肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』、観ました。

2006-02-27 21:21:50 | 映画(あ行)

ウォーク・ザ・ライン 君につづく道

 『ウォーク・ザ・ライン 君につづく道』、映画館で観ました。
1950年代のアメリカ。貧しさから抜け出すためプロミュージシャンになった
ジョニーは、憧れのカントリー歌手ジューンと共演する。日ごと彼女への
思いを募らせるが、ジョニーは既婚者。ジューン自身も離婚の傷が癒えぬまま。
叶わぬ思いから、ジョニーはドラッグへと逃避するようになる……。
 時に、たったひとつの言葉が、人を殺すことがある。特に多感な少年期に
付いた“心の傷”は、トラウマとなってその後の人生を大きく狂わせるのだ。
映画は、伝説のカリスマスター、ジョニー・キャッシュの半生を描きつつ、
彼の成功の裏に隠された光と陰…、強いては、少年期に兄を失い、父の心ない
一言によって“心を失った男”の苦悩が浮かび上がってくる。そういえば、
ボクの場合も子供の頃、父から受けた“ある一言”が悔しくて、幼なながらに
人間不信になったことがあるからね。観ながらボクは、当時の事を久方振りに
思い出してしまったよ。更に注目したいのは、今回主人公を演じるホアキン・
フェニックスは、映画の話そのままに、偉大な兄(リヴァー・フェニックス)を
失った“経験者本人”でもあるということ。そう思えば、彼の兄に対する憧れと、
常に比較対象とされ、残された弟としての苦しさが痛いほどに伝わってくる。
彼の口から発せられる一言一言に説得力が生まれ、重みを感じるのは、きっと
そのせいなんだろう。この映画の、この役は、彼以外には考えらない‥‥、
彼のライフワークみたいな映画かもしれないね。
 でも一方で、これをラブストーリーとして観てみると、ひとつやふたつは
心に引っかかりを覚える人も多いはず…。まず、主人公はリース・ウィザー
スプーン演じるヒロインの、何処に惹かれて夢中になったのかがよく分からない。
恐らく、少年期に“兄と共に愛したアイドルスターへの憧れ”なんだろうが、
だとしたら、捨てられた奥さんと娘さん達があまりも可哀想に思えてくる。
それから、ヒロインの方もさんざんプロポーズを断わり続けて、どの瞬間に
主人公を愛したのか…、信じられたのか……、ラストシーンを観た限りじゃ、
公衆の面前で脅迫されて、嫌と言えずに泣く泣くOKしたみたいだものね(笑)。
確かにハッピーエンドにゃ違いないが、全てをメデタシメデタシで終わらせる
ほどスッキリはしない。観る人によって賛否の分かれる映画だと思うよ。

 


『南極日誌』、観ました。

2006-02-26 21:34:41 | 映画(な行)

南極日誌 ◆20%OFF!

 『南極日誌』、映画館で観ました。
南極の到達不能点を目指す6人の探検隊。彼らは80年前の英国探検隊によって
書かれた日誌を発見するが、その後日誌に書かれているアクシデントに次々と
遭遇し……。
 つい先だって『皇帝ペンギン』を観て、南極に住む彼らの“驚異的な生命力”に
驚かされてきたばかり…。そう思えば、この『南極日誌』出てくる人間たちが
何と“ひ弱でちっぽけな存在“にみえることよ(笑)。きっと、人間たちの持つ
エゴや名誉欲や虚栄心が、ペンギンたちとの決定的な違いとして、人間を
“醜い生き物”に変えているんだろうね。
 さて、今作に描かれる「南極の恐怖」とは“肉体的な限界”というよりも、
むしろ“心の内面に潜んだ狂気”‥‥、見渡す限りの氷の世界、頭上の太陽は
半年間も空に上って沈まない。歩けど歩けど景色は変わらず、ただ疲労だけが
確実に蓄積されていく。一時間歩いたのか…、あるいは半日歩いたのか…、
彼らはいつ果てるとも分からぬ“袋小路”に迷い込んでいくわけだ。
結局、今作における「到達不能点」とは、人知を超える“神の領域”のこと。
そこに行けば“何か”が変わる…。一団を率いる主人公もまた、過去の
トラウマから解放され、自身も強くなれると“幻想”を抱く。しかし、彼は
気付かなかったんだ。人は“神(完璧な存在?)”にはなれやしない…、そして、
時に己の弱さを認め、“引き返す勇気”も強さの一つだということを‥‥。
 最後に、この映画を総括すると、南極の広大な大地を舞台にして、人間の
狂気を描く“着眼点の鋭さ”はさすが(韓国映画)だと思った。ただ、一切の
スペクタクルを封印し、空の‘青’と大地の‘白’が延々と続く単調な映像は、
もう少しシナリオ面に工夫と、凹凸があっても良かったかなと‥‥。
それから、ベースキャンプに待機する隊員が“女性である必要性”が、あまり
感じられなかったのが残念。ひとつひとつの台詞は非常に考えられているだけに、
全体を通してみた時の“バランスの悪さ”が惜しまれる作品だ。

 


『地下鉄のザジ』、観ました。

2006-02-25 20:52:21 | 映画(た行)

地下鉄のザジ

 『地下鉄のザジ』、観ました。
母とパリにやって来た少女ザジは芸人の叔父に預けられるが、彼女の楽しみは
地下鉄に乗る事。だがストで地下鉄が動いていないと知ったザジは、ひとりで
街へくりだしてしまう……。
 これがあの『死刑台のエレベーター』を完成させた監督か‥、これがあの
『さよなら子供たち』のルイ・マルか‥‥、観ながらオイラはこの目を何度も
何度も疑った。元々オイラは同ジャンル専門の監督よりも、それぞれタイプの
違う映画をいくつも撮れる監督を高く評価しているんだけど、それにしても
こいつぁ~はすげェー、凄すぎる。ソコ抜けに陽気な脱線転覆ドタバタ劇に、
アクロバティックな映像美。きっとこの映画を作るにあたってルイ・マルは
“自分のイメージを壊すこと”から始めたんだと思うよ。
 さてさて、このチャレンジングなムービーにストーリーは無関係、、、一切
考えなくて結構だ(笑)。パリを訪れた少女ザジの瞳に、光の如くスピードで
飛びこんでくる゛都会(パリ)の今゛を愉快に楽しく映像化しただけの映画なのだ。
この、人を食ったようなポップでサイケデリックな映像に怒っちゃいけない。
この、極彩色だらけの前衛的な色づかいに拒否反応を示しちゃいけない。
エッフェル塔に登れば凍えた白クマくんに遭遇し、ご難続きの大追跡はいつまで
経っても追っつかない。「トムとジェリー」以来のハイセンスでナンセンスな
ドタバタ劇にオイラは腹を抱えて大笑い。悪ノリ?、はちゃめちゃ?、フザケ過ぎ?、
コレ観て眉を潜める保守派の皆様方にはどうか静かにお休み頂いて、さあさ
残ったみんなでこの痛快娯楽を楽しもう。これぞ破天荒な傑作、、“天才”を
感じるお馬鹿映画なのだ。

 


『大統領の理髪師』、観ました。

2006-02-20 19:48:13 | 映画(た行)

大統領の理髪師 ◆20%OFF!

 『大統領の理髪師』、観ました。
60年代の韓国。理髪師として平凡に暮らすソン・ハンモはある日突然、大統領の
理髪師に指名されてしまう。その理由は、大統領官邸のある町に住んでいたから…、
ただそれだけ。しかしその日から、大統領の側近たちの勢力争いに巻き込まれたり、
小さなミスで冷や汗をかいたり、それまでの生活が急に慌ただしくなり‥‥。
 本年度キネ旬の年間5位にランキングされた韓国映画。激動の近代韓国史を
“庶民の純粋な視点”でユーモラスに描いているあたりは、韓国版『フォレスト・
ガンプ』と言えなくもない。ただし、自国の歴史にさえ疎(うと)いオイラに、
隣国の韓国史なんぞ知るはずもなく、何だか置いてけぼりを食らったようで
サッパリ笑えず仕舞い(苦笑)。まぁ、恐らく、ここでは近代韓国史で実在した
事件の数々が、さも“風刺的”に描かれているんでしょうが、オリジナル(←元の
事件って意味デス)を知らない以上、気の利いたコメントなんて出しようが
ないわけで……。もしも、この映画、まだこれからという人があるのなら、多少の
韓国史はアタマに入れて観た方が良いと思うよ。
 だとしたら、オイラにとって本作が、全くの退屈なシロモノだったかといえば
そうではなく、時として父子の固い絆が温かく、時としてその時代に生きた人の
哀しさが伝わってくる。しかも、そのヒューマンな仕上がりの一方で、南北の
対立、(ベトナム)戦争のキズ、独裁政治の影がヒタヒタと静かに忍び寄る。
映画のラストシーン、語り部となる少年(いや、その時はすでに青年だった)が、
不自由な足で自転車に乗ってヨロヨロ走り出すその姿は、まるで幾多のキズを
心と体に受けながら、それでも“明日”へと向かう、“これからの韓国”に
ダブって見える…。それにしても、床屋の洗面台(洗髪台)を使って、少年から
青年への時間経過を一気に見せてしまう場面…、更には、故障車のマフラーと
主人公の便秘のフン詰まりとを、シンクロさせながら描き出す場面のセンスには
感心した。オイラにとって監督の「イム・チャンサン」は、初めて聞く名前だけど、
さすが韓国映画界の層はまだまだ厚いなぁ。

 


『世にも怪奇な物語』、観ました。

2006-02-18 20:20:05 | 映画(や行)

世にも怪奇な物語 ◆20%OFF!

 『世にも怪奇な物語』、観ました。
エドガー・アラン・ポーの怪奇小説を元に、フランスとイタリアを代表する
3大監督が競作したオムニバスホラー。ロジェ・ヴァディム監督『黒馬の
哭く館』、ルイ・マル監督『影を殺した男』、フェデリコ・フェリーニ監督
『悪魔の首飾り』の全3作品を収録。
 さすがエドガー・アラン・ポーの原作だけあって、単に怖がらせるとか、
単にハラハラさせるだけで終わらせない…、要所要所で“人間の本質”が
見え隠れする、一歩進んだ怪奇オムニバスだ。
 一話は、すべてを支配できると自惚れていたブルジョアの女王が、ある時
出会った孤高の王子に惹かれていくというお話。テーマを象徴するのは、
森に一人迷い込み、あやまって動物用のワナに足を捕られてしまった女王が、
偶然通りかかった男に助けてもらう場面‥‥つまり、それが意味するものは、
権力と財産とエゴでがんじがらめに縛られた王女を、一人の男が“自由”を
与え、今とは違う“別の生き方”を教える場面ではなかろうか。しかし、
突然現れた“大きな黒い馬”によって、その後の女王の運命が大きく変わって
いくのは、何とも皮肉で恐ろしい結末だ。
 二話は、善人とは言えない主人公が、その人生において悪事を働くたびに、
分身のような同姓同名の男が登場し、主人公の邪魔をするというお話。
思うに、人は誰しも「善」と「悪」との二面性を持ち、その対立する両者が
“微妙なバランス”の上で成り立っている。もしも、その片方が死ねば、
もう片方も死ぬ‥‥。人間とは、きっとそういうものに違いない。
 三話は、一言で「フェリーニらしい」と言えばそれまでだが、異国の地で
男が見る“狂気の世界”、少女の姿を借りた“悪魔の描写”など…、幻想的で
オカルティックな映像にただただ圧倒される。恐らく、このエピソードで
フェリーニは、故意に観る者を混乱させ、我らを主人公と同じ“悪夢”の世界に
引きずり込もうと狙っている。“観て考える”というよりも、“観たままに
体感する”映画なんだろう。
 映画を通しての感想は、三者三様にそれぞれ面白かったが、物語的には
一話の『黒馬の哭く館』、映像的には三話の『悪魔の首飾り』が気に入った。
あくまでもオイラの私見だが、順位的には‥‥三話 > 一話 > 二話かな。

 


『フライ,ダディ,フライ』、観ました。

2006-02-14 20:48:40 | 映画(は行)






 『フライ,ダディ,フライ』、観ました。
愛する妻や娘と共にマイホームに暮らす中年サラリーマン鈴木。ある日、娘は
高校生ボクシング部の石原にひどく殴られ、精神的な恐怖から外出することすら
出来なくなってしまう。自分の無力を痛感する鈴木は、知り合った在日高校生
スンシンの指導のもと、石原と戦うためのトレーニングを始めるのだが…。 
 主演は、堤真一&V6の岡田くん、、そんな浮世離れした“イイ男”同士の
出演者顔ぶれからして、イマイチ触手が伸びなかった映画だけど、小気味良い
テンポが、最後まで失速することなく駆け抜ける……、戦前の予想を覆して、
まずまず楽しめた作品だ。まぁ、展開としては、平和な日々→挫折→猛特訓→
奇跡の大逆転勝利、というお約束の構図。使い古されたスポ根もののソレでは
あるんだけどね。ユニークな発想と斬新なアイデアが、良いスパイスとなって
要所各所で効いてくる。夜のバス通勤と、電車のつり革と、『燃えよドラゴン』
ブルース・リー風の挨拶と…、中でも、公園を一周するたびに積み上げられる
小石が、いつしか“ピラミッド型”に大きくなっていく場面は、思わずニヤリ。
監督のさりげないセンスが光ってるネ。
 一方で、ボクがどうにも解(げ)せないのがひとつ。それは“映画の結末”に
ついて。確かに“痛快”にして“爽快感”の残るエンディングだが、「暴力」に
よって、すべてのカタを付けるのは如何なものか…??、実際、映画の台詞にも
「(胸を指して)ここに“勇気”を感じたら、戦わなくてもこちらの“勝ち”なんだ」とか、
「誰かを殴る度に拳の間から、何か大切なものがこぼれ落ちる気がする」なんて
言ってるわけだしね。これで戦ってしまったら、最後にして“映画の全否定”に
なっちまう。最後は“戦わない”という選択肢があったと思うし、またボクは
主人公にそうあって欲しかった。だって、戦わないことが逃げることじゃない、
殴られることが負けることじゃない。ここで大切なのは、守るべきもののために
“努力”し、“勇気”を持つことなんだから。

『妖怪大戦争(2005)』、観ました。

2006-02-12 21:51:27 | 映画(や行)





監督:三池崇史
出演:神木隆之介, 宮迫博之

 『妖怪大戦争』、観ました。
砂かけばばあに小豆洗い、一反木綿に塗り壁、油すましにぬらりひょん、河童、
雪女、一つ目小僧…。泣き虫でいじめられっ子の少年タダシが、ひょんなことから
世界を守る正義の味方「麒麟送子」に。日本全国に住む妖怪たちと力を合わせ、
魔人・加藤保憲率いる悪霊軍団に戦いを挑んでいく……。
 こう見えてもオイラは、“お馬鹿映画”大スキ、“B級映画”大スキ。 だから、
この映画を観たのだけど、チョット“おふざけ”が過ぎたかな。ぶっちゃけ、
オールスターの“お笑いコント”を2時間見せられたという印象で、オイラは
それほど面白いとは感じなかった。むしろ、「映画」の概念に捕らわれず、
テレビの“バラエティー感覚”で観た方が楽しめそう。‥‥と言うのは、ここに
登場する豪華キャストのほとんど全てが、吉本のお笑いタレントだったり…、
有名大物ミュージシャンだったり………、まぁ、確かに「大人の遊び心」は
「遊び心」として存分にやれば良いと思うんだけど、そのお笑いタレントに
“コミカル”を求めちゃうのは、もう「映画の面白さ」とは随分かけ離れている
ように思うんだ。やっぱり、ちゃんとした“プロの役者さん”を使って、脚本なり、
演出なりで、観る側を楽しませるべきじゃないのかな。だって、今作で
僅かに“伏線”と呼べるのは、“体に良い小豆(??)”くらいで、それすら
よく考えれば、かなり強引な設定で、単に呆気に取られただけもんね(笑)。
 それから、ダメ出しついでにもう一つだけ…。映画には、ハムスターもどきの
妖怪「すねこすり」が登場するんだけど、しかしある時、悪の軍団に捕らえられ、
リンチにかけられる場面があるのだよ。同じように“小動物”のウサギを3羽
飼ってるオイラとしては、それが作り物だと分かっちゃいても、観るのが辛い。
痛いのだ。しかも、そのまま電子レンジに入れてスイッチオン!!、「生きて
苦しめ~、ガハハハッ」は、あまりにブラック過ぎる。うーん、笑えないなぁ。


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『MY FATHER マイ・ファーザー 死の天使 アウシュヴィッツ収容所人体実験医師』、観ました。

2006-02-11 19:44:07 | 映画(ま行)

マイ・ファーザー 死の天使 ◆20%OFF!

 『マイ・ファーザー 死の天使』、観ました。
(別題:MY FATHER 死の天使 アウシュヴィッツ収容所人体実験医師)
ヒトラー政権下、アウシュビッツ収容所で数々の人体実験を行った、実在の医師
ヨゼフ・メンゲレ。父親がメンゲレだと知らされた息子ヘルマンは真実を求め、
ブラジルに逃亡していた父のもとへ向かう……。 
 単純に“正論”だけでは片付けられない…、いつまで経っても答えが出ない…、
そんな難しい問題を扱った作品だ。映画の主人公は、悪名高きアウシュビッツの
人体実験医師として君臨した父を持ち、幼き頃から心に深い傷を負っている。
そんな中、彼(主人公)は再会し、父を理解したい“息子としての自分”と、
一方で理解したくない“人間としての自分”の狭間で苦しみ悩んでいくわけだ。
観ながらボクは、主人公の心の葛藤もよく分かったし、勿論、肯定はしない
までも、彼の父とその行為さえ非難することは出来ないと思った。だって、
もしも、自分が“その時代”に生き、その父と“同じ立場”に立たされたら、
勇気を持って「NO」と断わることが出来たかどうか…、自信が持てないからね。
ひとつ言えることは、この戦争によって、被害者も、加害者も、すべての人が、
心の深い傷を負って、今も苦しみながら生きてるってこと。その責任の全てを
“誰か”に押し付けて責め立てることが、この問題の解決に近づくことなの
だろうか‥??、いや、それぞれがもっと“被害者の立場”に立って、彼らの
心のケアに目を向けるべきではないのかな。
 次に、本作の技術面でいえば、このズッシリと“重たい内容”に不似合いな、
要所での画像処理が気になった。恐らくは“記憶の断片”が幾重にもなって
心の傷となった“サブリミナルな効果”を狙った思われるが、ボクはどれも
今ひとつ効力をあげられていない印象を受けた。一方、この映画で断然光って
いたのは、“父”に扮するチャールトン・へストンだ。あのマイケル・ムーアが
いうところの、彼が“銃(ライフル)愛好家”であるかは別問題として(??)、
ここではバツグンの存在感を発揮している。「科学者」としての“誇り”を
保ちつつ、「父」としての“義務”を果たせなった後悔…、その老いた後姿が
哀しく映る。さすが、“一時代を築いたスター”は一味違うなぁ。

 


『ウィスキー』、観ました。

2006-02-08 20:59:32 | 映画(あ行)

ウィスキー ◆20%OFF!

 『ウィスキー』、観ました。
ハコボが経営する靴下工場で働くマチルダ。2人は仕事以外で会話を交わす事が
なかったが、ハコボの弟エルマンが帰国し、ハコボはマチルダに夫婦のふりを
するよう頼むが……。
 最近では「暴力(描写)」も人の感情を描く上でやむ無しみたいな風潮が
あるけれど、正直ボクはあんまり感心しない。でも、さすが、この映画では、
怒鳴ったり、叫んだり、殴ったりして伝える“怒り”とか“憎悪”じゃなくて、
人の心の奥底で静かに眠る“哀しさ”とか…、“寂しさ”とか…、いわゆる
“人生の機微”みたいなもの。言葉にすれば、すべて嘘になってしまいそうで…、
手に触れれば、途端に崩れていってしまうそうで…、独りぼっちの寂しさに耐え、
長い孤独に慣れ過ぎてしまったからこそ、感情を上手く表現できなくなった人も
居るんだよ(涙)。本来、人の感情って、そんな風にもっと“複雑で微妙な
もの”だとボクは思うけどね。
 さて、本作主人公となるのは、街外れの靴下工場に勤める老社長と女従業員。
彼らは、毎日同じ時刻に出勤し、毎日同じように働いて、毎日同じ時刻に
帰宅する。「昨日」と同じ「今日」が繰り返され、「今日」と同じ「明日」が
やってくる。そんな退屈で平凡な時間の中で、“男”は女の愛に気付こうとせず、
“女”はただひたすらに男の愛を待ち続ける…。だが、その抑制された映像で、
時として胸に込み上げる哀しさの場面が描かれる。サイズの合わない指輪の
意味と、ヒロインが弟の家族の温かさに触れ、思わず受話器を置いてしまう
“孤独感”と‥‥、一方で、コインゲームの最中、愛しい男性(ひと)と手が
触れ合う瞬間に、彼女が初めて感じる“ほんの僅かな幸福感”‥‥そして、
ラストシーンは、旅の終わりにして、心ならずも“代償”のお金を握らされ、
遠くを見つめる彼女は何を思うのか‥‥。その、少ない台詞の中に込められた
“行間”を読めるか否か‥、それが“この映画の醍醐味”ではないのかな。
それにしても(観終わった)今にして思えば、この“ウィスキー”のタイトルは、
何とも切なく哀しい言葉の響きだなぁ(涙)。

 


『毒薬と老嬢』、観ました。

2006-02-07 21:26:06 | 映画(た行)

039 毒薬と老嬢

 『毒薬と老嬢』、観ました。
ブルックリンの豪邸に暮らす老姉妹エビイとマーサは、老い先短い不幸な
老人たちを安らかに眠らせるという、秘かな仕事に精をだしていた。屋敷の
下宿人たちに、毒入りのワインを飲ませ、死体を地下に隠していたのだった。
そこへ、彼女たちの甥のモーティマーが、新妻を連れてやってくるが……。
 長きにわたり、映画ファンを続けていれば、ひとつやふたつ“観たいけれど
観れない映画”があるもんだ。で、ボクの場合は、この『毒薬と老嬢』、、
実に20数余年も探し続けて出会った“思い入れ深い一本”だが、フランク・
キャプラらしいユーモアたっぷりの台詞回しと、フランク・キャプラらしからぬ(?)
毒の効いたサスペンスフルな仕上がりに、オイラはもう大満足! キャプラの
映画を観ていていつも思うのが、ハリウッド黄金期の“輝き”と、映画の
“夢”が物語各所に散りばめられている。改めて再確認する、それが
“映画の素晴らしさ”なんだね。うん、それが“フランク・キャプラ”なんだ。
 さて、本作は、いわずと知れたブロードウェイで大ヒットしたコミカルで
ブラックな同名舞台劇の映画版。次々に登場する人物設定と、目まぐるしく
変化する攻守の切り替え、複雑に絡み合い縺(もつ)れ合う死体のナゾを、
ほつれることなく、こうも愉快に楽しく見せてくれるシナリオの凄さ。加えて、
テンポ抜群、名手の腕が冴えるキャプラのコメディ演出。こんなケーリー・
グラントのあるのかと、汗ビッショリで笑いを誘う三枚目演技も良~いカンジ。
観ながら思わずニヤけてしまうとは、こういう映画をいうんだろうなぁ。
しかし、そんな人の苦労も露知らず、いつもニコニコ“善人ヅラ”を装って、
舌なめずりで殺しのチャンスをうかがう2人の老嬢、、人間の“隠された
本質”を見たような気がして‥‥かなりコワイ(笑)。

 


『オリバー・ツイスト(ロマン・ポランスキー)』、観ました。

2006-02-05 19:51:12 | 映画(あ行)

オリバー・ツイスト 通常版 ◆20%OFF!

 『オリバー・ツイスト(ロマン・ポランスキー)』、映画館で観ました。
19世紀・英国で孤児として育った9歳の少年オリバー。わずかな食事の
おかわりを求めたばかりに救貧院を追放された彼は、奉公先でも理不尽な
いじめに遭い、そこを逃げ出してしまう。たどり着いたロンドンで、悪党
フェイギン老人のもとで働くスリの少年仲間に加わるのだが…。 
 正確な時代考証に基づいたオープンセットと衣装の数々、、近年ボクが
観た大作では、最もその“映像”に魅せられた作品だ。いや、正確に言えば、
それは衣装ではなく「衣服」、セットではなく「住まい」といった感じ。
湯水のようにお金を使い、“本物”だけに拘った監督ロマン・ポランスキーと
映画スタッフの執念‥‥これぞ“プロの仕事”に違いない。そして、そんな
彼らが膨大な時間と労力を費やして作り上げた映像を、遠く日本に居て
劇場の大スクリーンで堪能できる幸せ‥、勿論、ボクらに観る側にとっても、
それはこの上なく“贅沢な時間”だ。
 一方で、肝心のストーリーの方はといえば、すでにキャロル・リードの
ミュージカル映画『オリバー!』を観ているボクとしては、当時の記憶を
確かめながらの鑑賞だった。で、両者を比べてみると、細かなエピソードから
人物設定までほぼ同じ。しかし、ただ一点、ラストシーンだけは驚いた。
僅かに逃げ延びたフェイギン爺さんと早業ドジャーが、お揃いのステップで
ロンドンの朝焼けに消えていくハッピーエンドの『オリバー!』とは違い、
このポランスキー版では、オリバー少年が深い悲しみに暮れる“痛切なる
エンディング”。しかし、それはひとつの“悲しみ”を知り…、ひとつの
“痛み”を知り…、ひとつの“優しさ”を知り…、少年は又少し“大人”へと
成長する。確かに“痛切”だが、同時に“力強いエンディング”だとボクは
思った。…となれば、観る側の好みは別問題として、ディケンズの原作に
忠実なのはどちらなんだろう?、改めて、ますます(最初に映画化された)
デビッド・リーン版『オリバー・ツイスト』を観て確かめたい衝動に駆られる。

 


『単騎、千里を走る。』、観ました。

2006-02-02 19:57:04 | 映画(た行)

単騎、千里を走る。

 『単騎、千里を走る。』、映画館で観ました。
高田剛一は、余命幾ばくもない息子の遣り残した仕事を成し遂げるため、中国
大陸奥地への旅を決意する。民俗学を研究する息子の健一は、仮面劇「単騎、
千里を走る。」を撮影する約束をしていたのだった。言葉の通じない異郷の地で
途方に暮れる高田だったが、息子のためにという一途な思いが、現地の人々を
次第に動かしていく……。
 チャン・イーモウの映画を観る度に、彼が如何に“優れた人格者”であるかを
思い知らされる。ご承知のように、今、日本と中国の関係は、政治的な問題や
歴史認識の違いから、かつてないほどにギクシャクし、緊迫したものになって
いる。映画は、老いた日本の旅人が、単身、中国へと渡り、そこに住む人々の
優しさに触れ、言葉を超えた“心の交流”を描いたコミカルでハートフルな内容。
まぁ、出来そのものは、思い通りに前へ進まぬ計画と、会話のすべてに
通訳が入ってしまう本作の特質上、テンポの悪さは否めないんだけどね。しかし、
名声も、財産も、すべてを手にした“中国の偉大な監督”が、「高倉健」という
日本人を主役に抜擢し、その“友情”を描いたという事実に、何より…心から
感動した。
 さて…、だとしたらチャン・イーモウは、この映画を単なる“理想主義者の
絵空事”として描くだけで、昨今の日中両国間を取り巻く諸問題をどう解決
すべきだと言っているのだろうか??、いや、ボクは思うんだ。この主人公が
中国にて出会う心優しき人々との交流はあくまでも“理想”であって、実は
主人公とその息子の関係こそが、今の中国と日本ではないのかな。彼らは
“過去の誤解”から衝突し、それについて深く話し合おうとせず、“自分の殻”に
閉じこもる。その息子が中国の“仮面劇”に惹かれたのは、本心を仮面の下に
隠してしまう“自分自身”をそこに見たからなんだろう(涙)。つまり、今
大切なのは、両者が“本心”を包み隠さず、ありのままの自分を曝け出すこと。
そして、相手に“自分の心”を投げかける勇気なんだよ。もしかしたら、
この問題は根が深そうでいて、心と心が通じ合えれば簡単に解決されるのかも
しれないね。

 


『シベリア超特急7 ~汽笛の中で悪霊が鳴く~』、観ました。

2006-02-01 20:55:15 | 映画(さ行)

シベリア超特急00・7~モスクワより愛をこめて

 『シベリア超特急7 ~汽笛の中で悪霊が鳴く~』、観ました。
シリーズ4作目にして念願の舞台進出を果たした『シベリア超特急4』。
あまりの興奮(?)に再演を望む声が多く、遂に決行されたのが『シベリア
超特急7』。なんと今回は2講演の内容が異なる。第1講演「ベルリンからの
密使」、第2講演「W佐伯大尉」。話の途中から別々のストーリーとなり、
再び元のラストに戻るのである。是非、両講演見比べて頂きたい‥‥。
 ワイフが、映画を観ているオイラの隣でワカメらーめんをすすっている…。
勿論、普段のオイラなら絶対許さない光景だが、ことこの映画だけは
“特別”だ(笑)。小学校の学芸会というよりも‥‥、いや、最近の幼稚園の
おゆうぎ会でも、もう少しマシじゃないかと思えるほどの水野晴朗の
“棒読みセリフ”、それからパクッったのが丸分かりな“チャイニーズ”
エンジェルの大立回りもお寒いカギリ。まったくもってラーメン食べてる
ワイフじゃないが、これなら“片手間”程度でちょうど良い(笑)。だから、
オイラも右へ習えと、近くにあった洗濯物をおもむろにたたみ始める。
いつもは不得手な、この単純作業が、今日ばかりは流れるように
“スムース”だ(笑)。そんなオイラの姿にワイフは喜び、家庭は円満。
何だかチョット得した気分だね(笑)。
 それにつけても、このシケた内容に伴わない超豪華な出演陣には驚いた。
山城新伍に、光本幸子に、安井昌ニに、ザ・グレート・サスケに、そして、
極めつけは『生きる』の小田切みきサンまで登場する贅沢さ…。
まぁ、一言で言って、「身のほど知らず」(笑)。
まぁ、二言で言って、「“水野晴朗の知人”だというだけで借り出された
皆さんに、お悔やみ申す」(笑)。オイラが思うに水野さんッ!!、わざわざ
知り合いまで呼んで“自分の醜態”をさらすこともないと思うのだが(笑)。