ザ・インタープリター』なども良かったが、
この手のサスペンス・ホラー系の作品は、やはり年間を通すと
印象が薄くなってくるかな。

1は、父子の絆を描いた傑作。印象的だったのは、
厳格な父、怖い父、そして、その大きな背中‥‥
途中出てくる箱の中身がどうとか、今まで父は何処に行っていたとか、
そんなことを考えるのは、この映画で一切意味がない。
大切なのは、弱虫だった自分を、厳しく叱ってくれる“父の優しさ”なんだ。
ボクは、それだけでこの作品をベスト1に推す。
2は、サイテー男とサイテー女による“世界サイコーの愛”の物語。
一寸先も見えてこない、アクロバティックな展開もさることながら、
アタマの中の“思い出”を巡る“記憶のロードムービー”としてしまう
センスに感動した。
8は、本来もっと上位にランクしても良いのだけど、必ずしも
イーストウッドのベストムービーではないと思うので、今回はやや低めの評価。

 


『奥さまは魔女』、観ました。

2006-01-03 18:07:20 | 映画(あ行)





監督:ノーラ・エフロン
出演:ニコール・キッドマン, ウィル・フェレル

 『奥さまは魔女』、観ました。
TVドラマ“奥さまは魔女”のサマンサ役に大抜擢された新人女優のイザベルは、
実のところ、普通の生活に憧れて人間界に舞い降りてきた、本物の魔女。彼女は
魔女であることを隠したまま、ダーリン役のジャックと恋に落ちるのだが……。 
 圧倒的な“存在感”を備えつつ、近寄りがたい“美しさ”を放っている…。
良い言い方をすれば、“カリスマのある女優さん”なのだけど、ボクには
その“スキのなさ”が、どうにも苦手に感じる二コール・キッドマン(笑)。
ただし、今作の場合は、そんな彼女の人間離れした美貌とオーラがゆえの
魔女役だったのではないのかな。で、やっぱり、オイラをもってしても
彼女が適役だったと思うのデス。それにつけても、近況の彼女は、シリアスな
文芸作品に出たかと思えば、今回のようにライトなコメディにも出たりして、
まさに“二つの顔”を持つ女。あえてイメージが固定するの嫌っているのか…、
あるいは彼女自身が気分転換を兼ねての出演なのか…、いずれにせよ、
彼女ほどのビッグネームが、ここまで映画への露出をしなくても良いだろうにと、
改めて彼女への苦手意識が5割増のボクなのデス(笑)。
 さてさて、映画の方は、予想通りの“ドタバタ劇”。途中、アメリカ的な
ハイテンションに付いていけない箇所もあるけれど(笑)、お正月の初笑いには
丁度手頃なコミカルさ。後味スッキリ、なかなか楽しめる作品に仕上がっている。
一方で、今回のリメイク版は、“ホームドラマ的”だった往年のTVシリーズとは
ちょいと趣きが違っていて、あくまでも“ラブファンタジー”としてのデートムービー。
まぁ、TV版はTV版として、この映画版は映画版として、それぞれ全く別物として
観た方が良さそうだ。オイラとしては、今作でもTVシリーズに習って、日常の
ちっちゃな事件をほのぼの“家族的”な雰囲気で、温かく描いて欲しかったけどね。

『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』、観ました。

2006-01-01 19:31:54 | 映画(か行)

映画クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦 ◆20%OFF!

 『クレヨンしんちゃん 電撃!ブタのヒヅメ大作戦』、観ました。
時は現代。世界征服を企む悪の組織“ブタのヒヅメ”が恐ろしいコンピュータ
ウィルスを作り出した。それを知った正義の秘密組織SMLは阻止しようとするが、
偶然出会ったしんちゃんと共に戦うことになり…。
 感動した。またしても“原恵一”にしてやられてしまった。つくづく彼は
“スゴイ監督さん”だと思うよ。一見、子供向けのおバカ映画のようで
ありながら、そこには「子供の純朴さ」と「ノスタルジー」に溢れている。
世の中を“大人の視点”で観ることに慣れてしまったボクたちだから、
この“忘れてしまった純朴さ”に胸が痛くなる(涙)。今回ボクは、嫌がる
ワイフを説得(脅迫?)し、その首根っこを捕まえて夫婦共々観たのだが(笑)、
やはり観終わったワイフの目にも“キラリ”、大粒の涙が滲んでいた‥‥。
 さて、今回映画は“スパイ劇”。勿論、一筋縄ではいかぬ「クレしん映画」
ということで、単なる“娯楽アクション”ではないのデス。前半は息もつかせぬ
“娯楽シーン”のてんこ盛り。打って変わって後半は“怒涛の感動”が
押し寄せる。中でも、ボクが大感激してしまったのは、恐怖のコンピューター
ウィルス“ぶりぶりざえもん”に童話を読んで聞かせるしんちゃんの
“崇高さ”さえ漂う姿だった。その童話の中で、彼は言う、「この世界には
どんな巨額のお金にも、どんな高価な宝石にも替え難い“美しいもの”が
存在する。それは全ての人に対する〈善意〉なのだ」と‥‥。
そう、ボクたちは何の為でもない、ただこの世界を少しでも良くする為に
生まれてきたんだね(涙)。そんな当たり前のことさえ気付かずに、生きていた
己の愚かさにハッと気付き、思わずボクは唇を噛む。この地球上の誰もが
今よりほんの少しだけで良いから〈善意〉を持てたなら、今よりもずっと
“素晴らしい世界”がつくれるのに…。ラストシーンの青い空に浮かぶ白い雲、、
見上げるしんちゃんのその視線の先には、何が映るのか‥‥(涙)。